第14話 当たり前でしょ

「……あ」

なんて考えていると、不意に俺の腹が鳴ってしまった。

俺は思わず呆けた声を漏らす。

そういえば、まだ俺も昼は食ってなかったっけ。

「あんたもご飯食べてないの?」

俺の腹の虫の音が聞こえていたのだろう。

紅野が二つ目のおにぎりを片手に尋ねてくる。

「ああ、テニスやってたりして忘れてたわ。購買行かねーと」

カバンから財布を出すついでに、スマホで時計を見る。

もうそろそろ十六時になるところだった。

この学校の購買は玄関のすぐ隣にある。

弓道場からは少し遠いが……まぁ、仕方ない。

この時間でも何か売れ残ってるといいんだが。

「今日購買休みだけど?」

立ち上がり、ポケットに財布をしまおうとしたところで、紅野からそんな恐ろしい情報が。

「マジ?」

「教室の掲示板に貼ってあったでしょ。始業式の日と今日は購買休みって」

まじかよ。

普段学校の掲示板なんて見ないから、全く気づかなかった。

まいったな。

テニス部で動いたのもあって、体がエネルギーを欲している。

それに、昼飯のことを意識し始めたら、急激にお腹が空いてきた。

こういうのって、気づいた瞬間に急に辛くなるのってなんでなんだろうな。

なんて考えている間も、栓を抜いた風呂の水のように、俺の空腹はましていく。

どうしようか。

速攻で夜桜に帰るか、コンビニまで走るか。

しかし、超ド田舎である古川町は絶望的にコンビニが少ない。

俺が把握してる限りで古川町のコンビニは三件。しかし、学校から行くなら一番近い場所でも、夜桜のほうが近い。なんて不便な場所なんだ古川町は。

まあ、ここでウジウジ考えてても、食べ物が出てくることはない。

なら早めに行動してしまおう。

そう決断したときだった。

「……これ、食べれば?」

すっと下からおにぎりを差し出してくれる。

誰が?

当然紅野だ。

「……あ、へ? え?」

俺の口から情けない声が漏れる。

「あ、へ、え。じゃないわよ。食べるの? 食べないの?」

「あ……いや、いいのか?」

「別に、あたしこんなに食べれないし。残すくらいならあんたが処理してよ」

処理って。

そんな食欲なくすような言い方はやめてほしいんだが。

いや、そんなことよりだ。

まさかあのつっけんどんな紅野が俺に施しをくれるというんだから、そっちのほうが驚きだ。そのせいで無様なリアクションまで晒してしまった。

最初にここでのこいつを見た時、俺は教室とはあまりに違うと思った。

どちらかというと初めてあった時、バルコニーで出会ったときに近いと思った。

あのときも笑顔をみせてもらえたが、あれはどちらかというと失笑に近かった。

そんな彼女が今は、昼飯を忘れた俺に自分の分を分けてくれると言っている。

これは……ある程度心を許してもらえたって認識でいいんだよな。

こうなったのはもしかしなくても、諦めずに果敢に話しかけ続けてきた効果だろう。

そう思うと、少し──いや、結構嬉しかった。

ちなみに、紅野がくれたおにぎりはめちゃくちゃ美味しかった。

なんていうか、絶妙な力加減で握られたのか、全く固くなくて、口に入れた瞬間にほろりと解けるようなそんな感じの食感。

中の具は味噌で、汗をかいた体にはその塩分が丁度よかった。

おにぎりという点に限れば、正味俺の母が握ったものより断然うまかった。

「ほら、それだけじゃ足りないでしょ」

「まじ? いいの?」

「あたし、お腹いっぱいって言ったでしょ」

なんと。

もう一個くれるというので、そちらももらう。

ちなみにそちらは表面にゆかりがまぶしてあって、さっぱりしていた。

味噌の味が濃かったからだろうか。

ゆかりの味がやたら美味しく感じた。

「ごちそうさま。うまかったよ」

あっという間に二つとも平らげると、俺は紅野に心から礼を告げた。

「お粗末様。って、作ったのはお母さんだけどね」

「そっか、じゃあお母さんにも伝えておいてくれ。美味しかったですって」

「はいはい。わかったからゴミ頂戴」

そっけなくしつつも、少し誇らしげに口角を上げる紅野。

それもまた、普段教室ではお目にかかれない表情だ。

「ありがとう」と素直にゴミを渡す。

そこでふと思う。

そういえば今、俺たち普通に会話できてるじゃん。と。

けど、それも一時のことで、紅野は食休みなんて挟まず、すぐに練習に戻ってしまうんだろう。

なら、今あのことを聞いてしまおうか。

「なあ、なんでお前さ、教室ではあんなんなの?」

巾着袋の袋を閉じる紅野に、思い切って訪ねてみる。

下手したらキレられるような質問だが、何となく今はそうならないような気がした。

「あんな?」

こっちに目を向けた彼女が不思議そうに首をかしげる。

だから、と俺は言葉を返した。

「なんかすっごい不機嫌そうで。誰も寄せつけないようにしてる感じ。俺が話しかけても無視するし」

「ああ、あれね」

ああ、って。

そんな些事を思い出した、みたいに言いやがって。

教室でも今みたいに自然体でいれば、みんなも少しは話しかけやすくなるのに。どうしてそうしないんだか。

「みんなのことが嫌いだからよ」

そんな衝撃的なカミングアウトを、紅野は無表情で、あっさりと断言してみせた。

「……は?」

「は、って。嫌いな人にわざわざ近寄りたいと思わないでしょ」

「それは……まあ、そうだけど」

このときの感情は、どう言い表せばいいんだろうな。

もちろん、紅野がそう答えるだろうなってのはなんとなく予想してた。

けど、なんだろう。言い方があまりにあっさりしてて、そんな他人事のように言われると俺もあっけに取られて何も言えないんだ。

「えっと、じゃあ俺は?」

おいおい。

霞河来人。

何だそれは。まるで、ねちっこい男のような質問じゃないか。

「はっ、何その質問」

案の定、紅野に鼻で笑われてしまう。

今の質問は自分でも反吐が出そうなくらいに気持ち悪かった。

だが認めよう。

この時俺は、「あんたは違う」といってほしかったのだ。

俺だけはみんなと違うと、本気で思っていた。

いや、正確にはそうであってほしいと本気で思っていた。

しかし、人の心とは実に無情なもので。

「あんたもよ。当然でしょ」

あっさりと、そう言い切られてしまった。

「え……」

期待していた言葉とは正反対の答えがきて、俺は呆然吐息を漏らした。

そんな様子とは裏腹に、頭の中はフルで回転している。

え、なんで。なら、どうして昼飯をくれたんだ。普通に話してるときも笑ってたじゃねえか。

いろんな言葉が思い浮かんだが、全て胸の奥で蒸発して消えていく。

結果、俺の口から漏れたのは。

「……そ、そうだったのか」

と情けない一言。

これに対し、紅野はそっけなく。

「ええ」

とうなずいただけであった。

このとき俺の胸中を支配していた感情は、はっきりと断言できる。

真っ白。

頭ん中が真っ白ってやつだ。

「ま、そういうわけで。あたしは練習に戻るから」

そういって、紅野は的前に立った。

そうして弓を構える彼女の後ろ姿を俺は呆然と眺めていた。

その後のことはよく覚えていない。

ただ、ちょうど俺と紅野が会話をしていたときに、お手洗いなにかで席を外していた部長が怪訝な顔をしていたことだけは覚えている。

「どしたの? なんかあったの?」

そう聞かれて、なんて答えたかは忘れた。

多分、何もありませんよ、と答えたんだろうけど。

気まずい雰囲気の中、途中で帰るとも言い出せず、俺は最終下校時刻になるまで見学を続けた。

流れ的に片付けも手伝おうとしたのだが、「いいよいいよ! これは私達の仕事だから! 霞河くんは先に帰っても大丈夫だよ」といってくれたので、お言葉に甘えることにした。

後で思い返せば、きっと気を遣われたんだろうな。

帰り道は多分、ずっと「そっか。俺は嫌われてたのか……」なんて考えていたと思う。

そんな俺はまさに真っ白だった。

多分、あの時暴漢に襲われでもしたら、なすすべなくやられていただろう。

友好的になれたと思っていた相手に実は嫌われていたと知った時、そのショックはマリアナ海溝のように深い。俺はそれを身を持って知っていた。

って、マリアナ海溝がどれくらい広いかはわからないんだけどさ。

とにかく、そんな意味わからない例えをしてしまうくらい、俺は紅野の一言にショックを受けていたのだ。

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