第11話 それはもう辞めた
「武内先生に礼! 正面に礼!」
俺や体験生も並ばされ、練習終わりの挨拶をする。
俺は全く参加してないのに、わざわざ礼をいう必要があるんだろうか。
そう思ったが、また怒鳴られるのも面倒なので黙って従っておく。
どっちにしろ、もう見学は終わり。
約束がある以上、これで剣道の話を振られることもなくなるはずだ。
「来人、ちょっといいかな」
部員たちが雑談を交わしながら更衣室へ入っていくなか、真司が俺を呼び止める。
「別にいいけど、先に着替えなくていいのか」
「大丈夫。僕はこのあとも自主練で残るからね」
一瞬、真っ先に帰ろうとしたのがバレたかと思ったが、どうやら違うらしい。
あんな激しい練習の後に自主練とは、なるほど熱心なことだ。
「それより、一つ聞きたいんだけど」
「なんだ?」
「その前にさ、一回だけでいいから、振ってみてくれないかな?」
手に持っていた竹刀を差し出される。
「はぁ、なんで?」
「頼む。無理に入部しろなんて言わないから、一回だけ! ね、お願い?」
なんて往生際が悪いんだ。
何度も何度も、それは持たないと断ったのに、まだ頼み込んでくるとは。
けどまぁ、どうせ最初で最後なんだし、別にいいか、とも思ってしまう。
真司の本気具合に当てられた、ってわけじゃないけどな。
「……わかった。そこまで言うなら一回だけやってやる」
仕方なく、俺はうなずく。
「やったー!」
手を叩いて喜ぶと、真司は道場の角に置いてある防具を着せた試し切り用のマネキンを持ってきた。
「じゃあ、ここによろしく。普通の面打ちでいいからさ!」
バシバシ、とマネキンを叩く真司。
「ふううう……」
竹刀を受け取ると、俺は大きく息を吐く。
ああ、なんていうか久しぶりだな。
この少しゴワゴワとした手触りも、使い手の汗の湿り具合も。
えっと、確か構えはこんな感じだったか。
柄の先を左手で握り、右手の力は最小限に。
背筋は伸ばして、肘に少し余裕を持たせる。
剣先は相手の喉元に向かうように。
で、左足は少し引いて踵を上げる。重心は左足のつま先に集中。
よし、とりあえず構えはこんなもんか。
次は声出しだが、どうしようか。
真司と似せる感じでいこう。
「はぁああ!」
万一にも裏返らないように、出せる限りの声を出す。
長めの発声は少し恥ずかしいので、短く鋭い感じを意識してみた。
うん、ここまでは問題ないんじゃないか?
後は実際に面を打つだけだ。
「めええええん!!!」
振りかぶり、声に合わせて思い切り振り下ろす。
初心者が教わる面打ちそのものだが、だからこそ威力は出る。
パァンッ! と気持ちの良い音が出た。
当たる瞬間にグッと右手を絞るのを忘れない。
よしよし。
後は数歩下がって残心を取って、終了だ。
相手の首元から剣筋を逸らし、鞘にしまうように左手に納める。
「……これでいいな?」
竹刀を差し出し、俺は真司に訊ねた。
俺としては教科書通りの動きができたと思うんだが、どうだろうか。
「……んー」
真司がくぐもった声で唸る。
まぁ、そりゃそうだろーな。
期待してた相手が期待外れの実力だったら、そんな反応になるのも致し方ないさ。
「来人、それは君の本気なのかい?」
「本気かって。手抜いてるように見えたのか?」
「そういうわけじゃないけど……なんか動きが丁寧すぎるよ」
「それのどこがダメなんだ?」
むしろ基本に忠実なのはいいことだと思うんだが。
「ダメってわけじゃないよ。ただ、なんかぎこちない気がするんだ。うまく言葉にできないけど……」
ぎこちない、か。
ブランクがあるんだからそれくらいは目を瞑って欲しいものだ。
「とにかく、もう部活は終わったんだから、もう行っていいよな?」
「ん、いや。最後に一つだけ答えてくれ」
そういえば、聞きたいことがあるって言ってたな。
目で質問を質問を促す。
正真正銘、それが最後だ。
その聞きたいこととやらに答えたら、すぐにこの場を去ろう。
「ひななには、君が剣道をやっていること以外に、福岡から来たということも聞いたよ。それなら、霞川道場を知っているかい?」
「……いや、知らない」
福岡、という単語が聞こえてきた時点で来ると予感した質問だったが、あえて即答せずに間をおいて答える。
そのほうが、彼を欺けるだろうから。
ここでもまた、俺は嘘を重ねていた。
先程の真義、霞川道場のことは誰よりも知っている。なんせ、そこは俺がかつて通わされていた道場だったから。──いや、通わされていたという言い方では語弊があるな。正確には住んでいた。霞川道場は、俺の実家であるからして。
「そうか……同じ出身、同じ名字。もしかしたら、君と霞河総一選手は何らかの関係があると思ったんだが……流石にそんな偶然があるわけないか。まさか、憧れの人の知り合いが僕のもとに引っ越してくるなんて、ね」
ひどく落胆した様子で、真司は言葉を漏らす。
対して俺は、動揺を悟られないために、必死に自分を落ち着かせていた。
まさかここで、その名前が出てくるとは思わなかった。いや、兆候はあったか。真司が塚本との対決で神速面を見せたときから。
ここまで言えば、誰でも察しがついて然るべきであろう。
霞河総一とは何者なのか。
何を隠そう、俺の父であり、同時に子供が聞けば無条件で胸が熱くなるような華々しい経歴を持つ超高名な剣道家なのだ。
その経歴は、まず、齢三十前後にして剣道界における殆どの大会のトロフィーを総ナメ。
以降、毎年出るほぼ全ての大会で連覇を成し続けており、獲得したトロフィーは二桁では収まらない域に達している。
その後、齢四十を超えたあたりでは、段位も七段を有しており、史上最年少の最高段位取得も視野に入るといわれている。
時代が時代であれば、歴代でも五人しかいない十段(残念ながら、九段と十段はすでに廃止されてしまっている)にすら届きうるのではないか、と謳われるレベルの実力者だ。
そんな彼の得意技は、面打ち。そう。真司が見せた神速面は、霞河総一の技なのだ。
神速の面打、と呼ばれるそれは、わかってても防げない。不可避の一撃とされ、度々雑誌の取材などで取り上げられたのだ。
そんな古今無双の活躍に、チープな表現だが必殺技まであるとなれば、男の子が聞けば憧れを抱くのは必至である。
とはいえ剣道の試合など、よほど意識して調べない限り見る機会はないのだが、真司は偶然その機会に恵まれたのだろう。
おおかた、父親か母親が剣道を嗜んでるとかだろうか。
かくいう俺も、当然のように憧れた。
かつては本気であんな風になりたいと思っていたものだ。
けど、才能というのは残酷にも遺伝するものではなく。俺には、父親のように日の目を浴びれるような才能はなかったのだ。だから。
「まあ、いいか。それより来人。やっぱり剣道部に入るつもりはない?」
「ない」
「……そっか、残念」
俺はもう、剣道はやめたんだ。
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