第8話 しつこい勧誘

それでも手に豆ができてるのは、筋トレの一環としてずっと木刀は振り続けてきたからで、それももう、向こうの地元に置いてきてしまった。こっちに来てからは身一つでできるトレーニングしかしていない。

つまり、俺はもう剣道やら剣術やら、そういうのとは完全に縁を切ったというわけで,もう二度と剣を握るつもりはないのだ。

「そんな、もったいないよ」

もったいない……って言われてもな。

「素振りをずっとやってたなら、また始めればいいじゃないか。君なら絶対強くなれるよ!」

「強くなれる……か」

俺は虚ろな目で若宮の言葉を反芻する。

「うん! だから、入ってみない? 剣道部に」

若宮が自信をもってうなずいてみせる。

しかし俺は──。

「悪いな。そういうの、あんまり興味ないんだ」

かぶりを振って断った。

「でも……」

若宮はまだ何か言おうとしていたが、ちょうど鐘が鳴って遮られる。

同時に担任も入ってきて、渋々と自分の席に戻っていった。

その去り際に。「また後で話そう」と言い残していく。

まいったな。いくら食い下がられても、俺は意思を曲げるつもりはないんだが。

「……厄介なやつに目つけられたわね」

隣から声が飛んで来る。

どうやら、いつのまにか起き上がった紅野がいったようだ。

「厄介なやつ?」と聞き返すが、答えは返ってこない。

代わりに、「起立」と教師の号令がかかった。

みんなが一斉に椅子を引く。

紅野が返事しないのは、号令がかかったからじゃないんだろうな。

むしろ、こいつのほうがよっぽど厄介なんじゃないか?



ホームルームは教科書配布だったり今週の日程が記されたプリントを配られたりしたら、すぐに終わり、余った時間は一人一人の自己紹介に当てられることになった。

一番右の列のひななから順に、出席番号順に一人ずつその場に立って、名前と、好きな〇〇や趣味等、自分のことを何か一つ話すルールらしい。

クラスの奴らは自己紹介なんて必要ないだろうし、担任も名簿を持ってるはずなのに、わざわざそんな形式にしたのは、きっと新入りである俺に対しての配慮なんだろう。

余計なお世話だと思わなくもないが、正直ありがたい。一人一人名乗ってもらえれば早めに顔も覚えられるだろうから。

ちなみに、担任ということで最初に話をした小峰正孝は、趣味がツーリングだそうだ。

失礼な話、見た目はアラサー男性のくせに随分若々しい趣味だなと思ってしまった。

担任の自己紹介が終われば、次は女子の一番のひななになる。

「朝比奈ひななです! 趣味はお裁縫です! 最近台所に立つことが増えたから、エプロンを作りました!」

ひななは少し照れくさそうにいった。

彼女に関してはすでに知っていることばかりだったので、特筆した感想はない。

クラス全員(ただし紅野を除く)で拍手をして、次の人へ順番が回る。

女子の出席番号二番の浅村という女子生徒は、物静かな性格なようだ。

名乗る声も小さく、趣味は読書という当たり障りのないもの。

いわゆる文学女子ってやつだな。

そして、もう一度拍手が起こると次へ。

この時、俺は空気が一瞬張り詰めたのを見逃さなかった。

なにせ、女子の出席番号三番は紅野である。

浅村が座ると、頬杖をついていた紅野はめんどくさそうに立ち上がった。

そして相変わらず鼻にかかった声で名乗る。

「……紅野梓です。趣味は弓道。部活も弓道です」

クラス全員にまんべんなく聞こえる声量でそう告げると、さっさと座ってしまう。

やや遅れて、ぎこちない拍手の音が聞こえる。

紅野が弓道をやってるのは、完全に初耳だった。

再び頬杖をついた彼女の姿を横目にしながら、俺は「弓道着か……似合いそうだな」なんて思っていた。

確か、弓道の道着は白だったはずだ。基本上下紺の剣道でも、白の道着を着る女性は一人くらいいたが、多分あんな感じだろう。

紅野が着たら、黒の袴と白の道着に白い肌で、上下対象になって美しいんだろうな。

きっと弓を引く姿は絵になるはずだ。少し──いや、割と見てみたい気もする。

なんて考えていると、視線に気づいた紅野にキッと睨まれてしまったので目をそらす。

そんなやり取りをしているうちに、順番が目の前に回ってきていた。

まずい。他人のことばかり考えていて、なにをいうか何も考えてなかったな。

俺も無難に趣味は筋トレとでも言っておくか?

いや、それだとまるで俺が筋肉バカみたいじゃないか。まぁ、別に間違ってはないんだが……

そんな風にあれこれと考えているうちに、とうとう俺の番になる。

ええい、こうなったら──。

「霞河来人です。体を動かすことが好きで、毎朝ランニングもしてます。よろしくお願いします」

結局いってることは変わらないが、これなら健康優良児っぽい感じになったんじゃないだろうか。

言い終えると、すぐにパチパチと綺麗な拍手が返ってくる。同時に「どこから来たんだー?」とか「部活はどこはいるの?」といった質問も。

これはなかなか好感触だったんじゃなかろうか。

まぁ、隣の奴は相変わらず無反応だったけどさ。

ちなみに質問の方は、小峰が後にしろと窘めてくれたおかげで、答えずにすんだ。別にないが何でも隠したいわけじゃないんだけどな。

その後、どんどん順番が回っていって、若宮の番が終われば終了。

ちなみに若宮の自己紹介はまんま予想通り、好きなことは剣道、趣味は素振りとのことだった。

非常にわかりやすい奴め。

ただ、多少自己紹介したところでやっぱりそう簡単に気は許してもらえないようで。

ホームルームが終わった後、話しかけに来てくれる人はだれもいなかった。うーむ、さっき質問を投げかけてくれたのは、どういうことだったんだろうか。ホームルーム中ということで、ある種の集団心理のようなものが発生したのかもしれない。けど、自分から声にかけに行く勇気はないということか。

「ねーねー、クルくーん。今日は一緒に帰ろーよー」

どうでもいい分析を続けているところに、ひなながわざと大声を出しながら近づいてきてくれる。もしかして、他の人が緊張しないようにあえてそうしてくれたんだろうか。

「構わねえけど、今日バイト入ってんの?」

彼女の気遣いをありがたく思いつつ、俺はいつもと変わらない様子で言葉を返す。

「うん、午後からだけどね。夜桜でお昼いただいてそのまま仕事に入ろうかなって」

「おっけ。それなら行くか」

そんな会話を繰り広げていると。

「霞河くん、夜桜に住んでるって本当だったんだ……」

横から一人の女子生徒が尋ねてきてくれた。

快活そうなポニーテールの女子だった。

名前は確か、水原亜子みずはらあこ。一番窓際の列の一番前の席だったはずだ。

「そうだよ。夜桜の女将さんが俺の叔母だから、下宿させてもらってるんだ」

なるべく威圧感を与えないよう普通に、なんなら微笑も浮かべて答える。

笑顔がぎこちなさすぎて、若干変顔になってたかもしれないが。

「そうなんだ。旅館のお部屋ってやっぱり綺麗なの?」

「ああ。めちゃくちゃ綺麗だよ。一応自分で掃除もしてるけど、俺の留守中に中居さんも掃除してくれてるみたいだし」

「マジで!? いーなー。わたし、掃除とか大嫌いだからいつもお母さんに怒られてからじゃないとやらないんだよねぇ」

たははー、と水原が右手で頭を押さえる。

ポニーテールがふわりと揺れる。

同時に柑橘系の匂いが鼻腔をくすぐってくる。香水、それとも制汗剤の匂いだろうか。

「あ! 私もクルくんのお部屋掃除したことあるよ!」

突然、ひななが衝撃的なカミングアウトをかます。

……まじ?

今度は俺が驚く番だった。

「まじまじ。あ、でも引き出しの中とは見てないから安心していいよ!」

あっけらかんとひななはいった。

いや、そういう問題じゃない気がするんだが。

年頃の女の子が同い年の男子の部屋を掃除するってアリなの?

俺は絶対ダメだと思うんだが、彼女の方は全く気にしてないみたいだから別にいいかと思えてくる。

俺も洗った洗濯物はちゃんとしまうようにしてるし、見られてる困るようなもんは一切持ってないし。そもそも俺の私物といえば、服を除けばダンベルとか筋トレ用品ばっかりだし。

しかし、やはり周りはそんなふうに簡単に納得できないわけで。

「霞河くんのお部屋を掃除って……それ、大丈夫なの?」

水原とは別の女子が不安そうに聞いてくる。

そりゃそう思うよな。

そんなふうに考えながら、俺はひななが何て答えるか伺う。

「んー、クルくんだし大丈夫だよ」

ひななは顎に人差し指を当てながら答えた。

言ってることに何の根拠もないんだが、それでいいのかうら若き乙女よ。

案の定、水原は「ええ! やばいでしょそれ……」と引いていた。

しかしすぐにその言葉が俺に突き刺さっていることに気づいて、「あ、ごめん」と謝ってくる。

「いいよ、俺もそう思うし」

「ええ、クルくんはやばくないよー」

「あはは……ひなながそう言うならいいのかな」

まるで信憑性のない言葉だが、そう自信満々に言い切られてはみな頷くしかなかった。

そうして会話が途切れた瞬間だった。

「霞河くん!」

後ろの入り口から、大声で呼びかけられる。

この声は若宮か。

一瞬、今度は何の用だ、と思ったが、すぐに思い出す。

そういえばこいつ、後で話そうとか言ってたっけ。

ホームルームが終わるならすぐに出てったから、てっきり忘れてくれたのかと思ったのだが。

トイレにでも行っていたのだろう。ハンカチで手を拭きながらこっちへやってくる。

「よかったー、まだ帰ってなくて。さっきの話の続き、いいかな」

「なんだ? 剣道ならもうやんないぞ」

何か言われる前に先手を打っておく。

「ははは、まぁそう言わないでよ。別に僕だって今すぐ始めろとはいわないよ」

若宮が笑う。

対して俺は、どういうことだ。と頭に疑問符を浮かべる。

今すぐ勧誘する気が失せたのか?

そう思って少しホッとした気持ちになったのだが。

「まずはうちの部活に見学に来てみない?」

どうやら違ったらしい。

なるほど。やる前にまずは見ろ、と。

答えはもちろん──。

「断る」

はっきりと言い切る。

このときばかりは、威圧感を与えないように、などと配慮する余裕はない。むしろ威圧感を醸し出すように、バッサリと言い切った。

「んー、これは手強いねえ。他に何か入りたい部活とかあるの?」

しかし、真司に気圧される様子はない。肝が座っているのか、単に鈍感なのか、どっちなんだろう。

「それは……ないけど」

「じゃあ、いいじゃないか。一回だけ見に来てみない?」

「行かない」

確かに部活はまだ決まってないし、何かやってもいいかなーとは思ってる。

でも剣道だけは絶対にありえない。

だから。

「悪いな。俺、剣道嫌いなんだよ」

語気を強くして、万が一にも聞き逃されないようにはっきりと言葉を放つ。

「そっか……」

若宮が悲しそうに顔を伏せる。

こうなるのがわかっていたから、ここまで剣道が好きだ好きだといってるやつに、これはあまり言いたくなかった。

でも、こうでもしないとお前は諦めてくれないんだろうし、仕方ないよな。若宮よ。

だがそれは甘い考えだったようで。

「でも、嫌いならまた好きになれると思うんだ」

「いや、そう言われても……」

本気で言ってんのかこいつは。

嫌いならまた好きになれるって、その逆もあるってことにどうして気づかないんだか。

何も俺だって、最初から剣道を毛嫌いしてたわけじゃないさ。ただ、全然上達しなくて、同い年の門下生に馬鹿にされて……それで嫌いになったんだ。

それに、身近にいる優秀な人と比較されるのも辛かったし。

けど、そんな事情は言いたくない。恥ずかしくて胸のうちに封印した過去ってやつだからさ。

でも、それを伏せて若宮を納得させるのは難しい。

ていうか、それを包み隠さず話しても、若宮は「そんなの……僕は絶対にしない! それに、鍛錬してればいつかそんなことも言われなくなるさ!」とか平気でいってきそうだ。

そんなふうに考え込んでいるに、俺は気づく。

ひななの目が険しくつり上がり、額に青筋が浮かんでることに。

「もー、真ちゃん。あんまりしつこいと嫌われるよ?」

不自然なくらい穏やかな声で、ひななはいった。

「ん……そんなにしつこかったかな?」

「しつこいよ。クルくん嫌がってるじゃん。それに、クルくんはこれからわたしと帰るんだから、見学はできないよ」

「な、なら別の日にでも──」

「しんちゃん?」

「……わかったよ」

おお、すげえ。

ひななのやつ、あの若宮を黙らせてしまった。

っていうか、普段の様子からは全然想像つかないほどの威圧感だったんだが、どうしたんだ?

「あはは、ひななと真司って幼なじみだからさ。お互い遠慮ないって感じなんだよね」

「そういうことね」

水原が苦笑いを浮かべて解説してくれる。

なるほど。

だからやたら親しげなんだな。

呼び方も真ちゃんって砕けた感じだし。いや、それは幼なじみとかじゃなくて、ひなな本来の性格かな。

「それと、真ちゃん部活には行かなくていいの? 剣道部って時間結構厳しいんでしょ?」

「あ、ああ。そうだね。もう行くとするよ。自主練もしておきたいし」

「自主練いいと思うよ。がんばってね」

「ちょ、ひなな! お、押さないで……」

「ほら、いったいったー!」

二人で押し合いへし合いしながら、出入り口の方向へ移動していく。

あんなふうに気兼ねなく言い合えるってのは正直羨ましいな。

あれが幼馴染、ってやつなんだな。

「ちょ、まだ荷物を置いたままなんだけど!」

「じゃあ、早くとっていきなさい! ほら早く!」

「わ、わかったわかった! わかったよ!」

まあ、俺の目には親子のようにも見えるんだけど。

ブチブチと文句をたれ流しながら若宮が出ていって。

とことことひななが俺たちのもとへ戻ってくる。

「クルくん、さっきは真ちゃんがごめんね……」

「ん。ああ、それはいいけど」

「けど?」

「いや、なんか若宮と話してるときとは随分雰囲気変わるなって」

若宮と小競り合いを繰り広げていたときの険しい形相からは一転して、ひななの様子は元々のほんわかした空気に戻っている。

その変化の幅があまりに大きくて、俺はまだ驚きを引きずっていた。

「あはは、真ちゃんって結構強引なところあるからね。あんなふうに強く言わないと人に迷惑かけちゃうから」

「そっか」

正直なところ、すでに大迷惑なんだが、本気で申し訳なさそうにしてるひななを前にそんなことはいえず、俺は頷いた。



その後、微妙な空気を断ち切るように、すぐに解散となった。

帰り道。ひななと二人肩を並べ、くだらない世間話に興じながら、話の途切れた合間合間で学校でのことを思い返す。

今朝教室に入った時は本気で嫌われてるのかと思って軽く参ってしまったが、水原も他の奴らもみんな、話してみればいい奴ばかりだった。

若宮に横槍を入れられたこともあって、大した話はできなかったが、今日のところは話しかけてもらえただけでも十分だ。

まだ新生活は始まったばかりなんだ。

これから何日もかけて仲良くなっていけばいい。無論、今日話しかけてくれなかった人たちともな。

そんなわけでクラスに馴染めるかという不安は解決したのだが。

引き換えに新たな悩みの種も二つ獲得してしまった。

「はぁ……」

思わずため息が漏れる。

「わ。ため息なんて吐いて、どしたの?」

ひななが心配そうに顔を覗き込んでくる。

少し顔が近い。

「ああ、ちょっと考え事してた」

答えつつ、俺はわずかに間合いを広げた。

「考え事? 何考えてたの?」

「んー、まぁちょっとな」

新たに獲得した悩みの種とは、若宮と紅野のことだ。

まぁ、紅野の方はいつかまともに話せるようになるといーなー、ってくらいだが、問題は若宮の方だ。


今日のところはひななのおかげでなんとかなかったが、これからしばらく勧誘が続くと思うと気が滅入ってくる。

あいつがそう簡単に諦めるとも思えないし。

「いっそ、なんか部活にでも入っちまおうかなー」

部活に入ればさすがの若宮も諦めるだろう。

そんな魂胆がほとんどだが、前々からせっかく高校生になったんだし、何かスポーツを始めてみようかとは思っていた。

「クルくん、部活始めるの?」

「始めるかはわからないけど、見学くらいならしてみようかなとは思ってるよ。来週の木曜に部活動体験ってのがあるんだろ? そこで色々見て回ってみようかなって」

剣道は断固拒否だが、他の部活には興味があったりする。そもそも俺は身体を動かすのは好きなのだ。

「あー、そういえばそうだったね」

ひななが思い出したように頷いた。

「でもあれ、多分中学生の子しか来ないけどね」

「そうなのか?」

「うん。うちの学校って人数少ないから部活は中学と高校で合同なんだよね。で、部活に入る人は大体中学校の頃から続けてるから」

なるほど。

人が少ないとそういうこともあるのか。

たしかに古川高校と古川中学はほとんど離れていないし、十分往復できる距離ではあるが。大会とかそういうのはどうするんだろう。中学と高校別々に申し込めば済む話か。

「クラスのみんなも大体部活入っちゃってるし、帰宅部の子達はバイトとかお家のお手伝いをしたりしてるから、みんな帰っちゃうし……」

「そりゃそうだろうな。まぁ、俺は別に一人でも問題ないけどさ」

「ごめんね。本当は私がついていってあげたかったけど、その日はシフト早めに入れちゃってて」

「仕事なら仕方ないな。頑張ってくれ」

ひなながダメ、となるともう俺には誘うアテなんてない。

でも、元々一人で回るつもりだったんだから別にいいさ。



しかし。剣道部の見学を断っておいて部活動の体験に行くってなると、当然若宮が黙ってるはずもなくて。

俺は結局剣道部の体験に行くことになってしまった。

どうしてそうなったかというと、原因は主に二つ。

その翌日に、若宮に「俺は他の部活に入るつもりだから勧誘はやめてくれ」と断ったところ、想像以上に粘られて金曜日の体験に参加することを話してしまったことと。

そして若宮真司という人間を甘く見ていたことに尽きる。

どうやら俺は、紅野が言っていた「厄介なやつに目をつけられた」という言葉の本当の意味を、まるで理解できていなかったようで。

始業式の翌日から金曜日までの数日間、「他の部活を体験するならぜひ剣道部も!」と、ありえないくらい執拗に勧誘を受けてしまった。

まず、火曜日の朝だが。

通学路の途中の公園に、竹刀袋を抱えた若宮が待ち伏せていた。

俺が公園を通りかかると、汗だくの若宮がいきなり飛び出してきて「やぁ。良かったら少し汗を流していかないかい?」なんて言い出すもんだから、あの時は一瞬不審者かと思って本気で迎撃しかけてしまった。

そして断っても断っても、ずーっとしつこく追いかけてきて、俺は本気で気が滅入りかけてきたのだが、そんなものはまだ始まりに過ぎなくて。

学校では授業間の休み時間に絶え間なく俺の席に寄ってきて勧誘。

そうなったら大抵はひななが止めてくれたのだが、彼女がいない場合ももちろんあったりして。

一度眠ってる側で騒ぎすぎて紅野にブチギレられたりと、学校では心休まる時間がなかった。

以上のことが何日も続いたうえに、挙げ句の果てには、いったいどこから手に入れたのかラインのメッセージも送ってくるし(もちろん、いまだに無視し続けている)、本当に大変だった。

そんな狂気じみた猛アタックを受け続けた結果、とうとう俺は今週の月曜日に根負けしてしまって。

機能の放課後に「わかった! わかったよ! ……行けばいいんだろ」と、ついやけくそ気味にうなずいてしまったのだ。

ただ、もちろん無条件でというわけではなく。

俺が剣道部も回る代わりに、真司にはいくつか条件を呑んでもらった。

条件は、部活動体験と名がついてはいるが、俺は絶対に練習に参加はせず、見学しかしないこと。

練習を見たうえで、まるで興味が湧かなかった場合、入部も仮入部もしないこと。

入部する気にならなかった場合、二度と剣道の話題は振らないでほしい。

の三つである。

彼は一つ目はともかく、二つ目と三つ目の条件に渋っていたが、俺が「これが呑めないなら絶対にいかない」と言い張ったことで、渋々といった様子でうなずいた。

ただ、代わりに向こうも二つ条件を出してきて。稽古は絶対最後まで見ていくことと、少しでも興味が湧いたなら意地を張らず、素直に認めてほしいとのことだった。

剣道部の稽古はかなり激しい代わりに、他の部活より早く終わるらしい。

理由は部員が少ないことで、大会参加が任意だから。どうしても大会に出たい奴は、全体稽古の後に個人稽古を行うというスタイルでやっているそうだ。

だから全体稽古を最後まで見ていっても、十分他の部活を回る時間はあるだろうと真司はいっていた。

それくらいならと、俺が若宮の条件受け入れたことで、ようやく勧誘地獄が終わってくれたというわけだ。

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