第7話 若宮真司

まもなくチャイムが鳴り、遅れてきた男子生徒と担任が同じタイミングでやってくると、整列させられて体育館へ向かわされる。

これから体育館で入学式が始まるそうだ。そのあとにホームルームをやって、今日は解散となるらしい。予定では十二時より前に終わるとのことだった。

入学式の後は始業式がある。ただし、そちらは新入生とは関係ないため、退出するように指示された。

そうして廊下を歩く途中。

「クルくん、クルくん」

背後から小声で呼び止められ、俺は「どした?」と振り向いた。

「クルくん、梓ちゃんと知り合いだったの?」

「ああ。ちょっとした縁でな」

「縁って?」

「こっちにきたばかりの時に道に迷ってな。その時道を聞いたのがあいつだったんだよ」

咄嗟に思いついたにしては、もっともらしい言い訳だったと思う。

実際ひななも頷いてくれたし。

けれど、すまん。それも嘘なんだ。

なんだか、ひななには嘘ばかりついてる気がする。しかも彼女は純粋な心の持ち主なのか、俺のいうことは何でも信じてくれる。そこにつけ込んでるみたいですごく申し訳ない。

ただ、本当のことを説明するとなると、バルコニーのことに触れざるを得ないんだ。それはしない約束になってるから、許してくれ。

とはいえ、ひななにとっては俺と紅野が知り合うきっかけはどうでもよさそうで、他に何か言いたいことがある様子だった。

なので。

「なんか言いたいことあんなら言っていいぞ。別に怒ったりしないから」

そんな風に催促してみる。

もう教室も近いし、雰囲気から察して紅野には聞かせづらいことだろうからな。

ちなみに今、周囲に紅野はいない。あいつは式が終わると同時に、そそくさと戻っていったからな。

そういうわけで、あいつの悪口をいうには今が最適な瞬間なのだ。

陰口とは感心しないが、これは流石に紅野の自業自得と言わざるを得ない。あいつ自身が叩かれても仕方ない態度取ってるからな。

今朝の感じからして、誰にでもあんな態度なんだろうし。

いくら聖人のひななでも文句が言いたくなるんだろう。

ひななが歩く速度を落としたので、それに俺も合わせる。

「えっとね……梓ちゃんって、少しとっつきにくい感じがするんだよね」

ほら来た。

「そうだな」

とりあえず同意してみたが、あれはとっつきにくいというより、弾かれるの方が正しいと思う。

不用意に近づきゃトゲが刺さってこっちが怪我する。まるでサボテンみたいな奴だ。いや、白薔薇の方が近いかな。悔しいけど、見てくれだけは綺麗だし。

そんなことを考えていると。

「だからさ、仲良くしてあげて欲しいんだ」

「……へ?」

「梓ちゃん、いつも一人で寂しそうにしてるから、お友達になれたらいいなって思ってるんだけど……私たちじゃダメだから……」

ひななは悲しそうに目を伏せていった。

あれ、意外だな。

話の流れからして、梓ちゃんとは関わらない方がいいよ。

とか言われると思ったんだが。

どうやら汚れてたのは俺の心の方だったらしい。

そして俺の想像以上に、ひななは清純な心の持ち主だったようだ。

見くびっていてすまないな。

だがそれよりも、だ。

「そりゃまぁ、隣だし普通に話しかけるけどさ。なんでお前らじゃダメなの? あんな遠巻きに見てるくらいなら、自分たちでも話しかけてみりゃいいじゃん」

あ、やべ。

少しきつい言い方になってしまった。

ひななの顔がハッとして曇る。

すまん。別にそんな顔させたかったわけじゃないんだ。

ただ俺は不思議に思っただけなんだ。

なんでそんな保護者みたいな言い方するんだろうって。

だってそうだろ。

紅野が近寄りがたい態度を取るなら、単にほっとけばいい話だ。そんなやつをわざわざ気にかけてやるなんて、ただのお節介にしては度が過ぎている。

「……できたら私たちもそうしたいんだけど、でも私達じゃダメだったんだよね」

ひななが悲しそうに目を伏せる。その姿はまるで、グレてしまった息子を心配する母のようだった。

「ダメだったって、過去に何かあったのか?」

「うん。まぁね……」

あれ、はぐらかされてしまった。

まぁいいさ。話したくないなら深くは聞かないでおいてやる。

興味ないわけじゃないが、どうしても知りたいわけじゃないし。

それにもう教室が近いから、話は終わりにせざるを得ない。

教室の扉は開きっぱなしになっていた。中からは笑い声が聞こえてくる。

先にひななを通し、俺は後から入った。

すると、視線が俺に集まって、みんなパタっと話を止めてしまう。

そんな縄張りを侵された小動物みたいな反応されると、すごく傷つくんだが。

「……なあ、ひなな。俺、なんでこんな嫌われてんの?」

小声で目の前のひななに尋ねる。一応、周囲には聞こえないよう声は抑えておいた。

「あはは……多分、嫌われてるわけじゃないと思うよ?」

「そうか?」

「うん。多分、新しく入ってくる人なんてほとんどいないから、戸惑ってるだけだと思う」

なるほど、そういうものか。

長い間身内だけで過ごしてきたから、逆に警戒心が強いってことなのか。

それなら、さっきの俺の小動物って例えはあながち的を得ていたんだな。

ホームルームの開始時刻まで十分程。

その間暇なので、俺は自分の席に座ると集団の方に目を向け、クラスメイトたちの姿を横目に観察し始めた。

さすがの彼らも四六時中俺を見ているわけではなく、それぞれ俺が来たことで中断したであろう話を再開しはじめた。

このクラスは人数が少ない。とはいえ、そのほとんど──十三人(紅野と俺以外)もの人数が窓際に集まれば自ずと人口密度は高くなる。

そうなると、当然グループもいくつかに分かれる。

まずは三人の男子だけで後方に集まってる奴ら。全員特筆すべき容姿でもなく、至って平凡な学生って感じだ。もしかしたら何か特技を持ってるのかもしれないが、俺はしらない。あえて特徴を挙げるとすると……少し根暗な雰囲気が漂ってるかもしれない。

話してる内容はなんだろうな。鬼だとか柱がどうとか……えーっと、漫画かなにかか? 身振り手振り、時々声が大きくなったりしてるのでかなり盛り上がってるようだ。そんなふうに楽しめる趣味があるなんて羨ましい限りだ。

窓際中央あたりの女子グループの方も同様。ただしこちらは前者とは逆。

特に話をしたりせず、それぞれスマホをいじっている。時折二言三言会話するだけで、話が盛り上がったりはしない。随分ドライな関係なんだな。

そして最後に、前方の男子と女子が混ざりあった七人のグループ。

そこは体育会系っぽいやつが集まってて、女子の方も活発そうなやつが集まっている。ちなみにひななもここにいた。

話の内容は色々。担任のことだったり、高校を卒業したらという遠い先のことだったり。

そういえば、俺は高校を卒業したあとのことなんて全く考えてなかったな。とりあえずこっちに来るすることばかり考えてて、将来設計のことなんて何も考えていなかった。

まあ、そういうのはおいおい見つけていけばいいか。

それより、そのグループの中に大柄の男子が二人。二人だけ明らかに体格が違うやつらがいる。

さっき俺が考えた明らかに小動物にそぐわない体格の奴らとは、彼らのことだ。

片方は丸坊主で全身余す所なく筋肉がついている。どう見ても野球やってるんだろーな、と思わせる容姿だ。ちなみに顔は厳つく、肌は浅黒い。俗に言う強面ってやつだ。

もう一人は……朝遅刻してきた男子生徒だった。

名前は多分、若宮真司わかみやしんじ。出席番号最後にしるされていた名前だったので、彼だけは覚えていた。席も窓際の一番うしろだったし、間違いないはずだ。

髪の長さは普通で、顔立ちはあっさりとしている。そして、肌色は白っぽい。(もちろん、紅野とは比べるまでもないが)

要するにイケメンというやつで、野球部の男子とは対照的な顔つきだ。

体型は、下半身はがっしりしてるものの上半身はすらりとしている。

ただ異様に腕が太く、特に左腕の筋肉が多い。テニスでもやってるのだろうか。

いや、違うな。あれは多分──まぁ、他人の事情なんてどうでもいい話だ。これ以上考えるのはよそう。


そう思って彼らから目を離そうとした寸前、イケメンな方と目が合ってしまう。

すると彼はニヤリと笑って、立ち上がった。そして俺の方へ歩いてくる。

クラスの人達がみんな、「え、いくの?」みたいな顔で彼の背中を見つめる。

けど、これだけは言わせてほしい。

この時一番驚いていたのは間違いなく俺だ。「え、くんの?」って心の中で鋭く突っ込んでた。

ちらっと時計を見ると、もうホームルームが始まるまで五分もない。

え、このタイミングでなんで近づいてくるんだ。

まさか、見られてるのが不愉快だったから文句を言いに来たとか?

「やあ、君が霞河くんだよね」

あれこれ考えてる間にイケメンは俺の前までやってきてしまう。

ただ、声の調子に怒りの成分は含まれていなかった。

純粋に挨拶に来たような雰囲気だ。

「あ、ああ。俺が霞河来人だ」

なんとか返事は返すが、まだ頭の中は戸惑っている。

そこにさらに、後ろから舌を鳴らす音が聞こえて、反射で振り向く。

振り向くと、紅野が突っ伏して寝ていた。

こいつはさっきまで、相変わらず不機嫌そうに頬杖をついてボーッとしていたはずだが……いったいなんなんだ。

「はは。紅野さんは相変わらずだね」

イケメンが爽やかに笑う。

「……何の用だ」

しまった。

また感じの悪い言葉遣いになってしまった。

別に相手に悪気は無いのに、身体が無意識に警戒してしまう。悪い癖だな。これから直してかないと。

しかし。

イケメンはまるで意に介してなさそうに再び笑った。

「はは、用ってわけでもないけど……視線を感じたからね」

視線を感じたって。お前らだって散々俺のこと見てただろうが。と、言いたいところだが。

生憎こいつ(と、一応紅野とひなな)だけはほとんど俺を見ていない。

というのも、こいつは朝遅れてきて俺のことを気にする暇はなかったし、さっき俺がひななと戻ってきたときも、ちらっとこちらを一瞥するだけだった。

話を中断したのも周りに合わせた感じだったし。

とにかく、不躾な視線を送ってしまったことは謝っておこう。

「すまん。別に不快にさせるつもりはなかったんだ」

「はは、別に不快になんてなってないよ。僕は若宮(わかみや)真司(しんじ)、よろしくね」

「お、おう。よろしく」

知ってた。とはいえず、差し出されたを握り返す。……ん、左手?

目をパチクリとして、つながった手を見る。間違いなく左手だった。

かつて父親に教わったことだが、握手というのは出した手で意味合いが変わる。

右手の握手は友好の意を示し。

大して左手でする握手は敵対の意を示す。

左手を差し出してきたということは、つまり──。

「……うん。なるほどね」

若宮が意味深な言葉と共にうなずく。

なるほどって。若宮よ。お前は一体何に納得したんだ。

疑問の答えはすぐに返ってきた。

「君、剣道やってるな?」

握った手が離れ、確信をもった様子で尋ねられる。

──ああ、そういうことか。

「ん、ああ。やってるんじゃなくて、やってたんだけどな」

俺は素直に頷いた。

「でも、よくわかったな。誰にも言ってなかったのに」

なーんてな。

わざわざ左手を出してきたのはそれを確かめるためだったんだろ。

「はは、春休み中にひななにメールで聞いてたからね。今度新しく来る人は剣道やってるかも?って」

そうか。そっちの線もあったか。

俺は遠くのひななをチラッと見る。

すると同じくこっちを見ていたひななが、ペロッと舌を出した。

それから口パクで「ごめん。口が滑っちゃった」と謝ってくる。

別にいいよそれくらい。剣道やってたこと自体は何がなんでも隠さなきゃいけないことじゃないし。そもそも、部活の話が出た時に先に口を滑らせたのは俺なんだから。文句を言える筋合いがない。

それに……多分いずれバレてたことだ。

「君の手を握ったら一瞬でわかったよ。指の付け根の皮膚が固くなってる。相当振ってきた証拠だ」

やっぱそうだよな。そうだと思ったよ。

ちなみに俺も握った瞬間に気付いていたぞ。向こうが剣道に相当打ち込んでいるうえに、上手いんだろうなってことは。

そう思った理由は簡単。

若宮の左手は、薬指の付け根付近が非常に硬かったからだ。

剣道で竹刀を持つとき、左手を柄先に右手を鍔元に添えて構える。

この時、自分は右利きなんだから逆にしちゃダメなの? と思う人は、ぜひその辺にある長い棒状のもので試して欲しい。きっと左手を柄先に持ってきた時と比べて、振りにくく感じるだろうから。

そして剣道に置いて重要なのは、小指と薬指の握力で振ること。右手は竹刀を振り下ろした際にキュッと絞ることで、敵の体に当たった時に思いきりのいい一打を繰り出せるのだ。

無論、素振りもそれを意識してやることになる。だから左手の薬指付け根付近の皮が重点的に固くなるというわけだ。

もし右手に過剰にタコができたり、左手の人差し指付近にばかりタコができる人は、力の入れ方が間違ってるので考え直してみるといい。

と、偉そうに講釈たれる俺の左手は、全体的に皮膚が固くなってしまってるわけだが。

「でも、こんなところにも豆ができてるのはいただけないなあ。もう少し修行が必要なんじゃないか?」

うるせえ、ほっとけ。

俺だって、トレーニングはちゃんと考えてやってんだよ。

それでも、左手にまんべんなく豆ができちまうんだから仕方ないだろ。なんていっても、苦し紛れの言い訳にすらならないのだが。

「よかったら剣道部に入ってみないかい? 練習は厳しいけど……君ならきっと問題ないよ」

そして、流れるように勧誘される。

答えは当然。

「悪いな。もう剣道は随分前にやめたんだ」

「え、そうなのかい? じゃあこの手は……」

「やめたあとも道具は残ってたからな。素振りだけはずっとやってたんだよ」

そう。俺はもう剣道は何年も前にやめたんだ。

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