第4話

夜桜に戻ると、受付で事務作業をしていた真弓さんが出迎えてくれた。

どうやら、俺の帰りを待っててくれたようだ。

「服、どうしたの?」

戻ってきた俺を見てすぐ、真弓さんがぎょっとした顔でいった。

「あー……やっぱ目立ちます?」

俺は半笑いで服をつまんで伸ばす。

「めっちゃ目立ってるわよ。ヨレヨレじゃない」

「確かに。ヨレヨレですね」

真弓さんに指摘されて、うなずく。

裏路地から戻ってくるまでは気にならなかったが、改めて見ると鎖骨が露出するくらいには伸びてしまっていた。

確かにこれじゃ何事かあったのは明白だ。

「何があったの……って、まさかまた喧嘩?」

真弓さんが半目で問いかけてくる。

またって。いやまあ、事実ですけど。

ちなみに、そう言われるのはわかっていたから、答えは道中で考えてあった。

「いえ、違います。虫が中に入ってきたんで、慌てて取ろうとしたらビリっていっちゃって」

自然は笑顔を交えて、ごまかす。

「ふーん。虫ねえ……」

ジトーっと疑り深い目線で見つめられる。

しまった、流石に嘘くさすぎる言い訳だったか。

「そ、それより部屋に案内してもらえませんか? 俺、疲れちゃって……」

俺は襟足を触りながら、逃げるように話題を逸した。

真弓さんは、そんな俺をしばらく訝しむような視線で吟味し続けていたものの、

「……ま、いいわ。揉め事起こすにしても、誰にもばれないようにしなさいよ。大事にならなければ目は瞑るわ」

頬を手で抑えると、盛大なため息を漏らした。

「……肝に銘じときます」

うなずきながら俺は、この言い方、確実にバレてるな、と思っていた。

まあ、この人は俺が向こうでどんな生活を送ってきたか知ってるから、隠し通すのは無理だとわかっていたさ。

でも、さっきみたいなのは本当に不幸な偶然が重なってしまっただけで、俺はもう絶対にそういうことをするつもりはない。

テスト勉強に追われて焦ったり、気の置けない友だちを作って、放課後にスイーツを食べに行ったりするような普通の学生生活を送りたい。

そう願って、わざわざ遠い九州から古川町にまで来たのだから。




「じゃ、ここがあなたの部屋よ。前と同じでごめんね」

真弓さんに案内してもらったのは、八畳間で畳張りの部屋だ。

とある事情から客に貸せなくなった部屋らしいが、ぱっと見ただけでは普通の客室と遜色ない。

「いえ!全然大丈夫です。ありがとうございます」

戸を開けてくれた真弓さんにお礼をいって、俺は靴を脱ぐ。

入り口は二重になっていて、ドアを開けたら靴を脱ぐ場所があって、左に洗面所とトイレがある。

洗面所の奥には浴槽もあるのだが、大浴場があるのにわざわざ部屋の風呂を使う物好きがいるだろうか。それとも、何らかの理由で人前で肌を晒すことが出来ない人への配慮だろうか。

右は靴を入れる押入れになっている。中には旅館用のスリッパが入っている。

正面のふすまを開けた先は、純和風といった感じの部屋になっている。

一応、服を入れるためのクローゼットや電子レンジ、小型冷蔵庫など和を乱すものもおいてあるのだが、それ以外は全て和の雰囲気で統一されている。

ただ、その雰囲気をぶち壊す存在がある。

中央に羽毛布団を敷くため、寄せられたちゃぶ台の隣に積んである三つのダンボール箱だ。

それらの中身は全て、事前に送っておいた俺の服と私物だ。

服は数少ない私服と寝間着。私物は鉄アレイとかハンドグリップとか、筋トレに関わるもの。あとは受験勉強で使っていた筆箱とか余ったノートだ。買い直すのも面倒なので、ついでに送っておいたのだ。

そのダンボールさえなければ侘び寂びを感じさせる内装で、目立った汚れや傷があるわけでもなく、何も言われなければ曰くつきの部屋だとは思わなかっただろう。

「一応聞くけど、タバコの臭いとか気にならない?」

聞かれて、すんすんと鼻を鳴らしてみるが、畳の匂いしかしなかった。

「全然気にならないですよ」

俺は首を振った。

「うん。それならよかった」

ホッとしたように笑う真弓さんを見て、俺は旅館業は大変なんだな、としみじみ思った。

この部屋を客に貸せなくなった理由。

それは数ヶ月前の冬頃に宿泊した客が、この部屋が禁煙であるにも関わらず、喫煙していたという事件があったからだそうだ。

旅館は部屋を貸す商売である以上、たった一回の喫煙でも、臭いがついた畳はすべて入れ替えないといけないらしい。

そうなると、当然張替え代金やらなんやらと出費が重なるし、面倒な手間もかかる。

しかし真弓さんは身内である俺であれば、そんな手間をかけなくてもいいと判断し、格安料金でこの部屋をあてがうことにしたそうだ。

もちろん、先方の勝手な判断ではなく、俺にも確認が来たが、俺は二つ返事でうなずいた。

一応掃除と消臭はしてくれると聞いていたし、実際泊まってみても臭いに関しては言われなければ気づかないほどの微々たるものだったので、不満などあるはずもない。

なにより本当に格安で住まわせてもらえたので、むしろお得な話である。

ちなみにそんな事情を知らない例の客は、きっちりと万単位の罰金を払わされたらしいが、気の毒だとは思わなかった。

「お風呂とご飯はどうする?」

「あ、食事は途中でしてきたので大丈夫です。とりあえずお風呂もらっていいですか?」

「いいわよ。場所はわかるわよね?」

「はい。大丈夫です」

「はーい。何かあったらスマホで呼び出してね」

「わかりました。ありがとうございます」

真弓さんが出ていくと、俺はほっと息を吐く。

今日はいろいろなことがあったが、ようやく肩の荷をおろせそうだ。

さて。これからどうしようか。

荷解きする。筋トレする。風呂はいる。もしくはこのまま寝る。

選択肢は色々あったが、俺はいずれも選ばず、布団の上に寝転がってポケットからスマホを取り出した。

それからラインのアプリを開く。

友達の欄には、母と真弓さんとひななの名前がある。逆に言えばそれしかない。

真弓さんには、部屋でなにか起こったり、なにか伝えたいことがあるときはラインを使うよういわれている。夜桜の施設は割と広いので、直接探したり館内電話を使ったりするのは面倒なのだ。

会話の履歴は、昨日の夜に「明日は何時頃に到着予定?」と聞かれ、「昼からの新幹線使うんで、夕方頃になると思います」と俺が答えたところでとまっている。

ちなみに、ひななの連絡先は、さっき追加したばかりだ。

彼女からメッセージが四件来ていたので、開いてみる。

『クルくん、今日は送ってくれてありがとう!』

『用事の方は大丈夫だった?』

『大丈夫だと嬉しいけど…今日からよろしくね!』

ところどころ顔文字や絵文字の入った文と、可愛らしいくまが投げキッスをしているスタンプが送られている。

いや、スタンプのセンスどうした。

無論俺が人に言えたことではないが、もっといいスタンプがあった気がするんだが。

まあ、あいつのセンス云々は置いといて。

俺はどう返信すればいいのだろうか。

真弓さんや母なら簡素な文で返せるのだが、ひななに同じ感じで返していいものか。

保護者から来るメールと友達から来るメールはわけが違う。

俺も絵文字を使ってみようか。なんて悩んだあげく、結局俺らしくないな。という結論に至り、結局ひとことだけ『おう。よろしく』と返しておいた。

そのあとに、『用事の方は大丈夫だよ。俺の方こそ途中で帰って悪かった』と付け加える。

それだけで満足してスマホをおいたところで、まだ肝心の連絡を忘れていたことを思い出す。そう、実は母についたら連絡してほしいと言われていたのだ。

謎のバルコニーで謎の少女に遭遇したり、変なやつに絡まれたりですっかり忘れてしまっていた。

母に『古川町に到着した』と送ると、今度こそ枕元にスマホをおいて立つ。

すぐにピコンと通知が来たが、無視した。

一番上のダンボールを開けて着替えを取り出すと、俺はそれを持って大浴場へ向かった。

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