第7話 母の形見

 レウスは冷たくなった母ユリアをおぶり、住み慣れた村を後にする。

 小脇に気絶したドレイクを抱えて。

 レウスは裏山の中腹を目指す。

 そこは、ユリアがレギアスと闘っていた時、レウスがいた場所だ。




「私に何かあったら、この箱を開けなさい。」

 二年ほど前、夕飯の席でユリアは真剣な顔つきで、レウスに言った。

「何かって?」

 レウスはユリアの置いた小箱を尻目に、夕飯のパンをシチューに浸しながら、ユリアに問う。


「あなたも、薄々気づいているでしょう。私がこの村で疎まれている事を。」

 ユリアは悲しげな笑みで、レウスを見つめる。

「聞きたくないよ、そんな事!」

 レウスはシチューの染みたパンに、ガブリつく。


 この頃、すでにこの村のガキ大将になっていたレウス。

 村の子ども達と無邪気に戯れる一方で、そんな子ども達は皆、どこか母のユリアを恐れているのを、感じていた。

 子ども達の親の態度は、更に露骨だった。これ見よがしにユリアの子と遊ぶなと、わが子を注意していた。

 そんな村の大人たちが、レウスは嫌いだった。

 そしてそんな大人たちと距離を置きながらも、無難に接している母ユリアが嫌だった。

 尊敬している母の、見たくない一面だった。


「聞きなさい、レウス。」

 ユリアの凛とした声に、レウスも食事の手を止めて、耳を傾ける。

 だけど、母の顔を見ることは、出来なかった。


「私はね、この村でただ一人、人間どもの魔族狩りの対象なのよ。」

 その言葉に、レウスもピクつく。

 ユリアから叩き込まれた武術。この武術の使い手がただの魔族ではない事を、レウスも感じ取っていた。


「だからレウス。私に何かあったら、この箱を開けなさい。」

 ユリアのその言葉に、レウスは顔をあげる。

 レウスは不安で、心が押し潰されそうだった。


 そんなレウスを、ユリアは優しく抱きしめる。


「この箱は、そうね。果樹園の奥の木の根元にでも、隠しておくわね。」

 と言いながら、ユリアはレウスの頭をなでる。


「え、待ってよ母さん。」

 レウスはユリアの腕の中で顔をあげる。

「母さんに何かあったら、果樹園も無事じゃ済まないんじゃない?」


 レウスのこの疑問は、実際に現実になっている。


「それもそうね。」

 ユリアはレウスに言われて、初めて気づく。

「この家の屋捜しくらいかと思ってたけれど、野蛮で強欲な人間が、それくらいで済ますはず、ないわね。」


 思えば、人の心の卑しさから、レウスの父と母は殺された。

 そしてレウスも、妹のレイアと生き別れる事も、なかっただろう。

 この事を、いつ、どの様にレウスに伝えるのか、ユリアは悩んでいた。

 いや、生き別れと言うより、死に別れだろう。

 これを言葉にするのが、つらかった。


「じゃあ、俺がとっておきの場所に、隠しておこうか?」

 ユリアの思案してる顔を見て、レウスは言う。


 最近、活発に行動しているレウスを、ユリアは把握しきれてはいない。

 ユリアに知らない場所を、レウスは知っているのだろう。


「それが良さそうね。」

 ユリアは、すんなりとレウスに箱を渡す。

「え?」

 そんな箱をすんなり渡され、レウスも戸惑う。


「その箱には、あんたが一人前になった時に、渡したい物が入っているわ。」

 とユリアは優しくほほえむ。

「じゃあ、その時渡してよ。」

 レウスは箱を突き返す。


「あら、あなたがとっておきの場所に、隠してくれるんでしょ?」

 とユリアは、レウスの言葉じりをとる。

「やだよ、こんなのいらないよ。」

 レウスは箱から手を離すが、ユリアはレウスの手を抑える。

 レウスは母の様子から、ただならぬ物を察する。

 自分が受け入れたくない物。

 今この箱を受け取ったら、そのただならぬ物も受け取る様な、不安。


「レウス、お願いだよ。私を困らせないでおくれ。」

 ユリアは、寂しげな笑みをみせる。

「ずるいよ、母さん。こんなの押しつけるなんて。」

 ユリアのそんな表情を見ては、レウスも断りきれなかった。


「分かってくれたかい。」

 ユリアは、レウスの手を押さえていた、自分の手を離す。

「この箱は、あなたのとっておきの場所に、隠しておいてくれ。私に何かあった時まで、」

「やだよ!」

 レウスはユリアの言葉をさえぎる。

「そんな事、言わないでよ。」

 レウスは今にも泣きだしそうな顔で、母を見る。


 そんなレウスを、ユリアは優しく抱きしめる。

 レウスは母の腕の中で、涙をこらえる。

 母は、自分が一人前だと認める前に、自分の前から居なくなる。

 そんな予感を、レウスは感じとっていた。


 レウスは、そんな母の覚悟も感じとる。

 自分がどんなに否定しようが、母は自分の運命みたいなものを、受け入れている。


「分かったよ。」

 レウスは、そう答えるしかなかった。


「済まないね、つらい思いさせちゃって。」

 ユリアは、優しくレウスの頭をなでる。

 ユリアにもレウスの葛藤が、手にとるように分かった。


「あ、あんたが箱を開けちゃったら、私にはお見通しなんだからね。」

 ユリアは、ちょっと怒った様な表情をみせる。

「あ、開けないよ!」

 レウスも、即座に返す。


 ふたりとも、これ以上しんみりした雰囲気に、耐えられなかった。



 そんな箱の隠し場所。

 それはレウスが今目指す場所。

 裏山の中腹のほら穴に、その箱は埋められていた。

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