1-2 その男子、柔道家で自衛官(志望)
「よっしゃいけ!!」
「踏ん張れぇえ!!」
保護者や部員の叫びと、畳の上で組んずほぐれつする肉体の音が、体育館に反響する。
あたしと仁輔の通う、
「ヨウイチ!! ファイト!!」
近くの女性の大声にたじろぐ。柔道の試合、どこかしらに大声自慢の親がいるものだ……ビックリするけど、コロナで声が出せなかった頃を思うと悪い気はしない。あの頃の
仁輔の出番を待ちつつ周囲に目を配ると、なじみの人を見つけた。
「
国語科の
「お、
「はい、息子がお世話になってます」
香永先生も柔道経験者で、去年まで柔道部女子班の顧問だった。今年度は女子部員がいないため先生も柔道部の担当は外れているのだが、何かにつけ男子班の応援に来ていた。負担軽減のために部活指導のアウトソーシングが始まる中、珍しい先生である。
「
「そうだよ、先生のおかげで古文楽しめるようになったもん」
香永先生、生徒の間では古典担当ガチャのURなどと言われている。
「九郷さんも仁輔くんも、熱心に聴いてくれて嬉しい限りですよ。手を挙げてくれる人は教師の強い味方です」
あたしが慕っているだけでなく、学校じゅうで香永先生は人気である。豪快な雰囲気と分かりやすい指導、そしてたまに披露される謎に圧倒的な歌唱力。過去には文化祭のカラオケ企画で音楽科の
数回ほど知らない生徒たちの試合を見守った後。
「あそこ、
咲子さんの指さす先、あたしも仁輔を見つける。次の出番だろう。
仁輔は分かりやすく体育会系らしい風貌だ。廃れつつある丸刈りに、威圧感もある切れ長の目。背は約180センチ、柔道では81キロ以下級。150センチ前半のあたしからすると格段にデカいが、柔道選手としてそこまで大柄ではない。
前の試合が終わり、仁輔が歩み出る。咲子さんと目を合わせ、同時に息を吸い込む。
「「頑張れ仁!!」」
二人で応援に来ていたときの恒例だ、咲子さんと声が揃うのが気持ちいい。
仁輔はこちらを向くことなく、相手に集中している。表情も崩れていないが、今ので気合いが入ったのがあたしには分かった、だって。
「……負けるな!」
小さく唱えながら、祈るように仁輔を見つめる咲子さん――こんな真剣に応援してくれるお母さんがいたら、全力になるしかないだろう。コロナで応援しづらくなった頃とか、やっぱり覇気に欠けていたようだし。
ぱっと見た限り、対戦相手は仁輔より重そうだった。経験を積ませるため、今は無差別で組ませているのだろう。
まずは組み手の攻防。互いに相手の袖を掴みにいく。すり足で間合いを調整しつつ、四つの腕が隙を探り合う。先に仁輔の右手が相手の左袖を掴んだ、左手も相手の襟に届く。相手も掴み返してきた、この距離になると体格の差が強調される。
仁輔が後退しようとする。追うように相手が踏み込んだ瞬間、その踏み足を仁輔が払っていた。
「いいよ!」
相手が倒れる、咲子さんの声が飛ぶ、しかし一本の判定は出ていない。すぐさま仁輔が相手の上半身を固めにかかり、審判の声が響く。
「抑え込み!」
会場が沸く。相手は仁輔を押し返そうとするが、その右腕を仁輔が攻める。手首を抱えてから二の腕を腿で挟み、肘関節を極める。相手は表情を歪め、数秒ほど抵抗していたが、やがて左手で仁輔の足をタップ。
「――そこまで!」
降参による一本勝ちである。歓声を上げつつあたしを引っ張る咲子さん……多分あたし、この笑顔が好きで仁輔の応援に来ているかもしれない。
一方の仁輔、勝利の喜びを表に出さない。落ち着いた表情のまま、丁寧に礼。古来の礼法にこだわるのが日本柔道だと聞いているが、仁輔のそれは徹底している。小学生の頃なんか、試合に勝っても「畳で笑顔だしちゃった……」と落ち込んでいたほどだ。
次の選手と入れ替わり、控えのスペースに戻ったところで仁輔がこちらを見る。手を振る咲子さんの横で、あたしは拳で胸を叩いてから突き出す。昔の特撮で好きだった仕草の真似だ。
仁輔が少しだけ笑ったのが、遠目でも分かる。その微かな笑顔が、柔道着によく似合っていて彼らしい。
「いやあ、いい試合だった。仁輔くんらしい」
満足げに手を叩いている香永先生。こういうときは経験者に聞いてみるのがいい。
「先生、今のどの辺がポイントだったんですか?」
咲子さんも「私も聞きたいです」と耳を傾ける。
「そうですね……まず仁輔くんが相手を投げた動き、くるぶしを払っているように見えたから出足払いですね。相手が踏み込んだ足を的確に狙っていたし、その足さばきを読んでいたんだと思います。相手の子は焦りすぎたかな」
心が乱れて負けた、とは仁輔からも聞いたことがある。
「けど綺麗に背中がつかなかったから一本にはならず。そこから横四方固めに行きかけて、抵抗してきた相手に腕十字を掛けています。仁輔くん、高校生になってから関節技の特訓したんじゃないですか?」
咲子さんが答える。
「そうですね。そんなに重くないので抑え込みが苦手で、安全に決められるようにって頑張ってました。中学の頃は投げで技有りを確保してタイムアップのパターンが多かったです……本人は一本取らないと満足しないみたいですが」
「そうですよね。仁輔くんの武器は冷静さと粘り強さだと思うんですよ。どんな試合でもセオリーを外さず、けど諦めず、丁寧に勝ちに行っている印象です。授業でも落ち着いていますし」
香永先生の評価は柔道筋では正しいのだろうけれど、あたしと咲子さんは笑ってしまう。
「すみません……息子、昔はやんちゃというか乱暴だったので。柔道を習わせたのは父の影響もあったんですけど、力を乱暴に使わない心構えを身につけさせたかったんです」
小一の頃、仁輔はあたしに悪口をぶつけた男子たちを殴って大騒ぎになった。上級生を含む三人を相手に一人で勝っていたので、半ば武勇伝のようにも扱うクラスメイトもいたものの、ケガをさせたことに変わりはない。咲子さんが何度も頭を下げているのを見て、仁輔も随分と反省したらしい。
「なるほど……そのお父様が自衛官なんですよね?」
「ええ。息子も目指して……いるのかな? そろそろ決めなきゃいけない頃なんですが」
仁輔の父・
仁輔の勝ちへのこだわりも岳志さんからの影響だ。自衛官にとって敗北の意味は重い、それは本番であれば自他の生死を分けるからだ――という重い理念を、小学生の頃から背負っている。
香永先生は頷きつつ、咲子さんに訊ねる。
「もしかして仁輔くんがウエイトつけないの、自衛隊に合わせてですか?」
「そうです、重すぎると不便だからって昔から」
柔道の個人戦では階級別が基本だが、団体戦では無差別のマッチになることも多い。それを考えると、体重があるに越したことはない。
しかし自衛官になることを想定すると、持久力やエネルギー効率の面で重すぎるのも問題である。実際、入隊時の身体検査の中でBMIの上限も決まっていたはずだ。
そうした事情から、仁輔はストイックに体重管理を続けつつ、重い相手を制する技術を磨き続けているのだ。それでいて成績もキープしている、努力家なのは間違いない。
「いやあ……つくづく立派な青年ですね、仁輔くん」
「いえいえ、先生のような方のおかげです」
ひとしきり仁輔を褒めてから、香永先生は他の生徒に呼ばれて去っていった。
「相変わらす先生には人気よねえ、仁」
咲子さんの言うとおり、仁輔は目上の人に好かれやすい。一方で堅すぎるのが敬遠されるのか、同年代との付き合いはそこまで広くない。あたしに関しては女子の間で浮きがちなので、二人ともこれだけ一緒にいるようになったのかもしれない。
肉体派イメージな仁輔とガリ勉なあたし。デカい仁輔とチビなあたし。周りから見れば正反対かもしれない。
けど、物心ついたときから一緒だったせいか、気づけば色んなところが似ていた。好きなヒーロー番組も、集中と休憩のリズムも、善悪の基準も。
一番似ているのは……と考えかけて、浮かんだ答えに吹き出す。
「なによ義花」
「や、なんでもない」
一番の共通点は、咲子さんを大好きなこと……とか言ったら、仁輔はどんな顔をするだろうか。溜息をついて呆れるのが目に浮かんで、やっぱり可笑しい。
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