1-3 時には将来の話を

 仁輔じんすけがフリーになったタイミングで、あたしたちも声をかけにいく。


じん、良かったよ~!」

「ありがと、母さん」

 仁輔の声は控えめだけど、目はちゃんと笑っている。中学生の頃は思春期らしいギクシャクもあったようだが、最近は一周して素直だ。


 あたしも歩み寄って、手をかざす。

「撃退、」

「完了、」

「未来へ、」

「ゴオゥ」

 あたしが振って仁輔が応える、パチンパチンと手を合わせる。特撮ヒーロー・撃隊げきたいシリーズでおなじみの勝利台詞である。あたしたちにとっても小学生の頃からの伝統だ、ちなみに彼が負けたときは真面目に慰める。


「いい試合だって、香永かえ先生も褒めてたよ」

「そっか、良かった」

「じゃあ午後も、負けんなよ」

「任せとけ」

「決めろ相棒、」

「見せろ最高、」

「「レッツ・バティ・タイム!」」

 仁輔にも用があるだろうので、いつもの特撮ネタで締める。こちらは十年前の名作『ペルソナイト双流ソウル』の決め台詞だ、あたしたちのバイブルである。


「仁、ファイトね~!」

 咲子さきこさんに励まされ、仁輔は背中越しに手を振って去っていく。見えない顔がちょっとだけ照れているのも知っている、妙に可愛いよなあ。


 午前中の仁輔の出番は終わっているので、あたしと咲子さきこさんは学校を出る。お出かけついでに、ペンデンツァという店でランチすることにしていたのだ。地元の食材を使った優しい味付けのイタリアンであたしと咲子さんは大好きなのだが、仁輔には「なんか味が薄いし足りない」と不評、パパも味覚が鈍感で値段ぶんを楽しめなさそうなので、この二人で来ることが多い。


 咲子さんはとても美味しそうに食べる。たまに口に合わないものを食べても、「美味しくない」ではなく「意外だねえ」と面白がる。それが好きで、一緒に食べる時間は逃したくない。

 料理の感想を交換していると、咲子さんに料理を教わっていた頃を思い出す。仁輔と二人で基礎から教わったのだが、細かすぎるあたしと大雑把すぎる仁輔を同時に相手取るのは難しかっただろう。けど咲子さんはどんな小さなことでも褒めてくれた、だから楽しく練習できた。


 パスタも終わりかけてきた頃、先ほど気になったことを訊いてみた。

「ねえ咲子さん」

「うん?」

「仁、進学どうするの? 防大?」

「ああ、それね~」


 香永先生との話で、仁輔の志望が定まっていないような口ぶりだったからだ。確かにあたしも、最近は「防大を目指す」と聞いていない。中学の頃はそればかり言っていたが。


「なんか最近、ほんとに自衛隊でいいのか迷ってるみたい」

「ふうん……岳志たけしさんに何かあったの?」

「ううん、お父さんは特に。いや、隊の中で何かあっても分からないんだけど」

「だよね、じゃあ海外で色々起こったから?」

「その辺のニュースも追ってはいるけど……あの子、そういうのあるほどやる気出すじゃない」

「確かに」


 仁輔は父親に似て正義感と使命感の塊である、たまに危ういくらいに。自衛隊という組織の意義が高まる時勢であるほど、彼のモチベーションは上がるはずだ。


「あのね、義花よしかにこれ言うのもよくないんだけど」

「ああ……将来あたしとどうするか?」

「そう。もう高二になると、ね」


 あたしと仁輔は付き合っているのか、という質問は飽きるほど聞いてきた。外では面倒なのでカップルとして振る舞うこともあるが、周りの友人には「彼氏じゃない」と本当のことを伝えている。実際、いわゆるお付き合いの手続きは一度も経ていない。とはいえ。


「あたしさ、独身もアリだとは思うけど、結婚するなら仁がいいよ。いつかはママになりたい気持ちもあるし」

「私だって、あなたたちが結婚してくれたら一番だけど」

「うん、それに咲子さんと正式に家族になりたいし。けどさ、もう家族なんだよね意識として。咲子さんはママ……というか、今はお姉ちゃんだし、仁も兄弟だから今さら恋心とかはね」


 仁輔と一緒に過ごすのは苦にならないし、それだけの間合いになれそうな他の男性もいない。熱烈に結婚したいかと聞かれると微妙だが、するなら彼だろう。そして、それがお互いの人生にとってベストだろうとも分かる。


 そうした距離感には咲子さんも納得らしく、うんうん頷いている。

「仁はもうちょっと、あなたとの将来に積極的ぽいけど……けど義花がしたくないなら全然いいの」

「したくないって訳でもないんだよなあ、踏ん切りつかないだけで。あいつのこと尊敬はしてるし、誰かのために大変な仕事する人のことは支えたいって思う」

 それこそ、任務に励む岳志さんの不在を咲子さんが守り続けているみたいに……あたしはそんな家庭的じゃない気もするが、そこはまだ子供だし。


「仁も真面目だからなあ、本気を固めないとあたしに言ってこないよねえ」

 仁輔がはっきり望んでくれたら、ここまで悩むこともない――というのは、やはり逃げだろうか。とりあえず、もう少し咲子さんに聞いてみる。


「それで仁は、どんな懸念してるの?」

「幹部自衛官になったら転勤はつきものだし、家を空けることも多いじゃない。それにあなたを巻きこんでいいのか、気にしてると思うの」

「岳志さんがそうだったからね」


 仁輔は自衛官である父を尊敬している、それは間違いない。

 しかし仁輔は、岳志さんの不在をカバーするための咲子さんの苦労も身に沁みて分かっている。


「後は私にも気を遣ってそうなのよ、あの子。旦那だけじゃなくひとり息子まで自衛官になると、さすがに心配が増えすぎないかって」

「ああ、それはね……咲子さんは仁にどうしてほしいの?」

「正直、もっと安全な仕事にしたらってのも思う。けど、仁に似合うのってどうしても自衛隊とか警察じゃない? やりたいって言うなら止めたくはないの」

「だよねえ、スーツで営業してるのとか浮かばない」


 そして、仁輔の話だけで終わるはずもなく、あたしの進路に話題が移る。

「義花はもう薬学系に絞るんだっけ」

「そうだね、研究開発も興味あるけど薬剤師の方が都合効きやすそうかな……国公立マストとして、どこまでかは決めてないけど」

 昔から理科が好きだったし、パパも咲子さんも生前のママも同じ製薬会社の社員である。ライフスタイルの変化にも合わせやすい資格だろう。


「だから、仁が自衛官になったとして、あたしが転勤についてくってのも……まあ無理ではない、かな。子供生まれたりすることも考えれば、できれば地元にいたいけど」

「都会とかは興味ないの?」

「なくはないけど、パパ寂しがるでしょ」

 それに、咲子さんと離れたくない。あたしも仁輔も一人っ子である、親たちも寂しがるはずだ。


「ちなみに義花、医者は完全に諦めちゃった?」

「うん。超頑張れば医の医は入れるかもだけど、その後にやってける体力も根気もない」


 小学校の頃、あたしは体調を崩しがちで、小児科の世話になることが多かった。思春期以降は生理対策で産婦人科に通うこともあったし、医師への憧れが強い時期も長かった。自分で言うのもなんだが勉強は得意で、受験に対する自信も強めである。

 ただこの時期になって色々調べると、学力や憧れだけでは医師になれないだろうと分かる。人並み以上に体と心が強くないと無理だし、あたしはその辺は人並み以下だ。嫌いなモノの十指に運動とプレッシャーが入っている。


「そっか……けど薬剤師も良いじゃん、実穂も天国で喜ぶよ」

「ああ、ママも憧れてたんだっけ」


 ママは高卒で健信けんしん製薬に入社、そこでパパと職場結婚した。ただ昔のママは大学を出て薬剤師になりたいと思っており、経済的な事情から進学を諦めざるをえなかったそうだ。

 理学部から大学院まで行ったパパが驚くくらい、ママは科学的なセンスが卓越していたという。あたしもそれを受け継いでいると語るパパは誇らしげで、けどやっぱり悔しそうだ。


「けど、義花は義花のやりたいことやってね。私たちはどうしても実穂を重ねちゃうけど、そんなの気にしないで」

「うん。でも咲子さんたちがママのこと大好きだったの分かるから、重なってるならあたしも嬉しいよ」


 咲子さんの手が、あたしの頬を撫でる。

「似てきたなあ。やっぱり、実穂はあなたの中で生きてる」

 咲子さんがあたしを娘のように愛してくれるのは、ママの遺志を継ぐためでもあるのだろう。それだけママは、咲子さんにとって大事でたまらない人だった。


「……あたしも、もっとママと一緒にいたかったよ」

 ママは自転車の事故で亡くなった。車に轢かれたとかではない自損事故で、恨むべき人もいない。けど周りの全員が、巡り合わせを呪っただろう。


「大丈夫、義花には私たちがついてる」

 今日も咲子さんは眩しく笑う、数え切れない涙を乗り越えてきた瞳で。

「うん、咲子さんがついてる」

 その強さを知っているから、あたしも笑って応えた。



 ランチを終えて車に乗り込み、頭をよぎった不安を口にする。

「ねえ咲子さん」

「うん?」

「あたしが仁の嫁にならなくても、ずっと甘やかしてくれるかな」

「当たり前じゃん」


 咲子さんの手が、助手席のあたしの頭に伸びる。

「義花はいつまで経っても、私の大事な大事な女の子だよ」

「やった、ずっと宜しくね」


 咲子さんの気持ちは本当で、けどそれだけじゃ通らないのも分かる。仁輔が他の女性と結婚したら、咲子さんだってそちらを優先しなきゃならなくなるだろう。

 娘同然であって、亡き親友の娘であって、実の娘ではない。いつか緩やかに区切りはつく、それでも気持ちは嬉しかった。


「けど、仁が他の子を好きになっても応援してあげてね。あたしそんな可愛くないし」

「大丈夫、義花はすっごく可愛いから」

「どれくらい?」

「これくらい!」

 咲子さんにぎゅっと抱き寄せられる。撫でてくれる手も、頬にふれる体の柔らかさも、鼻をくすぐる匂いも、不安を温かく溶かしてくれる。


 ずっと、咲子さんに甘えられる子供でいたい。けどそれが叶わないなら、咲子さんが誇ってくれるような大人になればいい。頑張れよ、あたし。


「えへへ……大丈夫、すっきりしたよ」

「よし、いこっか」


 本当は、もう少しだけ咲子さんを独占したかったけれど。今日応援されるべきは仁輔である。あたしは咲子さんから離れてシートベルトを装着、車は再び学校へ向かう。

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