第1章 あいつがカレになる話

1-1 あんたのママって……可愛くないか?

 7月上旬の土曜日。

 快晴、つまりは暑い。

 柔道部の応援、同校の女子……あまり目立つのはマズい、いやあたしは元から地味な外見なんだけど。とはいえオシャレめな店でのランチも控えている、気が抜けすぎたのも気が引ける。

 半袖の黒のブラウスにベージュのチノパン、この辺が無難だろう。咲子さきこさんが喜んでくれそうな気がしたので、普段はしないメイクも薄くしておく。ボブカットの毛先を整え眼鏡をかけて鏡を確認。咲子さんセレクトの丸眼鏡、今日もよく似合ってくれていた。


「よっしゃ、ナイス援護だぜ先輩!」

 パパは寝室でオンラインゲームに興じている、FPSのようだ。「いってくるね」と声をかけると、手を振って返してくれた。

 通話相手は会社の後輩のはず、若手の間で流行っているゲームに混ぜてもらっているらしい。アラフィフの上司とマルチなんて気を遣いそうなものだが、意外と素直に盛り上がっているらしい。退職しても居場所ができる……と良いなあ、あたしは家を出るかも分からんし。


 リビングの仏壇。りんを鳴らし、手を合わせる。

「行ってくるね、ママ」

 ママはあたしが物心つく前に亡くなったので「いってらっしゃい」の声は聞いたことがない。けど生前に撮られたビデオには綺麗な声が残っていた。学生時代は合唱部だったらしい。

 ……ただ、生まれたあたしと一緒に撮った写真とかビデオとか、残しといてほしかったな。自分が撮られることに抵抗でもあったのか、ドタバタしていたのか、そうした記録が全然ない。あたしが知っている映像は、赤ん坊のあたしと仁輔じんすけが並ぶものばかりだ。


 マンションの一階下、もう一つの我が家とも言える津嶋つしま家へ。チャイムを鳴らし、咲子さんに迎えられる。

「おはよ、咲子さん」

義花よしかおはよう~、中で待ってて」

「うぃっす」


 咲子さんはまだ部屋着だった、あたしが待ち合わせ時刻より早く来ているから当然である。

 リビングを見渡す、いま咲子さんが着ようとしているのはアレか……悪くはないが、ややシンプルすぎる。


「咲子さんさぁ」

「ん?」

「あのストライプのワンピ着てる?」

「あれ、 着るタイミングないって言ったじゃん」


 先月二人で買い物に行った際、あたしが咲子さんに薦めた夏物のワンピースだ。咲子さんは「こんな派手なのが似合う歳じゃない」「買っても着るときない」と渋っていたが、すごく似合っていたのであたしが食い下がったら買ってくれた。


「え~今日でいいじゃん!」

「だって学校に息子の応援だよ?」

「イタリアン行くと思えば妥当」

「んん……そうかなあ」


 言葉とは裏腹に、咲子さんもノってきたらしい。着替えた咲子さんを姿見の前に引っ張っていき、後ろから抱きつく。高校生になって甘えすぎなのは承知だが、心と五感が何より求める温もりだ。


「ね~、似合うじゃん!」

「まあ……女子高生がそう言うなら? 意外といけてるのかも?」

「うん、チョベリグ」

「いつのワードよ……もう、義花といると歳忘れそうで困る」


 咲子さんは22歳で仁輔じんすけを産んだ、今もギリギリ30代なので高校生の親にしては格段に若い。朗らかな雰囲気も相まって、年齢以上にフレッシュだ。あたしにJKらしいキラキラ感が希薄なので余計にバランスが取れている。


「まあ良いじゃん、歳の離れた姉妹だって思われるのも」

「姉妹はさすがに無理ある……けどたまに店員さんに言われるから怖いのよねえ」

 親子には見えないですよ、とは時々言われる。実際に親子でもないのだが、説明が面倒なのでそういうことにしがちだった。親を名前で呼ぶ子供とか、たまにいるし。


 二人でシェアしているアニメ誌をめくりながら、咲子さんのメイクが終わるのを待つ。咲子さんの身支度の様子を見るのが好きで、今日もわざと早く来ていた。咲子さんの髪を束ねているのはあたしが数年前にあげたヘアゴム、今も気に入ってくれてるらしい。


「……こんなもんかな」

 あたしは仕上がったらしい咲子さんの顔を覗きこんで、頬を手で挟む。倍以上も年上とは思えないハリと感触。ずっと触れていたくなるのは、あたしもこんな大人になりたいからだろう……というには、あたしはタイプが違いすぎるが。

「うん、咲子さん可愛い可愛い」

「ありがと、それ聞くたびに若返ってる気がする」


 物心ついたときから、咲子さんは可愛らしい人だった。特別に美人というわけでもないし、同年代の女優と比べれば「おばさん」感もゼロではないけれど、笑顔の眩しさと瞳の優しさは健在である。会社の集まりでも、年下の女性社員にモテまくっていたのを目撃済みだ。


「義花も可愛いよ、まつげ上げるのまた上手くなった?」

「そりゃ咲子さんが先生だもん……ちなみにパパがそこに言及したことはないです」

やすさんにそういうセンス求めちゃダメだって」

「知ってた」


 二人でけらけらと笑う。ほころんだ咲子さんの頬を見ていると、昔のあたしが何度もキスしていたことを思い出して恥ずかしくなる……けど咲子さんだって喜んでたからなあ。唇にしたら「さすがにそこはダメ」と言われたけど、五歳くらいのときだっけ。仁輔には泣かれ、パパにも真面目に怒られた一件である。


「義花、日焼け止めは?」

「塗った!」

「うん、いこっか」


 マンションを後にし、車に乗り込む。

 今日は柔道部員である仁輔の応援だ。市内の高校が集まっての、伝統の交流戦。インハイ予選で惜しくも敗れた仁輔にとってはリベンジマッチでもある。

 カーステとあたしのスマホをペアリングし、音楽アプリを起動。


「咲子さん何聴いてく?」

「んん、応援だし元気出るヤツ」

撃隊げきたい……いや、キュアメディックにしよ」

 日曜朝の魔法少女アニメのオープニング、二人とも覚えているナンバーを再生。

「せーの、」

「レスキュー! スーパーキュート!」


 車内で二人して歌い出す。咲子さんは車で歌いたがる人だが、仁輔が同乗しているとうるさがられるので今はチャンスである。咲子さんもうちのママと一緒に合唱部にいたらしく、伸びやかな歌声は健在だ。アニソンの上手いアラフォー、推せる。

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