中編
どうしたって速攻で破綻するだろうと思っていたこの計画も、しかし無事五年目を迎えてしまったのだから驚きだ。
最初の一年はリサもティーアも宮廷の作法を学ぶのに必死でそれどころでは無かった。
二年目は両国の架け橋として奔走するティーアに付き添うのに明け暮れ、三年目はティーアの里帰りに同行した途端大規模な崖崩れに遭い、半年以上イーデンに留まらざるをえなかった。それを皮切りにイーデンとの共存に不満を抱えていた一派が暗躍を始め、ステンとティーアを離婚、それどころか暗殺までも目論むという危機的状況が続いた。
どうにかそれらを阻止し、不穏分子も片付け、ようやく穏やかな日々を過ごせるようになったのがまさに今、である。
この間に幼かったティーアは十六歳となり、妖精の様だと評されていた彼女は今やすっかり女神の如き成長を遂げた。
「ねえお姉様、お姉様とは本当に今年でお別れになるの?」
淑女の鑑とまで言われる様になったティーアであるが、五年経ってもリサと二人でいる時は「お姉様」と呼んで慕ってくれている。
「ええ、そうですね、そういうお話でしたので」
「ディーとも?」
「いえ、ディーデリック様は引き続き陛下とティーア様の護衛の任に就かれますよ?」
「もう! 違うわお姉様、そうではないの! お姉様とディーまでお別れになってしまうのでしょう? それでよろしいの?」
ううんきた、とリサは少しばかり身構える。去年辺りからティーアにも同じ年頃の令嬢達の中から友人と呼べる相手ができた。身分が高かろうと思春期の少女達である。集えば盛り上がるのは恋愛話で、そしてティーアは瞬く間にそれらの話にのめり込んでしまった。
それはいい、とリサは思う。そういった感情を知るのも大切であるだろう。同年代の友人と楽しそうにしている姿を見るのはリサとしてもとても嬉しい。
「恋」に憧れを抱き始めたティーアの気持ちは、そのまま夫であるステンへと向かった。政略結婚で結ばれ、すでに親愛の情を交わしていた二人ではあるが、そこに男女の情が加わったのは本当に良かったと思う。どうせ結ばれるなら好きな相手である方が良い。そして年頃になったティーアにそう想ってもらえる様にと、ステンも色々と頑張ってきていたのだから、その苦労が報われて良かったとこの時ばかりは顰めっ面の夫と祝杯を上げたものだ。
そうして今は、美しくなりすぎた年下の妻にどう接して良いか分からず右往左往するステンと、そんな彼にひたすら真っ直ぐ豪速球で愛情をぶつけるティーアが出来上がっている。どっちが思春期ですか! などと突っ込んだのももう両手では足りない。この【
だが、そんな若妻の猛攻は最近はリサにも飛んでくる様になってしまったのだから困りものだ。
「よろしいもなにも、ですから元々そういう話で」
「それは五年も前の話でしょう? そしてこの五年の間、お姉様とディーは仲睦まじい夫婦でいたのだから、このまま継続してもいいのではなくて?」
「仲睦まじいと言うのはティーア様と陛下のことを言うんですよ。私達の方は仮面夫婦と言うんです」
「いつもその仮面は下に落ちているのに?」
ティーアは見た目と同じく中身も真っ直ぐで美しい。だからこそ追撃の手に容赦はなく、あげくそれが無自覚なものだからどこまでも追い込んでいく。
「新婚の妻を主君に奪われた夫、から、いつの間にか主君のために妻を差し出した夫になったわよね?」
「……ソウデスネ」
「けれど結局、幼かったわたくしのためにわざわざ偽装結婚までして寵姫としての役割を担った忠義溢れる夫婦、と皆に知られてしまったんだもの、もう今さら始めの頃の話を守らなくてもいいと思うわ」
「……即バレましたねえええええ」
「こればっかりはディーが悪いわね……」
そう、こちら側の計画は五年も経った今となっては周知の事実となってしまっている。一部、リサやディーデリックに対する嫉妬から「偽善者の言い分だ」と吹聴して回っている貴族はいるが、良識のある他の貴族からは相手にはされていない。こればかりは仕方がないのだ、だって
「寵姫の部屋に毎日夫が訪問するし夜には迎えに来るしそして朝には送ってくれるってこれどう考えたっておかしいですもんね!?」
稀にリサが王宮に泊まる事があれば、その時は必ずディーデリックも付いてくる。さすがに部屋は別だが、どうしたって普通の「寵姫とその夫」の図ではない。
憶測が憶測を呼び、最終的に真実に辿り着かれてしまったのだからとんだ笑い話だ。
「ディーデリック様の生真面目さを見誤っていたのが敗因ですね」
偽装結婚の相手とはいえ、寵姫として差し出した愛の通っていない妻、という設定だったとしても、彼の生来の真面目さから女性を蔑ろには出来なかった様だ。
「女性嫌いだと伺っていたんですが、それもまあ本人から聞いていたわけではありませんし……噂だけで判断してはいけないのだと痛感しました」
リサの誕生日には必ず手紙と共に贈り物もあった。ティーアとの世間話で「小さな薔薇の花が好き」だと言えば、翌日にはその花がリサの部屋に飾られていたりと、表情こそ相変わらずの渋い顔だが、非常にまめまめしい夫である。
「だからこそ、いい加減ディーデリック様にはきちんとしたお相手が必要なんですよ!」
ディーデリックも二十五歳だ。リサの存在さえなければ昔以上に引く手数多、なんなら諸外国の姫君の心まで奪っているという話もある。いつまでも偽装の、不本意の、雑草の相手をさせるのはあまりにも可哀相だ。
「……え、どうかなさったんですかティーア様?」
美しさと可愛らしさの共存という奇跡の存在である王妃が、まるで仮初めの夫の様に眉間に皺を浮かべているのにリサは驚く。しかしそんな表情をしていても尚、損なわれないその美貌にはさらに驚いてしまうが。
「お姉様は昔、結婚するなら強い方がいいって仰っていたけれど覚えていて?」
「そう言えばそんな事も言っていましたねえ」
結婚する気はさらさら無いけれど、それでももし万が一、として考えるなら自分が尊敬できる相手がいいと、そんな意図で口にしていた。どうしたってリサが得られなかった物理としての強さ。もちろん暴力ではない、強気を挫き、弱きを助けてくれるそんな力を、強さを持った相手ならば、欠片程度ではあるけれども生涯を共に過ごしたいと思う、かもしれない。
「……でも今はお姉様より語学の能力が優れた方がいいって……」
「ティーア様のおかげで完全にイーデンとの和平は成立しましたしね。周辺諸国との関係も良好ですし、やはり知力です知力。知に勝るものはありません」
「だったらディーはお姉様の理想を体現していると思うの! ずっと陛下の護衛を務めているし、それこそ戦の時の活躍で弱冠二十歳であの地位まで登りつめたのだから、お姉様の始めの頃の条件に合うわ。今の条件だって、ディーなら」
「そう! あの人いつの間にか七カ国語を話せるようになっているの凄いですよね!」
リサは三カ国語を流暢に操り、罵詈雑言ならば七カ国語を習得している。しかしディーデリックは罵詈雑言、ではなく日常会話として七カ国語を自分の物にしていたのだから驚きだ。
「でしょう! だったらやっぱりお姉様とディーは無理にお別れしなくても」
「あんまりにも悔しいからようやく八カ国目を覚えましたからね。もうすぐ九カ国目も覚えられます。あ、海の向こうにあるハリア国の言葉ですので、もしティーア様が外遊で訪問される事があれば、私が通訳しますね」
「それは……とても嬉しいのだけれど……」
「ディーデリック様は私より一つですが年下なのに、ご自身の存在で他人に何かを学ばせるのは素晴らしいですよね。とうとう眉間に皺のないお顔を見る事はありませんでしたが、人として尊敬するばかりです」
うんうんとリサは大きく頷く。ついぞ和解はできなかったが、彼と過ごした日々は無駄だとは思わない。
そうして一人感慨に耽っていたために、リサはティーアの呟きに気が付かなかった。
「――お姉様は語学よりも男心を学んだ方が良いと思うの……」
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