雇われ寵姫は仮初め夫の一途な愛に気がつかない

新高

前編




「――リサ・ベーレンズを我が寵姫として迎え入れる事にする」


 若き国王陛下、ステン・ファン・リフテンベルフの高らかな声が広間に響き渡る。その宣言を聞きながら、まさに当の本人であるリサは改めて覚悟を決めた。

 これより五年間、雇われ寵姫としての人生が始まるのだと――




 

 二十一歳の国王の元に嫁いできたのはかつての敵国であり、今は同盟国となったイーデンの姫君であるティーア姫、御年十一歳である。婚礼の儀も済み、改めて自国の貴族社会へのお披露目となった夜会において、国王より突如そう告げられた周囲の動揺は激しい。

 嫉妬や羨望、そして年若いとはいえ王妃のお披露目の場で寵姫として姿を見せた事への侮蔑。それらが全部煮詰まった状態でリサに容赦なく浴びせられる。

 覚悟の上だ。自分が矢面に立つ事で、若く、幼い、子どもだと侮られる王妃への負の感情を少しでも薄める事がリサの役目。それを担う代わりに任期を終えれば莫大な謝礼金を手にする事ができる。


――上等! 所詮家の権威を使ってしか喧嘩のできないお坊ちゃんとお嬢ちゃん達の嫌味なんてどうってことないわ! 雑草なめんな!!


 元々リサはその出自が捨て子だ。門前に置き去りにされた赤子があまりにも不憫だと、当時子宝に恵まれていなかったリーデル伯爵夫妻が引き取り、以降実の娘として育てられてきた。しかしながら血統を重んじる貴族社会において、それはリサをいたぶるのに格好の話のネタでしかない。特に子どもの頃は容赦なくその事で酷い言われ方をしてきた。

 傷付き泣き濡れたのは初めの数回だけ。何度目かの時に「なんでわたしは悪いことなんてなにもしてないのにこんな風に言われないといけないの?」と生来の負けん気というか血の気の多さに火が付いた。暴力、に出たところで男女の差で負けてしまう。なにより養父母に迷惑をかけてしまう。ならば知力か、とリサは知力を磨く事にした。


 残念ながら数字には弱かったが、代わりに語学に才能があった。必死に勉強を進め三カ国語を習得し、罵詈雑言にいたっては七カ国語までいけるようになった。


 そうしてリサは敵意を向けてくる者に対して他国の言葉で時に罵り、時に心の中で罵倒するに納め、どうにかこうにか貴族の一人として体面を取り繕っていた。そのふてぶてしい態度から「雑草令嬢」と陰で呼ばれる様にもなったが、自分でも雑草並にしぶとくたくましいと思っていたのでそれについて同意を示すに止まった。


 そんな反骨精神で得た知識を買われて寵姫に召し上げられる日が来ようとは。


 それが雇われの物であり、寵姫とは名ばかりの、実際は幼い王妃の話し相手兼心身面での支えになる様に、そして王妃に成り代わろうとする不届き者を追い払う為の存在、というものだから本当にどうしてこうなった、と何度頭を抱えた事か。


――とはいえね、最終的にそれを受け入れたのは自分だし。その事に後悔はないし。実際お会いした王妃様は可愛らしいけれどそれと同時に美しさもあって、でもやっぱり可愛らしいしあと本当に賢くてお心も優しくて年下だけどそんなの関係なしにお慕いしちゃうわよね!


 リサが寵姫となる事に王妃は最初反対だった。それはけして自分がないがしろにされるから、ではなく、自分を慰める為に寵姫として雇われるという事に対してだ。


「わたくしのためにそんなことをなさらないで……陛下もあんまりです、いくらわたくしのためとはいえ、この様なことを年頃の女性に対して頼まれるだなんて」

「王妃殿下、どうか陛下のお気持ちをお察しください、仕方がないんです、なにしろ陛下ときたら【ヘタレユカンマ】なんですもの」

「――え?」


 途端、パアッと王妃の顔が輝いたのは今思い出しても可愛らしいとリサは思う。その後、わずかに身体を弾ませて


「リサ様はイーデンの言葉をご存知なの!?」


 かつては敵対していた国同士だ、お互いの言語を習得している者は珍しくはない。しかしリサが口にしたのはイーデンの中でも古い言語で、今はごく一部の地域でしか使われていない物だ。それをリサが知っている、という事が王妃の心を大きく揺さぶった。

 王妃の心を掴むならここしかない、とリサはそのまま流暢にイーデンの言葉で喋り続けた。話の中身は主に国王の悪口だ。年若い王妃を迎える事にあたり、どうにかして心の支えになってやりたいがなにしろ十の年の差は大きい。さらには男女の差。どうしたって無理だろう、というので同じく十の差はあれどまだ女性の方が、というので自分に役目が回ってきたと。つまりは――ヘタレであると。


「それでも王妃殿下を心から思うお気持ちは本物ですよ。こんな非道な真似をしてでもなんとかして王妃殿下を支えたいのだという陛下のお気持ち、どうかご理解ください」


 王妃の視線はリサと国王・ステンの顔の間を何度も行き交う。喜びと、そして同じくらいの困惑の瞳に、リサは一つの可能性に遅まきながらに気が付く。

 そろりと振り返れば、苦笑を浮かべた国王陛下と、渓谷ばりに眉間に皺を刻んだ護衛の騎士が一人。


 なるほど会話が筒抜け――ってまあそうよねそうですよねそんなトンチキな気遣いするくらいのお方ですものイーデンの言葉だってちゃんと把握されてますよねー


「それにしたってよくお分かりになりましたね? 今だとほとんど使われてない方の言葉だったのに」

「さすがに全部は聞き取れなかったが、まあ、だいたいは」


 国王はそう言って朗らかに笑うが、護衛の騎士は険しい顔をしたままなのでどうやらこちらは全部理解しているらしい。ううん大失敗、次からは気を付けようとリサは思った。






 今に至る経緯をぼんやりと思い出した所で違うそうじゃない、とリサは気を引き締める。

 ここはある意味戦場なのだ、油断したらすぐに足元を掬われる。しかも敵の狙いはリサなのだから、開幕早々に――否、いついかなる時も負けるわけにはいかない。

 さて来るなら来い! と臨戦態勢のリサであるが、その背に掛けられた声はとても可愛らしい物だった。


「リサ」


 声と同時にそっとリサの腕に触れてきたのはだれであろう王妃・ティーアである。細く長い銀糸の様な髪を結い上げてニコリと微笑むその姿は、まさに妖精の姫君だ。


「あちらに美味しい果実酒があるの。わたくしはお酒の入っていないものをいただいたのだけれど、リサはお酒は大丈夫かしら?」


 木の実のパイも美味しそうだったのよ、と小声で教えてくる王妃の可愛らしさといったら他に類を見ない。

 母国の言葉を使うリサに王妃はすぐに懐いたが、それと同じく王妃の可愛らしさ、健気さにリサも速攻で転がり落ちた。我ながらチョロいなと思いはしたが、可愛いイキモノに抵抗などするだけ無駄であるので思う存分可愛がるつもりだ。


 しかし現状ではそうもいかないのが辛い所でもある。ティーアは王妃でリサは寵姫。露骨に争う必要はないが、負の感情を一斉に引き受ける立場である以上あまり関わらない方がいい。だというのにティーアはリサの傍から離れようとしない。なんなら国王であるステンの傍にいるよりもリサの傍にいる。


「王妃を寵姫に取られてしまったな」


 ついにはクックと楽しそうに笑いながらステンがティーアを迎えに来た。


「我が寵姫に王妃はすっかり骨抜きだ」

「陛下の代わりに王妃様のご寵愛を受けるのもいいかもしれませんね」

「よろしいの!?」


 リサは軽い冗談のつもりでそう口にしたが、ティーアは全力でそれに食いつく。ギョッとなるリサ、苦笑を浮かべるステン、そこに新たに加わる者が一人。


「いけませんよ王妃様。ロクでもない事を教え込まれるだけです」

「ディーったらすぐにそんなことを言うのね、リサはたくさんの言葉を知っているだけでなく、その土地のこともよく知っているのよ。話をしているとまるでそこに旅行したような気持ちになれるのに」


 リサのドレスをそっと掴んだまま擁護してくれるティーアは天使でしかない。それに対して口を開けばリサへの苦言の多いこの男――ステンの護衛の騎士であり、そしてあろう事かリサの夫でもある。


 ディーデリック・ベーレンズ伯爵はリサより一つ下の二十歳でありながら、国王の専属の護衛を務めるというだけあってその強さは歴然だ。短く纏められた黒髪に、強い意思を宿した深緑の瞳。その毅然とした姿に憧れを抱く貴族令嬢は多い。端から結婚に夢を持たず、むしろ雑草魂で得た語学の知識を持って領地へ戻り、そこで識字率を上げたいという目標を掲げているリサには無縁の存在、であったはずなのだが。

 互いに面識はない。リサは相手が有名すぎるので噂としては知っていたが、彼の方では知らなかったはずだ。いやもしかしたら良くない方での噂を聞いてはいたかもしれないが、それでも水より薄い関係でしかなった。それだというのに、リサが今置かれている原因を作ったのが――リサを、国王の寵姫として推薦したのがこのディーデリックに他ならない。


 理由は至って簡単である。「語学が堪能」である事と、「気が強い」という二点のみ。


 語学については素直に嬉しかったが、二つ目についてはそうはいかない。僅かに口元が「雑草」と言いかけていたのも怒りの一つだ。

 それでも幼き王妃の為であるという義侠心と、提示された報酬にリサは承諾をした。

 その後まさか、王妃の存在を脅かすものではないと国内外に示すために、彼と偽装結婚をするはめになるとは思わなかったが。


 思えばアレが不味かったのかもしれないとリサは己を振り返る。


 予測などできるはずもない怒濤の展開の中、ひたすら真顔もしくは眉間に皺を寄せ続けていたディーデリック。そう言えば彼は女性嫌いの噂があったなとその時リサは思い出したのだ。

 いくら国王と王妃の為とはいえ、好きでもない相手と結婚の真似事はしたくはないだろう。見た目が麗しいのもあり、かなりの数の令嬢に言い寄られては迷惑そうにしているとも聞く。ハハーンなるほど、とリサは合点がいった。だからつい、余計な事を口にしてしまったのだ。


「大丈夫ですよベーレンズ卿。偽装とはいえ夫婦となりますが、きちんと目的は理解していますし、私は決して、絶対、まかり間違っても貴方を愛することはありませんから! ご安心ください!!」


 彼の心配は杞憂であると、そう伝えたいだけだった。まるっと全部、心の底からの親切心でそう言ったというのに。

 ギュン、と眉間の皺がイーデンの難所として名高い渓谷ばりに深くなる。そして凍てつく様な視線が容赦なく突き刺さった。それでも声を荒げるでも無く、地を這う様な声でありはしたが「お気遣い感謝します」と返したのは彼の騎士としての矜恃だったのかもしれない。


「リサ? どうかしましたか?」


 あの時以来リサが目にする夫の顔は常に顰めっ面だ。なのに彼はリサの様子に敏感である。今もこうして黙り込んでしまったリサに気遣わしげに声を掛ける。

 不承不承の婚姻だろうに、こういう所に彼の本来の優しさがあるのだろうなあとリサは思う。笑顔、だなんて贅沢は言わないので、せめて眉間の皺を消してもらえたらいいのだけれども、それを頼むのもなあと二の足を踏む。この関係性に不満があるのはお互い様だ。雑草を押し付けられているうえに、さらにいらぬ苦労を背負い込んでいる。これ以上彼に負担をかけるのも可哀相だろうと、リサは軽く首を横に振る。


「いえ、ちょっと、喉が渇いたなあと」


 スルリと飛び出たでまかせだったが、「どうぞ」とディーデリックがグラスを差し出した。中身は王妃がお勧めしていた果実酒で、淡い色が天井の光を受けてキラリと輝いている。


「……ありがとう、ございます?」


 とりあえず受け取るしかなくそうするが、はたしてこれは正解なのかとリサは首を捻るしかない。


「俺にはないのか?」

「陛下は先程お召し上がりになったでしょう」

「そこは気を利かせてもう一杯どうですかと」

「飲み過ぎて醜態をさらされても困りますし」

「果実酒程度で酔うわけないだろう」

「万が一でも王妃様のご迷惑になるような危険の目は潰すに限りますから」

「あ、あの、わたくしは大丈夫ですよ? 陛下はご立派な男性ですし、どうぞお好きなだけお飲みになって?」

「王妃殿下、今から甘やかしてはなりません。ここは厳しく躾けていかなくては」


 えええ、と戸惑う王妃と、それを見て柔らかな笑みを浮かべる国王、そんな二人の前でだけは、眉間の皺も和らぐ騎士。


 これっていいんだっけ? とリサは小さく首を傾げる。


 王妃と寵姫が仲睦まじくしているのも正解なのかどうなのかリサには分からない。そして国王と寵姫の夫も気さくな感じで話をしているのはどうなのだろうか。少なくともここの二人はもう少しギスギスしたフリをしていた方がよいのではないか。


 娶ったばかりの妻を寵姫として主君に奪われた、というのがとりあえずの筋書きであったはず、なのに――


 周囲からはひそひそとした声が上がる。どうにも訝しがっているようだ。いやそうよねそうよ分かる分かるわあ、とリサは大きく頷いた。

 和平のために結婚した国王と隣国の姫、の間に突如現れた寵姫、は国王の護衛の騎士の妻、という地獄の様な関係の四人が和気藹々としている姿など、混乱を招かないはずがない。


 ――いややっぱりこれだめでしょ!!


 初手からすでに計画の躓きをリサはひしひしと感じた。


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