第2話 誰にも言えない
昼食を終えると午後の時間が訪れる。この時間帯はミリディアナにとって少し憂鬱な時間だ。
育児院内はガランとしており、何の音も聞こえない。
ひとりを残して出払っているのだ。なにをするために外出をしたのかは想像に難くない。
ベルマならば育児院に関することだろう。里親探しだったり、野菜の販売だったり、経営のことだろう。
ジルは男友達、サーシャやメイは友達と遊んでいることだろう。
彼、彼女らの生活は当然に育児院で完結しているわけではない。村の中の子供同士ということでコミュニティが生まれている。
『育児院が家であってはならない。』
ベルマのそんなつぶやきを聞いたことがあった。
今、出払っている三人のことを考えながら、多分そういうことなのだろうとディアナは曖昧に思った。
そして自分も孤児であることを思い出す。
いつか貰い手が見つかり、ここを出ていくことを想像すると胸が苦しくなる。
そして、こんな自分に貰い手など見つかるはずはないと首を振る。
そんな堂々巡りの中、一人で作業を進めていく。
「いてっ。」
彼女は自室で裁縫をしていた。
取り留めもないことや曖昧なことを考えながら作業をすると失敗してしまうもので普段から裁縫をしている彼女も例外ではない。
見ると人差し指の腹に血の玉が浮かんでいる。顔をしかめながら反射的に指をくわえる。こうすることで痛みが和らいでくるからだ。
口から指を外しあらためて見る。そこに傷はなかった。
ため息が出る。
秘密があった。育児院の三人にもベルマにも話していないことだ。
それは、突然に訪れた。
なんでもない日だった。いつも通りに畑仕事をし、育児院で食事をして話をして眠りにつくいつも通りの一日。
そんな日の夜のこと。ディアナは夢を見た。
それは、不思議な夢で今でもぼんやりと覚えている。
夢なんてどれも不思議なものだろうけれど、それは彼女にとって特別不思議な夢だった。
その夢は先が見えない真っ白な空間にディアナが1人で立っているところからはじまる。
もちろん彼女はそんな場所を見たことはなく、聞いたこともなかった。
どこまで続いているかもわからない場所で、周囲を見回しても誰もいないし、なにもない。そんな場所で彼女は誰かに声をかけられる。
「あなたの欲しいものはなんですか?」
とても透き通った声だと感じた。まるで頭の中に響いてくるようで声が脳にしみこんでいるような感覚がある。
姿は見えなかった。普通ならば不安になり警戒する場面なのかもしれないが
彼女はそれを優しい慈愛に満ちた声だと感じた。
例えるなら、教会で懺悔を聞く修道女のような声だ。
だからだろうか、ディアナは突然に投げかけられた質問でもすんなりと受け入れてしまった。
『私の欲しいもの』
その答えを彼女はいくつも思い浮かべた。お金、食べ物、生活用品、ありきたりなものが頭をよぎっていく。
いくらあっても困らないもので暮らしていくには必要なものたちばかりだ。
彼女は今の生活に満足している。
だからこそ彼女は孤児院のことを想い、なにが必要かをしっかりと考えた。考えられたはずだった。
しかし、そんな気持ちとは裏腹に口は滑り言葉が零れた。
「丈夫な身体が欲しいです。どれだけ働いても大丈夫な、なんでもできるそんな身体が……。」
確かにそんなことを考えたことはあった。
畑仕事などで身体を使いすぎ動けなくなった夜にふと思ったことだ。
考えとも言えない、ただの思いつきだった。
現実的ではない空想。
誰かの……。いや、ベルマの役に立ちたかった。
こんな自分でも役に立つのだと証明したかったのだ。
「丈夫な身体ですか……いいでしょう、貴方に与えます。」
またしても声が白い空間に響く。姿は見えないが会話は成立するらしい。
不思議とその声の正体が笑っているようにも感じた。
その返答に対し彼女は話の内容を理解していたが何を言っているかはわからなかった。思いつきなんてものは貰えるものではないし、手にはいるものでもないことは誰にでもわかることだ。
声は言葉をつづけた。
「すぐにわかりますよ」
今度は口に出してさえいなかった。反応すらしていなかったはずだ。
その口調は先程と変わっていなかったが戸惑う私に対して放った言葉だとわかった。
なんというか子供が仕掛けた、いたずらを隠すときのような……それと似たものをディアナは感じた。
「それでは、また、機会があれば」
陽の光が落ちて街に夜が訪れるように次第に辺りは暗くなっていく、
それがこの声、不思議な体験の終わりを意味していた。
私に何を与えるのか、貴方は誰なのか、どうして私に、疑問がわき質問をしようとした。
暗くなっていく視界の中、なにをつかもうとするわけでもなく無意識に手をのばす。
「まって!」
その声が届かなかったことはすぐにわかった。
ベッドから飛び起きるように上体を起こしていたからだ。
その場所は夢で見たような空間ではなくいつも彼女が眠っている部屋だった。
当然に家具いつも通りに並んでおり、壁は見なれた色だった。窓から差し込む朝日だって、いつも通りに眩しい。
ただ、
「なんだか、体が軽いような」
これが、彼女が体験した不思議な夢である。
そしてそれからだ。彼女が怪我をしても傷が治るようになったのは
このふたつが彼女の秘密である。
便利ではあったが喜ぶことはできなかった。
誰かに言ったら馬鹿にされるだろうし、傷がすぐに塞がることがばれてしまえば距離を置かれることだろう。
だから彼女はこれが嫌いだった。
息を吐き、傷ひとつない。白くきれいな手をにらんだ。
しかし、そんなことをしても何にもならないと知っている。仕方ないと諦め針仕事を進める。
陽は傾き、もうすぐ夜となる。
明日も同じ一日になることを願いながら彼女は今日を終えた。
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