31話 つまり最高の弁当
「おー、弁当!」
ロータリーのベンチに並んで腰掛け、膝の上で弁当箱を開いた。お米や卵や魚や煮物が、太陽の下まるで今この瞬間誕生したかのような艶めきを放つ。
「あんまりジロジロ見ないで。普段料理とかしないし、自分用のついでに作ったやつだから、全然可愛くないでしょ?」
「何を言ってるんですか。弁当に可愛さなんて必要ないです。ぐおー、うまそー」
確かに
ご飯にさくらでんぶでメッセージは書いてないし、卵焼きはハート型に切ってないし、動物柄のピックも刺さっていない。
ただ、定番の味の濃いおかずが型崩れせず整然と大量に詰めてある。
つまり最高の弁当だ。
「まるで母さんが作った弁当みたいです!」
「それは褒めてくれてるんだよね?」
「あ、そういえば僕、母さん以外の手作り弁当って初めて食べるかもしれないです」
「え、そうなの?」
びこーんと、多喜さんの髪の毛が逆立ったように見えた。
「うん、そうですね。初めてですよ。やったー、うれしー。いただきまーす」
「待って!」
舌の直上まで卵焼きを運んだところで、がしっと箸を掴まれた。
「ごめん………やっぱり食べちゃダメ」
鬼かっっ!
「ごめんごめんごめん、やっぱりマフィンにしよ。買ってくるから」
「いや、無理無理無理。この卵見てください。もう舌に乗ってるんですよ。この距離のおあずけなんて軍用犬だって聞き入れませんよ」
「だってだって、知らなかったんだもん。初めてのお弁当だなんて。担えないよ、それちょっと失敗したやつだし」
「いただきます」
「待ってー! わかった、せめて順番を変えさせて。それ絶対に一番じゃないやつだから! お願いお願いお願い!」
腕にぶら下がらんばかりにして多喜さんは必死に食らいついてくる。
熱意に負け、断腸の思いで卵焼きを弁当箱に帰還させた。
「はい、戻しましたよ。どれだったら食べていいんですか?」
「うーんうーん、そうだなー。やっぱり煮物の鶏肉……」
「鶏肉! 大好き!」
「いや、やっぱりニンジン………」
「ニンジンか。綺麗な色ですね」
「じゃなくて大根かな……」
「いただきまーす」
「あ、ちょっと!」
許可を待っているときりがないので、素早く大根を口の中に放り込んだ。
「どうどう? だめ? だめかな? うわ。美味しくない? いいよ、出して。全然出していいからね」
「うーまー」
出してたまるか。これは、美味しい。一口噛むと出汁の滲みた大根が口の中でホロホロと崩れ、
「よかったー」
隣で多喜さんもズルズルと崩れた。
「そんななりますか」
「なるよー。だって
多喜さんはテーブルクロス代わりに腿に引いた予言ノートを指で弾いた。
「大げさすぎますって。でも、ありがとうございます。美味しいです」
「嬉しっ。もっと食べて」
「はい、食べます。でも、いいんですか、こんなにしてもらって。僕たいした手伝いなんて出来てないのに」
「いいんだよいいんだよ」
笑いながら同じく大根を口に入れる多喜さん。
「お世辞に聞こえるかもだけどね、わたし本当に助けてもらってるんだから」
お世辞に聞こえるわぁー。
この三週間を振り返ってみても僕が本当の意味で役に立ったという記憶はない。
むしろ多喜さん一人の方がスムーズに解決できたと思えるほどだ。
「どっちかっていうと足引っ張ってばっかだったような気がしますけど」
「ふふふ、海堂くんはわかってないなー」
どうせわからない男ですよ、僕は。不貞腐れたふりをして鶏肉を口に放り込むと、
「笑ってるでしょ、わたし」
多喜さんは箸を置いて僕を見た。
「自分でも思うんだ。わたし、よく笑ってるなーって」
何をいまさら。笑顔と変な挨拶が多喜さんのトレードマークじゃないか。
「わたしね、今までずっと笑ったことなかったんだよ」
「はい?」
「スーパーヒーロー活動してる時ね、一度も笑ったことなかったの。ずっとずっと怖かったの。失敗したらどうしよう、怒られたらどうしよう、傷つけちゃったらどうしようって、ずっとそればっかり考えてて。いっつも心臓ばくばくしてた。知らなかったでしょ?」
「知りませんよ。本当なんですか、それ?」
「本当だよ、わたしビビりなんだもん。それに人見知りだし。知らない人に話しかけなきゃいけないことも多いから本当に憂鬱だった。海堂くんに手伝ってもらってからなんだよ、わたしがこんなに楽しくなったのは」
「……僕、ですか」
「ねえ、覚えてる? 二人で最初に処理した予言。鳥の巣のやつ。海堂くんが、何て言ったっけ? 議案? 案件だっけ? とにかく最初に言った言葉でもう笑っちゃって。それで、何かふぁーって心が軽くなって、ぱーって明るくなって。すごく嬉しかった。あんなこと初めてだった。びっくりした。予言のことで笑う日が来るなんて思ってもいなかったから。本当にありがとう、海堂くん。いつもいつもわたしのわがままに付き合ってくれて。頼りにしてます」
そう言って多喜さんはまた笑った。
それは夏のアスファルトに落ちる雨のような、冬の雪道に残る足跡のような、心にすっと染み入ってくる笑顔で、僕の大好きな多喜さんの笑顔で、だから、僕は――。
「ご馳走様でした! 多喜さん、そのノートもう一回見せてもらってもいいですか!」
無我夢中で弁当を平らげて、多喜さんに向かって手を伸ばした。
「ええ、はやっ! ノート? いいけど」
突然の早食いに驚きつつ、多喜さんはハンカチでも渡すような気軽さで弁当箱の下に敷いたノートを手渡す。
「ありがとうございます」
僕はそれを口では感謝の言葉を発しつつ、心中では謝りながら受け取った。
ごめんなさい、多喜さん。
正直僕は、あなたをちょっと疑っていました。
多喜さんが何度言っても予言を受け取るのをやめないのは、傷付き疲弊しても鐘突き堂に上るのは、お金のためなんじゃないかと思ってしまいました。
もう一度、万馬券の予想が降りてくるのを待っているんじゃないのかと思ってしまいました。
何てバカなんだろう。
何て考えなしなんだろう。
僕は今まで多喜さんの何を見ていたんだろう。
自己嫌悪を噛み締めながら予言ノートを開いた。
時空間の歪みを凝縮させたような文字はいつものように神経をギリギリと削ってきたけれど、自分自身に罰を与えるかのように僕はページを捲り続けた。
逃げるな。
このノートに競馬の記述がなければ、それで多喜さんの潔白は証明されるんだ。
すぐにでもこうするべきだった。
僕はいったい何を恐れていたんだろう。
最新のページから表紙まで丹念に記述を遡った僕は、
「ありがとうございました!」
去年の四月にレッドゾーン、オーシャンスカイ、ダイナサイクルの三頭の名前をしっかり確認してからノートを返した。
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