思い出の保存場所
「このヒトゴロシー!」
ふーーー……またこれか。金曜日の疲弊した耳を高音がつんざく。
「母さん落ち着いてよ……今日は疲れているんだ」
母が重い認知症になったのはここ数年のこと。前から予兆はあったけど、父さんがしんでからはココロもなんだかおかしくなっちゃった。
「うるさいウルサーイ!!」
「こっちのセリフだよ」
全部ほっぽりだして逃げ出したいときもあるけれど、そんなことはしない。たった一人の家族だから。
時折思い出すのは遊園地や旅行に行った時……そんなことじゃなくて。
家族でリビングでテレビを見ていた時間をよく夢に見る。父さんが内容に文句を言って、母さんがそれに乗っかって、姉ちゃんがふざけて、私が笑って……そんな時間があったこと、思い出の輝きがココロを照らしてくれている。
姉ちゃんが交通事故で死んじゃって、家族のなかでなにかが壊れてしまった。
「ほら、たこ焼きを買ってきたんだ、さっぱり青じそ風味。好きだったよね?」
「いらない!!」
テーブルに置いたその瞬間に、壁に投げつけられる。べちょっ……と湿った音で壁に引っ付いた後、ずるずるとずりおちた。
「…………」
静かにティッシュ箱を持って片付けにかかる。
大丈夫。数百円だし安い安い。
母さんは後ろで目をぎょろぎょろとしているんだろう。眉間だらけの顔で、イライラしているんだろう。
「早くこの拘束ときなさいよ!!!早く!!!」
「解かないよ。トイレには行けるくらいの長さはあるでしょ。また迷子になったら今度こそ死んじゃうよ。一息ついたら一緒にドライブでも行こう」
「行かない!アンタなんかとはいかないよ」
母の脳内に思い出はまだあるのだろうか。取り出し方を忘れてしまっただけで、大切にしまってあるのかな。
……そうだといいな。思い出の中の母とは刻み込まれた表情があまりにも違うけど、表情筋はまだ笑い方を覚えているのだろうか。
「アンタみたいな息子知らないよ!!」
「えっ……」
母が唐突にはなった一言は、私のある意味余裕があった部分を粉々に壊すには十分すぎる威力があった。
黒いクレヨンがココロを塗りつぶしていく。美しかった思い出に無遠慮に覆いかぶさっていく。
それは……ダメだろ。そんなこと言っちゃダメだよ。私はこんなに頑張っているのに。疲れ切った体に鞭打って動かしているのに。
こんなにも自分を犠牲にしているのに。……家族なのに。
おもむろにネクタイを外し、衝動のまま背後から母の首にかける。
「なに、やめっバッ瞬、やめて!!やめ……」
体重を乗せて、ソファを使ってそのまま絞め落としていく。
「ガッ………………ガフ」
「ハーッ!!ハーッ!!ハーッ!!ハーッ!!ハーッ!!」
抵抗がなくなっても少しの間、私は荒く息巻いていた。
落ち着け、深呼吸しよう。クレヨンを洗い流してまっさらにするんだ…………
すーーーーふーーーーーー
…………まだ酸素不足で目の前がぱちぱちとする。
カラダはとっても疲れたけど、ココロの中心をとても心地よい風が吹き抜けていった。
全身の細胞がきれいに洗われていく。
ふぅ…………
あれ?なにか忘れているような…………
「あー!……しまった。父さんとおんなじやつ使っちゃった。さすがに怪しいよなぁ」
父さんは自殺で処理できたけど、今回は死体が発見されない方が良いだろう。今日はとっても疲れたけど、母さんは臭くなる前に見送ってあげたい。山に埋めてあげよう。
そうと決まればオマツリだ。いそいそとブルーシートやスコップ、レジャーシートや水筒、サンドイッチの準備を始める。
「母さん、一緒にピクニックに行こうか。久しぶり……前行ったのは20年前くらいかな」
皺だらけで険しかった顔が、余計な力が抜けたからか、とっても安らかに見える。
父さんと一緒に天国に行けているといいな。天国にはきっと、いままでのきれいな思い出が全部保存されているんだ。
この素晴らしい思い出を世界で私しか覚えていないなんて。そんなこと、あるわけないんだから。
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