喫茶店員の気持ちが良い笑顔★

「クリームソーダで」


「わかりました」




 いつもの席に座り、黒光りする革製かわせいかばんからノートパソコンを取り出し机に広げる。

 起動している間に備え付けの紙ナプキンで軽く汗をぬぐう。


 ここまで僕のルーティンであり、平日は毎日のように通う喫茶店でいつも作業をする。


 フリーランスは気が楽だけれど、自分を戒める何かがないのでついさぼってしまう。


 それを防止するためにはある程度習慣付けをするのが良いのだ。お店に来ればやる気が出るような体に調整している。


 客はいつものように自分しかいない。キャパ20人の小さい店で2人分の席くらい占領しても、そこまで迷惑じゃないだろう。


 店員は注文取りと提供、会計以外は無駄に僕に干渉しない。この適度な距離感が心地良い。


 自然に存在しない黄緑色をしたメロンソーダが届き、一ひとすすりして甘味かんみを確かめつつ、軽く伸びをする。


 たしか今日は三つほどタスクがあったはずだ。


 ──

 ───

 ────


 いつの間にか肩が固まってしまっている。首を回しつつ窓越しに空を見ると、外はすっかり赤くなっていた。普段は夕方になる前に軽食を済ませているんだけど、少し熱中しすぎたかな。


 もう夕飯の時間になってしまうし、適当な惣菜そうざいでも買ってばんしゃくしよう。


 準備をして席を立つと、目の前にいつの間にか店員が立っていた。


「ああ、すみません」


 反射的に謝ってしまう。


 何も返事がないことに違和感を覚えて店員の顔を見ると、皮膚ひふ









 ██████暗転██████









「クリームソーダで」


「わかりました」


 いつもの席に座り、黒光りする革製かわせいかばんからノートパソコンを取り出し机に広げる。

 起動きどうしている間に備え付けの紙ナプキンで軽く汗をぬぐう。


『好きなのね?』


「え?」


『クリームソーダ』


 目の前に座る女性が目を合わせてくる。黒い髪はテーブル下まで続いていて、どのくらい長いのかわからない。

 髪の間からのぞく目はクレヨンで塗りつぶしたように真っ黒だ。


 ここまでが僕のルーティンであり、平日は毎日のように通う喫茶店でいつも作業をする。


「ウェブサイト作成は頭を使うからね、甘い飲み物が必要なんだ。これも集中するためのスウィッチに過ぎないから、クリームソーダ単体で好きなわけではないんだと思う。現に、休日に飲むと仕事を思い出しちゃうから。あんまりいい思いはしないしね」


『ふーん』


 髪をくるくると指に巻き付けてはほどく。その動作を2、3回した後に彼女は口を開こうとするが、その前にPCの黒画面がぱっと切り替わって、メッセージを映す。


【キミは何をしに来たの?】


 急にナンダ?僕は……仕事を片付けるために来た。だから仕事前にルーティンを……ルーティン?


 彼女と会話をするのがルーティン?ルーティンに他者の介在かいざいがあるのか?彼女は顧客こきゃくか?会う約束でもしていたか?


 ………いいや、記憶にない。




「お前、誰だ?」




 彼女が疑問に答える前に、横に気配を感じて見上げると、そこには店員が立っている。店員の顔は









 ██████暗転██████









「クリームソーダで」


「わかりました」


 いつもの席に座り、黒光りする革製の鞄からノートパソコンを取り出し机に広げる。

 起動している間に備え付けの紙ナプキンで軽く汗をぬぐう。


 ここまでがルーティンの中間地点でありセーブポイント、触れられざる神聖な領域だ。


【気づいて!】


 パソコンの画面に何か文字が表示されたその瞬間、目の前に座る女性がパソコンを片手で叩き割った。


 轟音が鳴り響き、机も少しだけひび割れている。


『この子、余計なことしたでしょ』


「え?」


『だから機械は嫌いなのよ』


 何回リセットさせるの

 そんなことを小声で言いながらため息をつく。黒い髪をくるくると巻き付けてはほどいている。


 PCを砕いた腕は骨が折れているようで、指も変な方向に曲がっている。黒いワンピースは液体のように流動している。


 ここまで僕と彼女のルーティンであり、平日は毎日のように通う喫茶店でいつも作業をする。

 もちろん初めから複数人のルーティンなので、彼女が介在していることは当然のことである。


 店員が緑色のクリームソーダをテーブルに置いた。


 僕は一口すすって甘味を確かめつつ、仕事のためにスウィッチを切り替える。


 そういえば昨日やり残したやつが……あれ?




「パソコンが壊れているじゃないか」




 店員が示し合わせたように横に立っている。


 その顔は









 ██████暗転██████









(クリームソーダで)


(わかりました)




 僕はこの店の常連であって、常連であるからには必然と店員にアイコンタクトで注文を伝えられる。



 いつもの席に座り、ぬらぬらと光る肉製にくせいかばんからぐしゃぐしゃに壊れたノートパソコンを取り出し机に広げる。


 起動することはないけど、備え付けのナプキン(少し濡れている)で軽く汗をぬぐう。


( )




 ひび割れたテーブルはまるで最初からそうだったように、異様な威厳を備えている。


 テーブルの木目は血走り、こちらとアイコンタクトを取ろうとしてくる。少しだけ目配せをして、持っていた目薬を差してあげた。



『優しいのね』


「え?」


『テーブルの子、寂しかったんだって。誰にも見向きもされずに上だけを見て、とてもむなしかったんだって』


「そうなのか?」



 木目はゆらゆらと揺れ、こころなしか上機嫌に見える。


 店員が赤色のクリームソーダをテーブルに置いた。

 僕は一口啜って鉛の味に顔をしかめつつ、仕事のためにスウィッチを切り替える。

 今日は3つほどのタスクと、昨日のやり残しがあったはずだ。


「肉肉肉、腐肉」


 持っていたメモ用紙に記入していく。順調だな。




 prrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr




 突然不快な電子音が店内を鳴り響いた。店員も女性もとても不安そうな顔をしている。


 僕のズボンのポケットからだ。


 prrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrprrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr

 仕様の変更だろうか?僕は携帯を取り出そうとして、横に座っている女性にそっと手を添えられる。


 prrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrprrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr


『出ないで』


「どうして」


『機械は嫌いなの。話してほしくない』


「この席、横に椅子なんてあったかな」


『お願い』




 女性はうるんだ瞳で訴えている。

 彼女の白い手が腕を抑えているが、振りほどけないほどの力じゃない。


 prrrrrrrrバキッ


 僕はゆっくりと手を払って、うるさい携帯を握りつぶした。




「これで静かになりました。迷惑かけてすみません、マナーに欠けていましたね」




 涙目で驚いた顔をしていた彼女は、安心感からか急にへにゃへにゃと力を抜いた。




『良かった~帰っちゃうのかと思った。電磁の波に侵されて遠くに行っちゃうのかと思った~』


『えへへ』


 はじけるように笑った。彼女の笑顔を見て僕も温かい気持ちになってくる。……僕ってそんなに握力強かったかな?


 唐突に横に出現した店員の顔は、









       明転









 僕は喫茶店に住む気持ちが良い笑顔です。


 この笑顔を教えてくれたのは……『私』そう、彼女です。




 最近新入りがやってきてここもにぎやかになりそうですね。




『うれしいわ』




 …………はい、僕もうれしいです。あなたがうれしいから。

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