対峙する二人

 男は女を追っていた。リズムの違う足音が放棄された工業地帯に反響する。


 この女は殺さなければならない。植物状態になる前の、屈託のない弟の笑顔が思い出される。


 5年越しの復讐に王手をかけるこの状況でも、男の頭は燃える体と対照的に氷のように冷えていた。




 夕環は地平線へ溶けていく。




 命を懸けた追いかけっこは延々に続くかに思われたが、男はついに袋小路まで追い詰めた。


 女は観念したのか、女は肩を上下しながら男へ向き直る。沈みかける夕環を浴びて、白皙の顔が茜色の染まる。


『私を殺すの?その銃で』


銃を向けられても女の表情は何一つとして崩れず、こちらを包み込むように見つめていた。


「お前は、この世界にいちゃいけない生き物だ」


この銃でいままで何人も殺した。精神面でも技術面でも、この距離で弾を外すことはあり得ない。




『私の体が液体かもしれないじゃない』


「その言葉に意味はない」


 俺は知っている。やつは人の認知を狂わせる。その力で千を超える人々を……俺の弟を……。




 同じ容姿の女が3階のベランダからこちらを見ている。薄気味悪い笑い声がする。


 工場の壁は波打って 虫は濁流のようにあふれて


『私の体が変形して弾丸を受け流すかもしれない』


「そんなものはまやかしだ」


 自分に言い聞かせるのだ


 この工場地帯にマンションなんてない。


『弾丸を弾く電磁性波形断層』


「考えるまでもない。そんな概念はこの世界に存在しない」


 正常な世界を常にイメージするのだ。物体は外からの力が働かなければきわめて平穏だ。





『天使は空から来たの』


『私は天から来たの』


 三階の女と目の前の女は同じ存在であり、口にする内容が二人で異なっていても些細な問題に過ぎない。


「お前は自分が天使だと。そう言いたいのか?」


 二人の女は答えない。


「お前は確証のない妄言しか吐かない」


 やつの頭を狙う。一撃で決める。


「この行為に意味はない。ただの時間稼ぎにもならない」


 やつに呼べるだけの仲間はもういない。狂信者はすべて排除した。


『あの空を見てなぜ理解しないの?あなたとあなたが属する種は、どこへ行ってもただただ内を廻るだけなのに』


 やつとは会話にならない。環が落ちてもうすぐ夜になる。……そうなる前にけりをつけてやる。俺は引き金に指をかける。





『太陽は本来欠如のない球体なの。間違っても輪っかになんてならない』


 奴の妄想に付き合っていられない。


 男は女へ発砲した。眉間への見事な一発で、標的が人間なら……


「なぜだ!なぜ死なないんだ!」


 女の眉間には確実に命中し、背後の壁は赤く染まり、焦点は合わず、両目はどちらも外側へ向いていた。


『その行為は私にとって意味はないけれど。忌み嫌うものではあるわ』


 いかに下等生物の意味のない一撃であっても、攻撃されたという事実に対して女はとても悲しそうな顔をした。




『ほら、みて?私の輪。きれいでしょ。あなたたちを照らしてきた聖なる円環』






 夕方で夜はすぐそこのはずなのに。あたりは昼に逆戻りしていくようだった。見上げると太陽が、俺の常識に照らし合わせても不都合がないドーナツ型の、輪の形をした太陽が彼女の頭上に落ちてくるところだった。





『仕方のないことだけど。とても残念なことだけど。このセカイはこれで終わり』


『いままでありがとう』






女の頭上に円環が収まる。腰のあたりからはいつの間にか神々しい羽が生えていた。




『光と星は同位へと堕ちるの』




星と、その上に住まう数多の生物はすべて光へと変換され、暗黒の宇宙へと溶けていった。




後には一つ。傷が治り完璧となった天使が佇んでいた。

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