短編集(1話あたり2分で読めます)

長瀬

炎上★

///18時50分45秒///




 今、目の前にある灰は1分前までは人間だった。




 その人間は雄に分類される中肉中背の生物です。


 生まれてから28年間、私と付き合ってから5年間、一度もこの死に方をするとは思わなかっただろう。




 炎に包まれてから絶命するまでの30秒は私の大切な思い出。走馬灯の編集作業は必要ないんでしょうね。ノーカットでこの光景を見ながら私は死んでいくんだわ。




 心の底から愛した、最愛の彼だった’’それ’’を私はすくいあげて、持っていたカバンに余すことなく注いでいった。涙は流さないの。墓の前で嘆き悲しむその時まで。





///18時49分44秒///


 熱さに悶える彼の姿はとても情熱的で、私の体は無意識にごく自然とダンスを踊っていた。


 ジャンルはわからない。心の赴くまま、彼の舞に合わせて、「愛の夢」第3番に乗せて。通行人は彼を見て一瞬怒りで顔を赤らめたが、すぐに無関心で平然とした顔に戻り、そのまま去っていった。


 これこそが高貴な愛であると。今確信していました。彼の欠点である倫理、常識の欠如による炎上のすべてを愛しています。私は殉教者でも神を信じてもいないけれど。そう思いました。




「私は死にました」


 彼がそう言った気がしたけど、おそらくは気のせいなのでしょう。


 現に彼は言葉にならない叫び声をあげるばかりで、もだえ苦しむ人間に、第2番をそらんじる余裕なんてないのですから。





///18時49分12秒///


 彼が発火した。


 公衆の倫理と常識から外れた言葉を発したから火が付いた。ボールが放物線を描くようにごくごく当たり前の事実だ。


 周りの怒りを吸収させて発散させるこの現象は、倫理を守るための政策だった。人々のストレスを大きく下げて、公衆の倫理にそぐわない人物を抹殺する一石二鳥の政策。


 でも彼が発火するとは夢にも思いませんでした。彼にそんな欠けた部分があるなんて。


 私は驚きと焦りと喪失感で、全身の細胞が上から死んでいくように感じました。


 しかし私は気づきます。完璧と思われた彼に思いもよらない、知らない欠けた部分があったのです。その発見に深く感じ入り、いつのまにか視界が滲んできました。


 欠如が彼に人間性を与えていると思います。燃えて始めて私が愛する男へと完成されていくの。


 







///18時45分///


 私は彼の善性がとても嫌いでした。私の悪性を浮き彫りにする善性は、私を傷つけるナイフでしかありません。


 付き合っていてよかったことは、周りの人からの羨望の視線が心地よいことだけ。長所にひかれて付き合い始めたけれど、私には。この欠点だらけの私にはとても不釣り合いで、会話するたびに己の不足に痛みを覚えるだけなのです。


 時を経る毎に私は人間で彼は人間ではない違う生き物だと、そう思うようになっていった。


 


「何を聞いているんだい?」


「クラシックの、愛の夢」


「へえ……知ってる?この’’愛の夢’’って、女性と二度別れてしまったリストが愛は夢のようだと。そういう意味でつけた題名なんだよ」


 愛の夢の何を知っているのよ。この人は何の悪意もなく言っているのでしょうけど。確かな文献があって言っているの?


「そんなもの、興味ないわ」


 嘘だけど。




 私はイヤホンの音量を上げる。

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