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「ぬうんっ!」


 けれどヘルベルトの突きは空振りに終わる。

 通常の人間では明らかに無理な状態から、イグノアが急制動を行ったからだ。


 よく見れば先ほどはただ甲殻があっただけの場所から、小さな羽根のような物が生えているのが見える。


(どうやらあの羽根を使い、強引に姿勢を変えたらしい。人間相手の剣術だけでは太刀打ちできそうにないな……)


 しかしヘルベルトはそれでも前に進む。


 即座に斬り付ける。

 相手の太刀を避け、懐に入り込み、剣を差し込んで引き抜く。


 攻撃をされれば、それを見てから避ける。

 三倍の速度があれば、見てから逃げることも十分に可能だった。


 マーロンは若干分が悪そうだったが、三倍速のヘルベルトであれば、今のイグノアを相手にしても十分に勝負ができるだけの力がある。


 しかしこれは時間制限付きのもの。

 その条件を悟られぬよう、ヘルベルトはさも余裕そうな表情を崩さずに攻撃を続けた。


「くっ……なんですかそれはっ! あなたまで系統外魔法をっ!」


 ヘルベルトは喋るだけの余裕もないので、黙って攻撃を続ける。

 彼とイグノアとでは、生物としての耐久力がまったく違う。


 ヘルベルトは一発として攻撃をもらうわけにはいかず、イグノアに自身を脅威だと思わせ続ける必要がある。


 命をかけた実戦をするのは、ヘルベルトにとって初めてだった。

 相も変わらず言うことを利かぬ身体に鞭を打ち続けるのは、きついことこの上ない。


 今すぐにでも、剣を取り落としてしまいたい。

 やられる可能性が高いのだから、いっそのこと諦めてしまいたい。


 そんな考えも、ふと脳裏をよぎった。


 けれどヘルベルトは、ゼェゼェと荒い息を吐きながらも、決してその動きを止めない。


(俺は――俺はもう二度と、何かを諦めることはないっ!)


 なくしてしまったもの。

 取り落としてきたもの。


 その全てを、己に可能な限り引き寄せる。

 可能性を掬い上げ、未来をその手に掴む。


 せっかく自身の手で、ここまで己とその周りを変えることができたのだ。


 こんなものでは足りない。

 まったくもって、全然足りない。


 まだマキシムとヨハンナと完全に仲直りしたわけではない。

 ネルには、まだ笑顔を見せてもらっていない。

 そして何より――今この瞬間も、ケビンは病に苦しみ続けている。


 全てを、全てを変えるのだ。

 もう何一つ取り落とさないと、そう未来の自分と約束したのだから。


 決して、後悔しない人生を送ると。

 全てに後悔をしたあの日に――そう決めたのだから。


「ハアァァァァッ!!」

「ガアァァァァッ!!」


 激突、擦過、舞い散る火花。

 ヘルベルトのミスリルソードがイグノアの甲殻を削ぎ、剣とぶつかり、至る所にオレンジ色の華が咲く。


 イグノアの方は防戦に徹し、致命傷を負わないようにヘルベルトの動きを必死に追っている状態だ。


 完全に注意がこちらに向いている、ヘルベルトの狙いは達成された。


 イグノアの三倍の時間動くことができるからこそ、ヘルベルトは一瞬であればマーロンの方を向くだけの余裕があった。


 マーロンを見てみれば、彼は既にディヴァインジャッジを発動するための準備を終えていた。


 だからあとは彼が放つのに適切なタイミングを作る必要がある。


 ディヴァインジャッジの速度は相当に速いが、直線的な軌道しか描くことはできない。

 この魔法の存在を知っている者でなくとも、やみくもに回避行動を取られてしまえば、それだけで避けられてしまうのだ。


 ヘルベルトの剣の柄が、イグノアの腿を強かに打ち付ける。

 イグノアの全身からは、血とも違う透明な液体が至るところから流れだしていた。

 どうやら甲殻には、血とは別に何かの液体が入っていたらしい。


 その液体に若干の粘性があるせいで、ヘルベルトの剣の切れ味が落ちてしまっている。

 そのため斬るというよりは叩く形で、使う剣技を選ぶ必要があった。


「ぐうううっ!」


 イグノアの顔に浮かんでいるのは、怒りだ。


 自分がまだ、こんな年端もない子供を相手に防戦を強いられていることによるストレス。

 先ほどから一度も、自分が攻勢に立てていないことへの焦燥感。


(魔人は何より闘争を好むと聞く。であれば一方的にやられる今の状況は、こいつらからすれば腹が立って仕方がないだろう)


 相手の苛立ちすらも計算に入れながら、ヘルベルトは冷静に自分の魔力残量を計算する。


 未だ残量は多いが……詰めのことを考えると、ほとんど余裕はなさそうだった。

 であれば、なるべく早い段階でマーロンが魔法を放てるだけの隙を作る必要がある。


(ここで――狙いにいく!)


 ヘルベルトは戦いに変化を出すために、敢えて自分の身体を魔力球から出す。

 そして本来の速度に戻った状態で、斜め上への切り上げを放った。


 それをイグノアは先ほどまでと同じ調子で防御しようとするが……即座に攻撃はこない。


 遅れて衝撃。

 違和感を感じながら顔を上げようとするイグノアの姿を確認した瞬間、再度魔力球へ。


 そして再びの三倍の振り下ろし。

 イグノアに攻撃がクリーンヒットする。

 魔人はよろめきながら、防御態勢を取ろうと後ろへ下がる。


 ヘルベルトは更に前に出た。


 剣撃、剣撃、剣撃。

 打ち合い、押し合い、圧し合いながらイグノアに傷をつけていく。


 無論、ヘルベルトも無傷ではない。

 彼は全身に切り傷を負い、イグノアの身体からしぶく粘液をその身に受けながらも距離を詰め続ける。


 イグノアがわずかに下がる。

 そして溜めを作り、剣を引く。

 それに合わせヘルベルトが――手に持ったミスリルソードを、思い切りぶん投げた。


「――っ!?」


 面を食らったのはイグノアの方だ。

 先ほどまで剣で圧倒していた相手が、いきなりその得物をぶん投げることを想像できる者が、いったいどれだけいるか。


 イグノアの胸に剣が突き立つ。

 だが魔力球から出てしまっているため、投擲の速度は三倍にはならない。

 剣は胸に刺さったが、明らかに浅かった。


 それを見て、イグノアがにやりと笑う。

 そして目の前の魔人の注意が完全に剣へ向いたことで――ヘルベルトもにやりと笑った。


「ディヴァインジャッジ!」


 後方から飛来する、極太のレーザー光線。

 魔を滅するために放たれた上級光魔法が、魔人を貫かんと空を駆ける――。

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