11
「ヘルベルト……」
公爵家の屋敷にある私室。
王国中の贅沢を集めたかのような華美な私室に座るのは、ヘルベルトの父であり、現ウンルー公爵でもあるマキシムだ。
今日はマキシムが許可を出し、久方ぶりに親子水入らずで話をするその前日。
ロデオの報告を聞いてからのマキシムの心は、千々に乱れていた。
各地からやってきている陳情についても、あまり処理することができずに、後回しにしてしまっている。
「どうして……今更……」
ロデオから話を聞いたときのマキシムの心境を、どう表せばよいのか。
とある決意を固めたばかりの彼にとって、ロデオの伝えてくれた情報はひどく心をざわつかせた。
折角頑張って結んだ決意が、ほどけてしまいそうで……マキシムは浅い睡眠を繰り返しており、貧血気味な日々が続いていた。
その決意とは――己が息子であるヘルベルト・フォン・ウンルーを、廃嫡する決意だ。
ヘルベルトに対するマキシムの思いを、一言で言い表すことは難しい。
マキシムにとってヘルベルトとは、何よりもかわいい長男で、神に愛された神童で……そして自分と妻のヨハンナを誰よりも悲しませた、不肖の子だった――。
幼い頃のヘルベルトは、それはもう愛らしい息子だった。
その瞳はヨハンナに似て好奇心に満ちあふれ、どんな時でもキラキラと輝いていた。
「私は父上のような、すばらしい領主になります!」
「そうか……それは嬉しいな。ヘルベルトならきっと、私よりよほどすばらしい領主になれるとも。そうしたら私はさっさと隠居をして、余生をゆっくりと過ごさせてもらおう」
「それはダメです! 父上と私、二人で公爵領を盛り立てていかなくては!」
「あらあらマキシム、まだまだ楽はさせてもらえないみたいよ?」
「ハハッ、これは手厳しい。けれど息子と一緒に領地を富ませることができるのなら、まだまだ隠棲までの道のりは長そうだな」
マキシムとヨハンナは、王国では知らぬ者のいないほどのおしどり夫婦だ。
リンドナーの貴族にしては珍しく妾の一人も取らず、二人の息子と二人の娘に囲まれた幸せな暮らしをするマキシムは、王国における有名人だった。
マキシムは実務においても有能であった。
実質的に各地の王国の貴族の伸張を押さえつけているのは、彼の手腕による部分が大きい。
王の右腕、などと称されることも多かった。
だからこそ、その後を継ぐことになるヘルベルトに、周囲の人間は注目した。
あのマキシムの息子は、いったいどれほど優れた人間なのだろうと。
その注目に晒されたヘルベルトは……周囲の期待に応えるべく、必死に努力をしていたように思う。
だからこそ周囲もまた、ヘルベルトに期待し続けた。
彼なら父のマキシムにも勝る王国の忠臣へ成長してくれるだろう、と。
だが結果は……そうはならなかった。
魔法に関して天賦の才があることを知り、武闘会で優勝したヘルベルトは、ロデオと共に行っていた鍛錬をやめてしまった。
ロデオは彼を見限り、一緒に稽古をしようと誘うこともなくなった。
魔法の才能に傲ったヘルベルトは、次第に頑張らなくなり、何事に対しても熱意を持たなくなっていった。
そんなことをしなくても、自分には溢れんばかりの魔法の才能がある。
周囲の人間もヘルベルトを褒めそやすものだから、傲慢な考え方にも歯止めが利かなくなっていったのだ。
この頃はマキシムもヨハンナも、そんな増長し始めていたヘルベルトのことを認めてしまっていた。
年頃の子がそれだけの才能を持てば、少しくらいは自信満々になるのも仕方ない。
二人とも息子のことが、何よりもかわいかったというのも大きいだろう。
ヘルベルトはそんな親の愛情を受け……次第に増上慢になり、横暴を働くようになった。
そして彼の周囲からは、どんどんと人がいなくなっていった。
ロデオの娘のティナがヘルベルトから離れていったのもこの頃だった。
甘やかされ、ブクブクと太りながら勝手気ままに暮らすヘルベルトのことをそれでも見限らない人間が、四人いた。
両親であるマキシムとヨハンナ、婚約者であるネル……そして最後は執事のケビンである。
ネルはヘルベルトと一緒にいるうちに心身を疲労させ、婚約こそ維持していたものの、ヘルベルトと会うことはなくなっていた。
そしてマキシムとヨハンナは、少しでもヘルベルトが改心してくれるようにと色々と手を打ち……その全てに失敗した。
(やはり息子だからと甘やかしすぎたのが原因だろう。神殿送りにでもして清貧な生活を続けさせていれば、また結果は違ったものになっていたはずだ)
マキシムはそう結論を出していた。
そして結局の所、息子の子育てに失敗したという烙印を押されたマキシム達は……ヘルベルトに見切りをつけた。
そして次男であるローゼアに急遽領主教育を叩き込むことになり……そして今に至る。
「間違っていたのは……私、なのだろうか……」
マキシムは一人、窓ガラス越しに空を見上げる。
ロデオの言う通り、ヘルベルトが時空魔法の使い手だというのなら。
彼があれほど増長したことも、ある種当然だったのかもしれない。
だとすれば悪かったのは、それをしっかりと御しきれなかった自分で――。
「マキシム、入ってもいいかしら?」
「――ああ、構わない」
思考を断ち切ったのは、控えめなノックだった。
許可を出すとすぐにドアが開かれ、部屋に妻のヨハンナが入ってくる。
自分と同年代とは思えぬ、それこそ未だに二十代後半と言っても通じるほどの若々しさだ。
私は良き妻を持った。
ヨハンナを見て、マキシムの心は少しだけ軽くなる。
「いよいよ明日なのね」
「ああ、そうだが……」
「私も行くわ」
「……私が一人で話をするよ。ヨハンナがわざわざ会う必要は――」
マキシムがヘルベルトに抱いていたのは、強い怒りだった。
けれどヨハンナが感じていたのは、深い悲しみだった。
まだヘルベルトのことを諦めきれていなかった時、ベッドの上ですすり泣いているヨハンナの姿を見て、そっとドアから離れたことが何度もあった。
そしてそれを見てまた怒りを感じて……そんなことをもう、何度したのかも覚えていない。
あの頃は二人とも、少し精神を病んでいた。
侍医に常備薬を用意してもらわなければ、眠れないような夜が続いたほどだったのだから。
もしかしたらまた、あの頃のようにヨハンナが傷ついてしまうかもしれない。
そう思ったからこそマキシムは、ヨハンナに同伴を許すつもりはなかった。
傷つくのは、自分一人で十分なつもりだった。
けれど彼女は、頑なだった。
「絶対に行くわ。ダメって言ったら使用人に無理矢理にでも場所を聞き出して、後から合流する」
「ヘルベルトのために、どうしてそこまでするんだ。君はただ、真っ直ぐなローゼアにだけ愛情を注いでくれていれば――」
「あの子は、私がお腹を痛めて産んだ子なのよ! 自分とへその緒で繋がっていた我が子の幸せを、願わない母親がいるもんですか!」
わかった、わかったよとマキシムはこれ以上の説得を諦める。
昔からヨハンナは、一度言い出すと決して曲げない頑固者だ。
彼女ならもし内緒でヘルベルトと話し合いをしたとしても、どこかから聞きつけて同席してしまうはずだ。
こうしてマキシムはヨハンナと二人で、ヘルベルトと話し合いをすることになった――。
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