第13話
恒星暦189年7月9日 航路公団サルベージ船 航海科休憩室
いつの間にか、回収区画からの音は止んでいた。放送が入って、作業の終了が通知されたのかもしれないが、耳にした覚えはアーニャにはなかった。
話に夢中で、コーヒーを飲んだところで、すっかり冷めきっていた事にお互い気が付く。
「まあ、この一件以来、私は「天下り」に類するものを心の底から嫌悪するようになっていったわ。だから、定年して次の仕事を探した時に「人の役に立つ仕事」と「自分の資格か経歴が活かせる」という分野から考えて、この航路公団を選んだの」
貴女がいたのはたまたまよ、と続けてエリーは冷めたコーヒーを口に運ぶ。
「あたしがいたのがたまたま?」
はあ、と息を吐き、エリーがアーニャ、と呼ぶ。
「まだ気付かない?」
しかしここに至ってもアーニャがエリーの意図するところに気付く様なそぶりはない。
「貴女のお母さんの、お姉さんなのよ。アニーは」
言われた当のアーニャは今一つピンと来ておらず、ぱちくりと一回大きく瞬きをする。
「あたしの、母の、姉が、エリーさんの、同期の、アニーさん?」
ということは、と数秒考えて再びアーニャが口を開く。
「あたしが、アニーさんの、姪?」
「あのアニーの姪よ」
エリーは表情を変えずにアーニャに事実を告げる。
「話しておいた方がいいこと、というのはそれよ」
話を始めたら、感情が堰を切ったように溢れ出す。
「貴女にどこか面影を感じると思ってたし、なんとなく引っかかるところがあったから勝手に調べさせてもらったわ。いつか話さないといけないな、と思ってたし、言うか言うまいか悩んでたけど、後回しにし続けていたその日が来てしまったわ」
ついに言ってしまった。アーニャに伏せていた、自分の感情を。今までの上司と部下の関係性には戻れるだろうか。全てを知った上でまだアーニャは慕い続けるだろうか。それとも。
大抵の場合、気味悪がって距離を取るし、転属か退職を希望する可能性だって否定できない。
ここまで話すのが正解だったかは分からないが、結果、自分でその関係性に引導を渡すことにしたのだ。話さなければ露見することも、壊れることもない関係性だったにも拘らず。
エリーの中で様々な感情が渦巻く一方で、アーニャは、ああ、と納得する。
「だからあたし、エリーさんの過去の経歴とか聞いたことなかったんですね」
言われてみてエリーは気付く。航路公団の職場のどこかしらで過去の話をした記憶はあったが、アーニャが知らなかった理由がここにあった。アーニャの前では、意図的に過去の話を避けていたのかもしれない。
しかしながら、「私は貴女にかつての幼馴染の面影を見た」なんて馬鹿げた30年越しの感情をぶつけられる方は堪ったもんじゃない。私の貴女への優しさの理由にはその特段の個人的感情も含まれている、なんて。
「えー、と」
それからアーニャは再び数秒間考えた末に口を開いた。
「取り敢えず、あたしは今から三億一倍魅力的になればいい、ということですか?」
思わずエリーは吹き出す。
「そうじゃないわよ」
くっくっ、と笑いを堪えながらエリーは、しかしついに耐えきれずに笑いながらアーニャに掌を振る。
「私は貴女にアニーの代わりを見出そうとしてたのよ?」
それなのに。
「そんなに今の告白を好意的に受け取る?」
「えー、じゃあ、30ヵ年計画の末、ということに?」
「いや、だから・・・・・・もういいわ」
こんなに感情の急降下と急上昇を繰り返したのはいつぶりだろう。
「ほんとあんた、そういう変なとこアニーにそっくりだわ」
その一言を発した直後に、エリーは発言の訂正を考える。この子はアニーじゃない。アーニャだ。ひとしきり笑った後でエリーは謝罪する。
「いや、悪かったわ。貴女は貴女、アニー・ウィルバーじゃなくて、アーニャ・ディリンハムその人よ」
笑いすぎて、とっくに枯れたと思っていた涙がエリーの目に滲む。
元気を取り戻したエリーの様子を見たアーニャは思い出したように質問する。
「ところで、私の母とはあれから?」
エリーは数十年分の記憶を辿るが、芳しいものには思い当たらなかった。
「何度か、帰省のタイミングでアニーの家は訪ねていたんだけど、貴女のお母さんとは会えてないわね」
あの一件以来ずっと気まずい関係であることは疑う余地がなく、そしてそれは現在に至るまで解消されていない。
「そうこうする内にあまり帰省もしなくなったし、貴女のお母さんも嫁いでいっちゃったから、あれきりかも。その内帰省してご実家には顔を出しておこうかしら」
顔の前で組んだエリーの手を、その上からアーニャが両手で掴む。
「じゃあ!帰港したら!行きましょう!」
その気迫にエリーは若干たじろぐも、すぐに柔和な笑顔に戻り、答える。
「ええ、そうね。是非ともそうしましょう」
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