雨の夜

 小降りだった雨は本降りに変わった。


 遠藤は、携帯電話を取り出し、誰かと話しをしている。



「おい、そっちはいいから、お前も上にあがって来い」



 工場の横に停まっていた、黒塗りの車の運転席から、男が一人飛びだし、事務所の階段を駆け上がった。



 事務所のドアが開き、応接室に近づいてくる。



 律儀に応接室のドアをノックする音がした。



「失礼します!」と、ドアの前で、男が一言述べた。



「おう、入れ」と、遠藤が応える。



 少しの間の後、ドアが開き、チンピラ風の男が、応接室の中に入って来た。


 入るやいなや「お疲れ様です!」と、男は、遠藤に頭を垂れ、一礼した。



「おう、来たか。工藤、そいつ起こしてやれ」と、遠藤は、男に命令した。



 大村は、乱暴に肩口を引っ張り上げられ、ソファーに叩きつけられる様に戻された。



「今から大事なお客さんが来るからよ、そいつが変な事しでかさないか見てろ」と、遠藤は指示した。



 重く張り詰めた空気と、流れが遅く感じる時間が、大村にまとわりついた。



***



 工場の下で車の停まる音が聞こえた。裕子が来たようだ。



 裕子は、工場の二階へと繋がる鉄製の階段を、滑らない様に、注意しながら駆け上った。



 事務室のドアが開いた。


「健ちゃん、お待たせ~。あれ?健ちゃん、誰か居るの?」と、言いながら、事務所の奥にある、応接室に向かった。



「健ちゃん、入っていい?」



 遠藤は、大村に顎をクィッと軽く動かし、裕子を中に入れる様に、合図を送った。



「ごめん、ごめん。中に入って」と、大村は、裕子に応えた。



「急いで来たから、傘、持ってくるの忘れちゃ……」



 裕子は、男二人に囲まれ、腫らした顔から血を流し、息をする度に、痛そうな表情を浮かべる大村を見て、息を飲んだ。



「どうも、こんばんは。ちょっとお邪魔させてもらってますよ、青木さん」



 遠藤は、だらしなく腕をぶらぶらさせながら、ソファーにもたれ、新たな獲物を捕まえた喜びに、サディスティックな笑みをたたえ、裕子に挨拶をした。



「まっ、そんな所に立ってないで座りな」と、大村の横に座る様に手招いた。



「健ちゃん!その怪我どうしたの!?ね~っ、どうしたの!?」



 全く状況が呑み込めない裕子は、怪我をしている大村を心配する事しか出来なかった。


「すまね~な、ちょっと可愛がってやるつもりが、溺愛しちまってよ~、痛かったか?大村さん」


 遠藤は悪びれる様子もなく、大村を茶化しながら、裕子に話し始めた。



「実はよ~ぉ、こいつに貸しが出来たんだよ。それを払って貰おうと思って来たんだよ」


 そう言いながら、契約書をテーブルの上に拡げて見せ、更に話を付け加えた。



「これが契約書、それと~ココ、分かる?おたくも連帯保証人になってんだよ、ね?」



「は、はい?れ、連帯保証人??ですか?」



「そう、連帯保証人。それも契約書の。ちゃんと、あんたと、横にいる大村の判が押してあるだろ?」



 全く意味の分からない話に、裕子もキツネにつままれた様子だ。



「二人揃た事だし、改めて自己紹介させてもらうよ。俺は、〇〇金融の代表を務めさせてもらってる、遠藤ってもんだ。それで、そこに立ってるのが従業員の工藤。ま~、表向きは、な。世間では、そうなってんだよ」


「でも私、そんな話知りません。それにこんな契約書、今日初めてみました。ハンコも押した覚え有りません。出鱈目な事ばっかり言わない下さい!」



 大村は、遠藤達に怯む事無く気丈に振る舞う裕子の姿を見て、自分の情けなさに悔しさを滲ませるが、一度味わった暴力の恐怖には勝てず、拳をグッと握りしめ、黙って様子を見てる事しか出来なかった。



「物わかりの悪い女だな、あんた。嘘も何も、この契約書が全てだ」



 遠藤は、これ以上説明するのが面倒臭くなったのか、ソファーに深々と体を沈め、目を閉じ、首も垂れに、頭を預ける様な姿勢で黙った。何か我慢し考えている様子だ。





「3000万だ。それで、この話は無しにしてやる。10日以内に用意しろ」



 遠藤はソファーから身を起こし、二人の前にグッと顔を近づけ、そう告げた。



 大村と裕子は、3000万と言う金額に言葉を失った。




「それじゃ、そう言う事だからよ、宜しく頼むぜ。用意出来たら事務所に持って来い、いいな?さてっ、と、こっちの話は終わったからよ~、帰るわ。邪魔したな、大村さん。おい!帰るぞ!車回せ!」



 後ろ手を組んで立っていた工藤は、「押忍ッ!」と、遠藤に頭を垂れながら返事し、走るように応接室を出ていった。



 遠藤は大村の肩をポン、ポンと軽く叩きながら、嫌らしい笑みを浮かべ立ち上がり、応接室を去った。


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