孤軍奮闘

 東京の某大学、とある会議室には数十人の老若男女が集められていた。この場に統一感は全くなく、飛び交っている会話の内容もてんでんばらばらとなっている。壇上で様子を伺っていた奈緒は定刻になったことを腕時計で確認して集団に語り掛けた。


 「あの!そろそろ時間なのでいいですか!?」


 緊張でほとんど声が出ない。そのことに自分でも驚いてしまい、何度か咳ばらいをして大きく深呼吸する。そうしていると近くにいた若い男性が声を張った。


 「すみません!そろそろ始まるみたいなんで!」


 その声は部屋の一番奥まで届き、全員が会議室の前方に注目する。するとその男性は下がっていき、再び奈緒に場が委ねられた。奈緒は小さく会釈をしてから口を開いた。


 「あの、こんにちは。今回、最初の会議にお集まりいただいてありがとうございます。リーダーを務めさせていただく小畑奈緒です。よろしくお願いします」


 「お嬢ちゃんがリーダー?幾つなの?」


 「えっと、27歳です。若輩者ですが……」


 「うんうん。それはいいからさ。まずは俺らがここに呼ばれた理由を教えてよ」


 定年まであと数年ほどと推察できる白髪の男が、客観的に見ても横柄な態度で奈緒に迫る。確かに、この場では奈緒が一番若いように見える。学術界の年功序列が垣間見え、高圧的な学者に奈緒は圧されてしまった。


 「ひとまず話を聞いてみませんか?」


 「君は?」


 「田辺孝弘です。城南大学で有機合成化学講座の助教をしてます」


 奈緒がしどろもどろになっていると再び先程の男性が助けてくれる。白髪の男の意識はそちらに向いた。


 「でもねえ。俺たちいきなり呼ばれたわけでしょう?で、その理由をまだ教えてくれないじゃない。国もそのお嬢ちゃんも。君はもう知ってるの?」


 「いえ。僕もまだ」


 田辺が首を横に振ると男が鼻を鳴らす。


 「それに皆専門分野が違うじゃないか。君は化学なんだろう?俺は理論物理でそこの人は生物学だって。で。この人は理論計算で……とにかく色んなところの学者をかき集めたって感じ」


 「ええ」


 「何がなんだか分からないけれど、これから一緒に仕事をしていくっていうのは決まってるみたいじゃないか。だったらお互いに知り合っておいたほうが都合がいいんじゃない?」


 「それもそうですね。では、もう少し雑談の時間を作りますか?」


 「それでいいかい?お嬢ちゃん?」


 「え、あ、はい……」


 奈緒にこの場を仕切る力などあるはずもなく、なし崩しに会議の開始が30分後ろにずれる。決まった途端、白髪の男は早速近くにいた別の男性と会話を始める。部屋が再び騒がしくなっていき、奈緒は仕方なく近くの椅子に座り込んだ。


 俯いて大きく息を吐く。そうしていると隣の席に田辺がやってきた。


 「ごめんね。勝手に時間ずらしちゃって」


 「いえ、むしろありがとうございます。私じゃ話をまとめられなかったので」


 「小畑さんだっけ?」


 「はい」


 「リーダーしてるってことは、皆がここに集められた理由を小畑さんは知ってる?」


 「はい。田辺さんも聞いてないんですか?」


 奈緒は不思議に思ったことを問いかける。奈緒は国からの要請でこの場のリーダーを任されることになった。よって、ここに学者が集められた事情も理解している。一方、その他の人選は全て国に任せていたため、説明が行われていない理由は知らなかった。


 「それはさっきの人が言ってた通りだと思うよ。皆どうしてここに呼ばれたのか分かってない。ま、事情が事情だからさ、協力しないわけにいかないし、こうして集まってるわけだけど」


 「そうだったんですね。……あの、先に少し説明しましょうか?」


 「え?いいの?なんか理由があるから隠されてると思ってたんだけど」


 「少なくとも私にそういう考えはないです。それに、見ての通り私だけだと会議が始ってもこの場をまとめられないと思うので、進行の手助けをしていただけるとありがたいなと。も、もちろん迷惑なら大丈夫です」


 「ううん。それは全然大丈夫。だけどさ、理解できないかもしれないよ?さっき話に上がったように学者が集められてるって共通点はあるけど、専門はバラバラみたい。だから多分、僕と小畑さんだって違うよね?」


 田辺の言う通りである。奈緒はそう思った末に、異分野の人に自らの研究領域を説明することがいかに難しいか気付く。奈緒の研究分野は排他的だったためなおさらである。


 「広義では宇宙物理学をしていました」


 「宇宙物理か。全然違うね。で、狭義では?」


 「真空エネルギーの利用についてです」


 「真空エネルギー?」


 田辺が小さく首をかしげる。奈緒はそれを見て無理もないと感じた。ある分野での大前提はあくまでもその世界だけの話。一歩外に出てしまうと即ちに共通認識ではなくなってしまう。


 「これも後で皆さんに一から説明していかないといけないんですけど、真空エネルギーは暗黒エネルギーとも呼ばれていて」


 「ああ、それなら聞いたことあるよ。なんかの科学系ドキュメンタリー番組で。でも、確かそれって人間には観察することもできないから、宇宙物理学の謎とされているんじゃなかったっけ?」


 意外なことに田辺は知っていた。表層的な理解でしかないが、それでもゼロから始めるよりも何倍も説明が簡単になる。奈緒は想定していた話の流れを変えて言葉を続けた。


 「表向きにはそうです。実際に、十年ほど前まではその正体について理解の糸口さえない状態でした。でも、それからブレイクスルーがあって。今では多くの国で秘密裏に研究が続けられています」


 「秘密裏に?特許が絡むとか?」


 「いえ、まあその可能性もあるんですけど、一番はこれが軍事研究にあたるからです。今の時代、特に気を遣わないといけないってことは分かってもらえると思います」


 「……じゃあまさか、今回集められたのって」


 「はい。真空エネルギーを利用した新型兵器の開発についてになります」


 「なるほどね」


 身構えていたようだが、それでも田辺は衝撃を受ける。周囲を窺いながら少しだけ奈緒に近寄り、声のトーンをわずかに落とす。


 「続けて」


 「田辺さんは少し前にあった北海道の爆発事件を覚えていますか?」


 「ああ、大学の講義室で爆発があって大勢の研究者と学生が亡くなったって。地元が北海道だから、母親からよく連絡があったよ。なんでもスパイの破壊工作だったって」


 「はい。その時に狙われたのがこの研究でした。研究は数年前から密かに行われていた。参加グループは少数で、内容も機密事項だったので事件の詳細は詳しく明かされませんでした。けれど、私はそこで亡くなった全ての人を知っている。恩師もそこで亡くなりました。おかげで博士課程を取得できる見込みはなくなりました」


 奈緒が冗談を交えて説明したところ、田辺は目を見開いて口をパクパクとさせる。数秒間だけ沈黙が流れた後、会話は再開された。


 「小畑さんってまだ学生なの?」


 「はい。こんな見てくれでわかりませんでした?」


 「あ、いや!……でも、それだとなおさらこの教授ばっかりのグループのリーダーをなんて大変じゃない?」


 「もともと私は人前に出ることが得意じゃないので、今すぐにでも誰かと代わりたいです。でも、私しかできないって自分でも分かってるので」


 「それって」


 「あの事件でこの国の真空エネルギーの研究者のほぼ全員が死んでしまいました。なにしろ、あの会議ではこの国の全ての研究者が集まっていたんですから。用事があった私は遅れて合流する事になっていた。不幸なことに、そのせいで私だけが助かってしまった」


 奈緒はその時のことを思い出して悔しさをにじませる。共同研究者は三十人ほどだった。学生はその半数ほどで、頻繁に顔を合わせていたため家族のような関係でもあった。だからこそ、そんな仲間を一度に失ってしまったときは自分を見失ってしまった。


 「それで、研究に詳しい人が小畑さんだけになったってことか」


 「はい。正直に言ってあの事件の後すぐは研究のことなんて考えられる状況ではなかったです。でも、誰かが引き継がないといけない。ここで私が諦めてしまうと、私の苦しみがなくなる代償として、もっとたくさんの大切な人を失ってしまいかねなかった」


 「そんなに大事な研究なんだ」


 「一部は今のこの国の状況をひっくり返すことができると評価しています」


 先に自分だけが聞いてしまったことを後悔しているのか、田辺は神妙な面持ちをしている。この国の歴史を知っている者であれば、奈緒の研究の詳細がわからなくともその兵器が内包する力を想像できてしまう。次第に田辺の顔に恐怖が浮かぶ。


 「この研究を始めた頃は正直、これが軍事利用されるとかあまり考えていませんでした。真空エネルギーの解明とその利用は宇宙物理学において極めて重要な課題であって、真理の追求を重んじる研究者にとって幸運とも言えるテーマでしたから。でも、今は違います。一刻も早くこれを兵器として完成させないといけない」


 「それって、つまり核兵器みたいな……?」


 「過去の核兵器のような役割だってことは間違いないです」


 「この戦争に使うってこと?」


 「そうです。国は同じ歴史を辿ることを恐れています」


 「同じ歴史……」


 「先の大戦中、核兵器研究は各国で競われていた。そして、先に作ることができなかった私たちの祖先は、その恐ろしさを思い知らされた。この真空エネルギーも同じです。世界各国でそれぞれが秘密裏に研究を進めています。当然、今、私たちの国に攻め込んできている彼らも。すでに最終テストまで進んでいてもおかしくありません」


 奈緒はあえて恐怖を煽るような言葉を選ぶ。長年、こうした研究は疎まれてきた。当然、奈緒も積極的に大勢の人の死に関わりたいわけではない。しかし、そう理解した上で進めなければならないと確信し、今この場にいる。そして田辺への説得を行っていた。


 「僕らは……あとどれくらいで?」


 「基礎は完成しています。細部を詰める段階で事件があり、中断していました。一刻の猶予もありません。だから国は機密扱いを緩めて広く研究者の協力を仰ぐことにしたのです。先を急ぐために。遅れると、地獄を見るのは私たちですから」


 「そっか、うん。……ちょっと待って」


 田辺は唇を噛んで何度か自分を納得させるようとする。しかし、その顔からは生気が失われ、真っ白になっていた。誰でも最初はそんな反応になってしまう。奈緒以外は科学的探究心があるわけでもないため、研究目的が全てそちらに注がれてしまうのだ。


 「奈緒さんは平気なの?」

 

 「平気じゃなくてもしないといけない。国に言われたからじゃない。恩師の悲願だから続けるんでもない。私にも守りたいものがある。それだけのことです」


 「………」


 「私の実家は九州です。両親には何度も避難するように言ったんですけど、ずっと住んできた土地だからと離れたがりません。いつ戦火に巻き込まれるかわからないのに。また、私には弟がいます。でも戦争が始まった後、自衛隊に加わったので今では音信不通です」


 奈緒は自身の状況について話す。この後の全体説明ではもちろん話す気などない。田辺に話している理由は、奈緒の目的を達成するために何よりも田辺の協力が必要不可欠だったからである。


 「戦争が始まるまで、弟にいわゆる愛国的な考えはなかったように思います。だからきっと、自衛隊に参加したのだって私と同じ考えだと思うんです。両親はもう諦めていて、全てが終わった後に見つかると良いねと話してました。だけど、私はまだ信じてる。もし私の研究が形になれば、今後死ぬ運命にある家族を救えるかもしれない」


 奈緒は淡々と語り続けた。感情的にならないのはすでに何度も苦しんだから。田辺は難しい顔をしたまま固まっている。奈緒が待っていると田辺は低い声でゆっくりと問いかけた。


 「昔、核兵器が使われたのはこの国の帝国的な継戦意思をくじくためだった。でも、今回はその時とは逆でこの国が侵略を受けてる。敵はこれから占領する土地に使うだろうか」


 「私は軍事の専門家じゃないから分からない。だけど、使うことを否定はできない。東京には使わないかもしれない。でも、僻地には使うかも。私の故郷かもしれないし、田辺さんのところかもしれない」


 「でもそんなのを使うと他の国の反発に遭うだろう。今はほとんどが静観してるけど」


 「エスカレーション抑止は効かないって推測が一般的らしいです。なにしろ、最初にこの兵器を開発した国が絶対的な力を手に入れるんですから。それをどの国が何をもって抑止できるのか。その時点で終わりなんです」


 奈緒はそこまで言ってからため息をつく。何十年も後、自分の名前が悪名高い科学者として教科書に載るかもしれない。そんなことのために科学を追求してきたわけではない。しかし、いつの間にか誰も知らないうちに賽は投げられてしまっていた。そうであればたどり着くべき未来はたった一つに収束する。


 「……どうして他分野の研究者が?」


 「人体に与える影響、与えられる化学物質の同定、最適な威力のシミュレーション。挙げればきりがありません」


 「……分からない」


 「たかだか数十分の話では仕方ないです」


 「この場の協力を取り付けられなかったら?」


 「それは困ります。私だけではどうすることもできませんから。そうなるといずれ……」


 奈緒は田辺と顔を合わせて小さく首を横に振る。それだけで田辺は何を意味しているのか分かってくれた。しかし、なおも葛藤は続いている。


 「分かった。説明のときには僕は小畑さんの隣に立って補助をする」


 「ありがとう」


 「でも、それが最終的な決断じゃないことは分かって」


 「うん、説得してみせる。……家族のためだから」


 奈緒がそう言い切ると、田辺は何度か頷いてから立ち上がる。時間は再び会議が始まる予定時刻となっていた。先に深呼吸を済ませた奈緒は、恐れる未来を避けるために自らを鼓舞した。

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