1-002 新たな日常(午前)

 若様の朝は体力トレーニングと週刊誌による情報収集で占められている。

 新聞を読みつつ世情を把握して貰うことも重要だけど、未来から逆行タイムトラベルしてきた上に、前世から新聞を読むことの習慣化ができていない以上、強要してもあまり効果は期待できない。週刊誌だって、読んだことのない漫画を流し読みする程度なので、そこまで時間を掛けているわけじゃなかった。

 だから体力トレーニング中に、器具に取り付けた小型テレビに映したニュースを見て貰い、ルーム内にラジオを流してBGM代わりに聞いて貰っている。それで補えない分の情報ニュースはこちらで伝えれば、若様は『世間知らず』にならずに済むだろう。

「ええと……」

 食べ終えた朝食の食器等が載ったカートを厨房へと戻し、ついでに昼食の希望を伝えた私は、屋敷内にあるトレーニングルームのベンチに腰掛けて、今日の朝刊に目を通していた。

 若様は今頃メイドさんの手でトレーニングウェアに着替えている頃だろう。余裕があればその途中でよろしくやっているかもしれないけれど、そればっかりは私が口を挟むことじゃない。

 だから今日も今日とて新聞を眺めていたのだけど……とうとう来たるべき日が近付いていることが分かり、少しだけ気が重くなった。

「有名どころがぞろぞろ出て来たわね……」

 時代はコンピュータの歴史で言うところの第四世代に差し掛かり、未来の、つまり現行型のPCが開発されるまで後わずかとなっていた。念の為にと購入していたIT関連の有名企業の株価も、完全に値上がりしている。それこそ売ってしまえば、現時点でも一財産築けてしまえる程に。

 しかし資金面は元々考慮不要なので、株を購入したのには別の理由がある。あの『声』から課された目的を果たす為に、株主としての経営方針に口を挟んだ方が有用かもしれないという、保険的な意味で購入していた。費用面で見れば後から購入しても問題ないけれど、注目度を考慮するならば、今の内から用意しておくに越したことはない。

 こういう時は、未来が分かる私達の方が有利だった。だけどその分、気を付けなければいけないのは……

「今のところ……時間の逆説タイムパラドックスは起きてなさそうだけど……」

 過去が変わるということは、訪れる未来も変わるということだ。とはいえ、油断はできない。

 未来から来たとはいえ時間移動タイムトラベル自体、現代科学でも未だに机上の空論を出ていないのだ。中には『過去を改変しようとしても別の平行世界が生まれるだけで、自分達が生きている現時点が変わることはない』という考え方もある。

 あの『声』が世界の未来を変える為に若様を過去へと送った時点で、過去改変自体は可能だと考えているけれど……不完全な理論で虚構フィクションの範疇から抜け出せていない以上、私達は未だに疑っていた。

(過去に干渉するだけで……本当に未来が変わるの?)

 それも含めて、これからの活動を考えなければならない。

(本当にただ、過去に干渉して未来を変えればいいだけなのかしら……?)

 読み終えた新聞を畳んだ私はベンチから立ち上がり、丁度トレーニングルームに入ってきた若様達を迎え入れた。今日は、というか今日もまた水着を身に纏って。

「若様、今日は水泳ですか?」

「何となく、泳ぎたくなったんですよね~」

 そういう若様の目は、若干泳いでいる。

 やはり精神年齢が若いのか、ニュースを見るといった世情を知る行為を疎ましく思っている節がある。おまけに、器具に取り付けたテレビではニュース以外を流さないようにしているので、肉体的にも精神的にもきついのかもしれない。実際、若様の知らないところでは、『ニュース以外を流す』、『テレビ自体を外す』という意見も出ている位だ。

 だから若様はよく、ニュースをBGM代わりに聞けて、かつ水中で身体を動かすだけの水泳に逃げていた。私としては、内容を調整すれば運動不足にはならないので、特に問題はないと思っている。

「じゃあ水泳コーチさん、呼んでくるから準備運動していてね」

 トレーニングルームには体育教師や運動部員だった人達を中心にした何人かが控えている。普段は若様の専属トレーナーやこの部屋の管理が主な仕事で、手の空いている時は別の所を手伝っていることもある。また、空き時間かつ若様のいない時は他の人(女性のみ)も利用することを許していたので、その対応も仕事の内だった。

 体調管理や体型維持も、私達にとっては立派な仕事の一つである。

 そして控え室に声を掛けて、水泳コーチさん―水泳部顧問のトレーナーだった人―を呼んだ。

「すみません、今日は水泳でお願いします」

「……今日、だろ?」

 しかし答えたのは、トレーニング関係の総責任者である体育教師さんだった。丁度打ち合わせか何かをしていたのか、椅子に腰掛けている彼女の隣に立っている水泳コーチさんは、ただ静かに苦笑いを浮かべている。

「トレーニング中は単調作業で飽き易いから、ってテレビを付けるのには賛成したがな……ニュースだけを流すのは、やっぱり逆効果だろう?」

「……先生の場合は、もう少し加減して下さい」

 若様が水泳に逃げる理由の一つに、この体育教師さんの熱血振りについていけなかったこともあるのだけど……この人は呆れるだけで指導内容を替えようとしないから困っちゃうのよね。おまけにちょっときついだけの、本格的な筋トレ一歩手前だからかえってたちが悪いし。

「だがあいつの能力チートは本物だぞ。鍛えないともったいなくないか?」

「だからって、本人に強要しても嫌がられるだけですって……」

 その辺りは教育論の話になりそうだけど、若様の場合『学校の』じゃなくて『家庭の』になりそうだから不思議だ。やはり精神年齢をもう少し上げるように指導した方がいいのかもしれない。

 その辺りは今度話し合ってみるとして、今は……

「とにかく、今日水泳でお願いしますね。詳しい話は彼のトレーニングが終わるまで、私で良ければ聞きますから」

「ああ……分かったよ」

 そして私は水泳コーチさんと入れ替わりに、体育教師さんとみっちり話し合うことになりました。

 ああ、疲れる……




 どうにか折を見て説得する方向に話し合いが終わった頃には、若様のトレーニングも終了したらしい。

 今は着替えている若様を置いて、先に書斎に来て週刊誌や新聞の切り抜きを準備していた。話し合いはニュースを聞きながら行っていたので、重要なものや新聞にしか載ってなかった分を切り抜いて用意するようにしている。

 もちろん、スクラップ用の記事は別の新聞から切り取り、スクラップブックにして書斎に保管してある。ネット社会が構築されてない以上、記録は残しておくに越したことはないからだ。

「こうなってくると、過去に戻るのも手間よね……」

 文明の利器のありがたみを噛み締めながら、一通りの作業を終えて軽く伸びをする。ついでにお茶でも淹れてこようかと若様達が来る前に、私は書斎を出て厨房へと向かった。

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