0-003 初動

「当日とはいえ、私達はついていましたね……」

「はい、なんとか……」

 やはり先生を呼んで正解だった。

 私達は今、個人規模でも利用可能な研修センターへと来ていた。宿泊施設や食堂も完備された場所なので、ホテル代わりにも使えることを私は知らなかった。

 おそらくは研修とかで利用したことがあるのだろう。インターネットが普及する前とはいえ、先生は公衆電話に常設されている分厚い電話帳や、そこから近い交番で聞き込みをして調べたことで、この施設に辿り着いたのだ。

 今日は一先ずこの施設に泊まり、可能であれば数日をここで過ごすことになる。

 そして……方針を固めて最初の行動予定を立てながら、他にも必要な人材を集めることになった。ここなら泊まる場所だけでなく、打ち合わせに使える会議室もある。

 都合良く時期外れだったのか、他に大型の予約が入っていないのは助かった。かえって目立つかもしれないけれど……そこだけは運頼みにせざるを得ないだろう。

「今日はもう休みます。部屋はシングルで人数分、横並びに借りました」

 さすがに異性もいるので、端から彼、先生、私、後輩の順に部屋を使うことにした。

 最初は私か、彼が気に入って(懐いて?)いる後輩が彼の隣の部屋を使った方がいいかもしれない、とは提案したものの、先生に却下されたのだ。

『詳細が分からない内は、異性間の区別はきっちりとつけておきましょう』

 そうすると先生の方が危険になるのではと考えたが、彼女は『教師だから』とこの割り当てでいくことを指示した。

「ここが僕の部屋ですか……」

 しかし集団行動に慣れていないのか、先生の部屋割りにも違和感なく、彼は部屋へと入ろうと扉を開けた。しかし何故か、急に足が竦んでしまったかのように中に入らず、その場で立ち止まってしまっている。

「どうかしたの?」

「いや、えっと……」

 残った私達で部屋の中を見てみるものの、普通のホテルのシングルルームと大差なかった。しかし彼の身体は震え、その場に蹲ってしまっている。

「あ、ああ……」

「……大丈夫?」

 後輩の彼女が跪いて彼の背中を摩るものの、未だに原因が分からないまま、一旦休憩所へと移動することにした。

「す、すみません……」

「大丈夫。大丈夫だから、ね……」

 彼は一先ず後輩の彼女に頼んでから、私は先生とこの状況について話し合う為に、少しだけ距離を取った。

「迂闊でしたね……下手にシングルルームを選んだのは間違いだったのかもしれません」

「どういうことですか? 先生」

 未だに分からない私に、すでに原因が分かったのか先生は説明してくれた。

「おそらく似ていたんでしょう……病院の個室に」

「あ……」

 そうだ……彼は病院のベッドの上で息を引き取ったと言っていた。

 そこに類似した部屋を見て、思わず身が竦んでしまったのかもしれない。精神的外傷トラウマを呼び起こす結果になってしまったことに、私と先生は少し後悔してしまった。

「もう少し配慮すべきでした。今後の関係にも影響しかねないですし、何より……」

 先生の顔に、少し苦みが浮かんでいる。教師としてか、それとも一人の女性としてか……いや、その両方なのだろう。どちらにせよ、彼女の瞳には後悔の念が浮かんでいた。

 彼は私達を呼び出した存在であると同時に、精神的に幼いところのある、一人の人間なのだから。

「どうしましょう? このまま別のホテルを探しますか?」

「いえ……一度ツインルームで問題ないか、確認してみましょう」

 先生は私の格好・・を見てから、そう答えてきた。

「あまり制服姿のまま、あなた達を夜更けに歩かせるわけにはいきません。それに……」

「……ホテルの部屋でも同じ結果になる可能性が高い、ですか?」

 やはり……今後拠点は必要となってくる。

 でも今は、彼を今夜寝かせるにはどうすればいいのかを、考えなければならない。

「あの……」

 しかし……その心配は杞憂に終わった。

「寝ちゃった、みたい……なんですけど」

 休憩室のベンチに並んで腰掛けていたはずの二人は、少し見ない内に状況が変わっていた。

 やはり部屋が原因だったのだろう。彼は今、彼女の膝の上に頭を載せて、静かに目を閉ざしていた。寝心地はともかく、今はそのまま、ベンチの上で睡眠をとった方が彼の為かもしれない。

「後で部屋から、枕と布団を持って来ましょう。今日は私が、ここで彼を見ています」

「……簡易ベッドと一緒に借りれないか、聞いて来ますね」

 近くに寄せた椅子に腰掛ける先生を背に、私はセンターの事務室へと向かった。




「海辺の豪邸や……タワーマンションの最上階、ですか?」

「はい」

 後輩の彼女は、今はシングルルームに戻って貰っている。彼は起きるまでベンチの上で寝かせたままにし、その近くの席で私と先生は、今後の拠点について話し合っていた。

「映画か何かを見て影響されたと思っていたのですけど……そういう理由もあったんですね」

「そうなりますと……人員よりもまず、拠点を決めないといけませんね」

 この研修センターの利用目的の一つである、今後の活動方針を固める話し合いは、最低限にしなければならなくなった。

「いえ……かえって、都合が良いかもしれません」

「と、おっしゃいますと?」

「……あなたが掲示した条件です」

 それを聞き……私は彼に、協力する為に告げた言葉を思い出した。

『必要になれば何か協力をお願いするかもしれないけれど、基本的に私と他の人達だけで行動しようと思うの』

「彼とは別に活動を行う予定でしたが、かなり早い段階から可能になるかもしれません。邪魔、というわけではありませんが……場合によっては、非情にならざるを得ない場面も出て来るでしょうから」

「それは……必要であれば武力も使う、ということでしょうか?」

「あくまで最悪の場合には、ですけれどね……」

 人間は、完璧な生物じゃない。

 いくら法律という社会の掟ルールを築こうとも、作る人間が完璧じゃなければ、常に正しいとは限らない。だから新規制定や改正法令は時折行われていた。『声』に求められた目的も、ある意味人間だけでは限界だと思われてのことだとも考えられる。

 そして今は過去。時代的にはかなり大雑把な価値観を持つ人間が多く、戦後からの改正や社会的な発展による制定まで、現代に比べて不透明な部分だらけだった。

 しかし、だからこそ……法に縛られない手段を用いても、正当化される利点があるとも言えた。

「その際、保険として彼には、『無関係』を貫いていただく必要があるでしょう」

「もし失敗してもいいように……ですね」

 私の言葉に、先生は静かに頷いた。

 そう、私達はまだ行動を始めていない。

 成功だけを考えるのも時には必要だが、物事をこなす上では、失敗した場合のことも考えなければならない。だからこそ、彼と行動する場合は一定の距離を保つ必要がある。

 そして彼にリストを見せて貰った限りでは……当面の間、人材に事欠くことはない。それどころか、最後の一人まで呼び出すことはない可能性まであった。

「その為……場合によっては、あなたには一番辛い立場に立って貰うことになるでしょうが……」

「大丈夫です、先生……もう覚悟はできています」

『あなたの目的を達成する為に……私が・・中心になって活動してもいいかしら?』

 彼にそう言った瞬間から、ずっと……

「明日から早速、私は彼と共に行動します。連絡は随時、」

「よろしくお願いします。必要なものは都度、伝えますので……」

 ……もし裏で大きな問題トラブルが起きたとしても、彼に対してはずっと笑って、誤魔化し続ける覚悟を。




 そして翌朝、私達は早速行動に移した。不動産屋に赴き、一先ずの家を購入。

 それでも豪邸の類ではあるものの、彼の経済力を考えればまだまだ小さい。一時凌ぎとはいえその家を購入した目的は寝床……病院の個室とは雲泥の差がある主寝室だった。

「わぁ……あっ! あれは何かなっ!?」

「あ、待ってっ!」

 内見で後輩と一緒に手を繋ぎながら、あちこちを見て回る彼をそのままに、私と先生は、不動産屋さんと購入の手続きを行うことにした。

 最低限の条件さえ揃っていればいいからと選んだ豪邸だったが、元が良い分住み心地は悪くない。むしろ一般家庭(という設定)だった私にとっては贅沢な物件だった。

「……以上で手続きは終わりです」

「ご苦労様です。ガス等のライフラインもできるだけ早く使えるよう、お願いいたします」

 後の手続きは先生に頼むこととして、私は後輩と共に豪邸内を探索しに向かった彼の様子を、玄関広間のバルコニーから静かに眺めた。

「…………」

 条件を出した時、彼は言っていた。

『僕はただ、自由に創作活動をしながら生活しているだけでもいいってことでしょうか?』

 それがどこまで本気なのかは分からないし、正直に言えば割とどうでもいい。

 大事なのは彼をこちらの都合で振り回しつつも、活動の邪魔にならないように丁重に扱うこと。場合によっては知っている人間を、もしくは自身の身体を使ってでも篭絡しなければならなくなる。

 彼の能力チートの6、『不老及び周囲への認識阻害(NPC含めて若いまま、不審に思われない)』というのは行動する上では有用だが、人として生きていくのであれば確実に邪魔になる。

 不老ではあっても……不死・・ではない。

 それが身体にどのような影響を与えるのかは今後の観察次第だけど、生理周期、最悪妊娠機能にまで異変があるかもしれない。

 たとえば……避妊を気にせず性交ことを楽しめる可能性もある。

 それらを含めて、彼を自主的に軟禁する状況を作らなければならない。いや、むしろ……

「彼の創作活動も……場合によっては、使えるかもしれないわね」

 とはいえ、肩書きもやる気もなく作られた物は所詮、ただのゴミだ。そこは彼の自主性に任せればいい。

 創作活動による印象操作は成果次第だろうけど……最初の内はやる気を損ねず、家の中で作り続けさせる。仮に損ねても、女体や前世からの趣味らしいゲーム等で気を逸らす。

 その裏で先生を通して、本来の目的である法案の可決を成功させる。

「そして幸か不幸か……」

 彼に身体を許すことは、決して不快なものではない。少なくとも私は、そう印象付けられていた。

 関係がどこまで発展するかは分からないし、もしかしたら彼が望まない可能性もあるけれど……男女の差はあれど、性欲に関しては人類共通だ。最悪男性の夢である後宮ハーレムによる性交セックス漬けの生活を送らせれば、活動への支障は一切起きないだろう。

 むしろ、問題なのは……『声』が私達・・に何かしらのアクションを起こす可能性があることの方だ。

「向こうが目的を果たすまで、静かに待っていてくれるかどうか……」

 まだスマホどころか携帯電話すら普及していない時代なので、その辺りは猶予期間があると信じたい。

「さて……」

 まずは彼を、どこかの会社の御曹司という身分に仕立てて、私はその近くにいても不自然じゃない存在にする。

「となると専属秘書とか……女執事も良いわね」

 少しでも状況を楽しむ。それもまた……今後生きていく上で重要な要素だった。




 そして、私が彼の執事となり……数年の月日が流れた。

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