白昼夢の終わり

目覚めた世界




「21世紀半まで魂は非科学的なものとされてきましたが、魂魄類こんぱくるい生物の発現によって存在が証明されました。不浄な魂で生まれてくると凶悪性を持つこともわかっています」


 机が扇状に何段も並ぶホールの中心で、大型光学モニターをバックに立つ女性が柔らかな声色で語る。ゆったりとしたグレージュのニットに重ねた白衣の胸ポケットには、小さな金バッジが輝いていた。情報転写式具現装置リアライズを駆使して特に優れた器を作る者へ与えられる称号、『コーディネーター』の証である。


 ラフなシニヨンにまとめた赤毛と白い肌に散るそばかすが印象的な彼女は、五年前とは違って授業中だけ大きな丸眼鏡をかけていた。度数は入っていない。テトラクラマシーによる眼精疲労を軽減する淡いカラーグラスの下には、実用化されたコンタクトタイプの新型アイデバイスが常に装着されている。


「多くの一般人を震撼させたシリアルキラーたちは、前世で魂が捕食されなかったことで浄化機能が作用せず、結果的に悪性が強まっていた可能性が高いとされています。つまり魂の浄化と循環を司る魂魄類こんぱくるい生物は、私たちになくてはならない存在なのです」


 デイドリーマーズは学術的にその存在を認められ、新たに『魂魄類こんぱくるい生物』と分類された。真昼に見る夢などではなく、一つの生物として認可されたのだ。脊椎動物でも無脊椎動物でもない、全く新しい存在として。


 モニターに映された資料には、不浄な魂を持って生まれたがために人間性が削がれ、猟奇殺人や大量虐殺に手を染めてしまったとされる事件がずらりと並ぶ。その中にはビンツの魔女と呼ばれた女性による連続殺人事件もあった。


 だが机で頬杖を突く一人の男子生徒には、別の関心があるようで――。


「いいよなぁ、アネット先生」


 席から彼女を眺めていた生粋のパリジャンである男子生徒が、金の前髪を軽く整えながら熱っぽく呟いた。


 アカデミーの生徒なら誰もが一度は憧れる存在。持って生まれた超色覚と感受性が作り出すデータの器は唯一無二のクオリティを誇る。五年前に突如として人の目に映るようになった超常生物――彼らとの架け橋として人類の期待を華奢な肩に背負う稀有けうな女性には、憧れとは少し違う熱視線が集まる。物腰は柔らかだが凛とした声で語る彼女を見て、鼻の下を伸ばす生徒は少なくない。美しい女教師とは、常に年若い欲望をぶつけられる対象なのだ。


 ブロンドの男子生徒がだらしない顔をしていると、隣で手元のタブレットに目を通していたブルネットの同級生が憐れみの視線を向けた。


「あー……お前、先月ここに来たばかりだったよな。一応教えてといてやる。コーディネーター・アネットはやめておけ」

「あ? なんでお前にそんなこと言われなくちゃいけないんだよ」

「なんでも、だ。後悔するのはお前だぞ?」

「別に既婚者ってわけじゃねぇし、気になる女性を口説くのは生涯の嗜みだろうが」


 身体の隅々まで流れるパリジャンの血が愛を囁きたいと脈打つ。レーザーポインターを持つ手を取り、爪先までよく手入れされた指をなぞって散々に愛撫してやりたい。あの清楚な佇まいの下に眠る淫らな花は、きっと眩暈めまいがするほど煽情的だろう。


「想像は理解の前段階。情報転写式具現装置リアライズは理解のシステムです。まずは彼らのことをこのアカデミーで知って、そして想像してみてください」


 アーティはデイドリーマーズのことを説いているのに、彼女とのあれこれを想像してしまう男子が後を絶たない。授業終了の鐘の音と共に意気揚々と立ち上がった哀れな金髪を、黒髪の青年はやれやれと見送った。彼もまたこのアカデミーに築かれた屍の山に名を連ねることになるだろう。


「アネット先生!」


 廊下に出た白衣に声をかけると、鮮やかな赤毛が振り返る。

 フランスの成人女性にしては幼さが残るあどけない顔立ちに見上げられ、素直に胸が高鳴った。


「どうしたの? 何かわからないところでもあった?」

「そうなんです。先月パリから来たばかりで、授業以外にもまだわからないことが多くて……」


 嘘は言っていない。新たに設立された専門対策機関『魂魄類こんぱくるい生物国際研究所』の本部は、ミュンヘンの国定製薬会社跡地に建造された。五年前にUMI型に強襲されたリューゲン島の復興を後押しする意図もあるらしい。

 無駄に広い敷地内には研究所の他に、専門的な知識を学べるアカデミーも併設されている。そこには未知の存在に惹かれた研究者の卵たちが世界中からつどっていた。


「そっかぁ。親元を離れてる子も多いし、色々と不安だよね」


 さすがは天性の共感力。大きなオーバルレンズの眼鏡を外して細められた青い瞳には慈愛が満ち溢れている。その様子は心配になるくらい隙だらけで、下心を疑いもしていない。


 こんなに無防備なんだからきっと男慣れしていないはず。押せばすぐ落ちる。


「あの、これからの時間って空いてます? もしよかったら相談に――」


 そう言いかけた時、建物の上空に大きなプロペラ音が響いた。研究所のロゴが入ったヘリコプターに気づいた生徒たちが、一斉に中庭へ集まり始める。


 せっかくの会話を遮断する邪魔な音だ。一気に騒々しくなった周囲に、男子生徒は誰にも気づかれないよう舌を打つ。気を取り直して話の続きをしようと、再び薄っぺらい笑みを貼りつけた。


「それで、あの、アネット先生」

「ごめんね、用事ができちゃった」

「え?」


 大きなアクアマリンの瞳は既に彼を見ていない。中庭に併設されたヘリポートに着陸しようとしている大型輸送機に釘付けだ。無機質で冷たい鋼の檻が聖夜の贈り物に見えてしまうほど、不相応な慕情が溢れ出している。


 アーティは呆ける男子生徒の横をするりと抜け出し、人混みを掻き分けて中庭へ出た。旧組織の本部の地下で朽ちていたエドワード・Q・アダムスの石像が見守る中、一歩、また一歩と足を踏み出す。


 十二月のドイツは寒さが最も厳しい季節。肌を突き刺すような凛冽りんれつとした空気に、淡く色づいた唇から白い吐息が漏れる。プロペラが巻き起こす風にひるがえる白衣がより白く見えた。


 周囲に集まった生徒が何事かと見守る中、着陸動作を終えた大型ヘリコプターの重厚な扉が開く。長らく待ち侘びた帰還に、アーティはわき目も振らず駆け出した。


「マコト先生!」


 翼が生えた幻覚が見えるくらい軽やかな跳躍だった。先頭で降りて来た男が、生徒たちの憧れの存在を片腕で抱き止める。明らかに親密そうな二人の姿に、事情を知らない一部の観衆から悲痛な叫びが上がった。もちろん金髪のパリジャンもその中の一人である。


「何あれ……」

「アマゾン熱帯雨林へRIKU型巨像の大規模調査に行ってた探索班だ。おおよそ三ヶ月ぶりの帰還だな。ちなみにあれは班長のマコトさん。KAMI型巨像派生の旧エネミーアイズ兼ライザー所長の親友兼コーディネーター・アネットの実質的旦那」


 規格外要素てんこ盛りの人物を丁寧に紹介してくれたブルネットの同窓生は「だから言ったろ」と肩を竦めた。


 重苦しい防護服のヘルメットを脱いだ横顔は遠目から見ても恐ろしいほど整っていて、流行りの歌手や俳優と言うよりルーヴルに飾られる芸術品に近い。

 そんな男が、憧れの女性を抱きしめ返して頬に口付ける。途端に耳まで熟した彼女を隠すよう、脱いだ上着を被せた。


「ただいま、アーティ」

「ふふっ。おかえりなさい、マコト先生」


 寒空の下なのに、二人の周りだけまるで常夏の島国のようだ。

 班長の背後で詰まっている班員たちはげんなりとした顔を隠しもしない。慣れた者からすると日常茶飯事の過剰糖度なのだろう。


 三ヶ月ぶりに恋人を補給しながら周囲を牽制する抜け目ない……いや、大人げないマコトの行為に、失恋した男子生徒たちから阿鼻叫喚が響き渡る。さらには今まで見たことがないくらい幸せそうに微笑む彼らのミューズが、恋する生徒の夢と希望をバッサバッサと薙ぎ捨てた。


 勝てない――本能的に圧し折られた横恋慕の墓標が、アカデミーに山となって積み重なったのだった。



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