第95話 終わりへ向かう扉




『チィッ……余計なことを……!』


 笑みを浮かべる者たちの頭上を旋回していたフランチェスカが忌々し気に吐き捨てる。

 中身のある器はそれ自体が一つの個だ。同じ器に二つ入ることはできない。怪物の子どもを乗っ取る算段が潰えた今、ここに長居する理由はない。だが……。


『ああ……そこにも作り物がいるじゃないですか』


 天窓付近を漂いながら、家政ヒューマノイドをうっとりと見下ろす。

 AIを搭載したヒューマノイドは自我のある個体に見えるが、それはプログラミングと自己学習が作り出した幻想だ。サイボーグと違って当然そこに魂はない。フランチェスカにとってはただの容れ物に過ぎなかった。


 それに、あの顔は見たことがある。大手ロボットメーカーの看板商品であり、全世界販売台数歴代第一位を記録した量産品だ。開発の裏には忌まわしき旧友が絡んでいる。間接的にはマスターピースの手がけた作品と言っても過言ではない。


 何より、彼が作った器はよく馴染む。最初に与えられた土の人形は二百年もった。


『間に合わせには十分ですね。死してもなお私に利用されるなんて、因果な男……』


 放散していたもやが瞬きの間に集結し、ララへ一直線に馳突ちとつする。白いヘッドレストがハッと頭上を見上げるが、もう遅い。発射されたロケットが燃焼ガスを噴射するように、辺りには爆発的な黒煙が広がる。


 ――だが、呪いがララへ届くことはなかった。


「やっと捕まえました、クソッタレ」


 ぼやいたのは、それまで失神していたはずのカタリナだった。

 仰向けの状態のまま鋭い視線を突き刺すミティアライトの瞳が、七色に発光している。内部CPUの処理に応じて漏れ出るその輝きが大きくなるのに連動して、上空を飛ぶドローンの照射する光が強くなった。触れない存在を具現化させる、理解の光だ。


 光は怨念に吸い付き、寄せ集まる。ララへ向かっていた勢いが霧散し、フランチェスカはデータに絡め取られた。


『これは……』

「ミシェルが私たちに送ってくれたあなたの記憶データです。まめったくログを残してたのが仇になりましたねぇ。おかげで最高の器ができましたぁ」


 カタリナが情報転写式具現装置リアライズへ転送をかけていたのは、未来を託してくれたミシェルの置き土産。本人のデータベースへ直接同期して吸い上げた情報は鮮度も濃度も抜群だ。それにフランチェスカは元デイドリーマーズで、巨像の専用食。理解を介しての具現化との相性は言わずもがな。


『馬鹿め、私は不死身の専用食ですよ? 器ができたからと言って殺すことはできない!』

「そうでもないよ」


 痩せこけたラヴィを横抱きにして立ち上がったマコトは、頭上を振り返った。澄んだ空と月の瞳が仇敵を静かに見上げる。


「あんたが今までしてきたことが、そのままあんたの死に繋がる」

『何、を……』

「あんた、HITO型の専用食らしいね」


 その言葉の意味を察し、フランチェスカは久しく感じていなかった恐怖を思い出した。

 具現化の光を振り払おうとするが、生成されていく仮面の形にひっついて、身動きが取れない。


 マコトがしようとしていることを誰よりも先んじて理解したフィリップへ、ラヴィを託す。泣き疲れて気を失った子どもを受け取った面持ちは別人のように硬い。


「センセー、いいの? 何が起きるかわからないよ?」

「だからこそ俺が行く。あいつはもう葬るべきだ」

「……そっか、わかった」


 二人のやり取りを見ていたアーティの胸が急激に騒めいた。そこにいるはずのマコトが、手の届かない場所にいるように感じる。


 猫背気味な後ろ姿を失いたくない。衝動に駆られて咄嗟とっさに一歩踏み出した。


「マコト先生――……んッ!?」


 不安そうに名前を呼んだ唇を、振り返ったマコトが唐突に塞ぐ。肉感の薄いひんやりとした唇が、アーティの淡いそれを名残惜しむように啄んだ。


 突然のことで強張った身体が逃げないよう、頬に手を添えられる。瞬きも忘れて、されるがままに食べられた。何度も角度を変えながら唇を舐られ、時には軽く歯を立てられ。記憶へ刻み付けるように与えられる熱とほんの少しの痛みが恋しい。


 息苦しくなるほど胸が締め付けられ、瞳に涙が浮かんだ頃。軽いリップ音と共に温もりがゆっくり離れる。揺れる視界で無防備に見上げた唇は、穏やかに弧を描いた。


「な、に……?」

「したくなっちゃったから」

「い、今ですか……?」

「俺も後悔したくないし」


 アーティが寝室の扉をノックした時のように、マコトも一つ覚悟をした。死とは無縁なはずの彼は、これから後悔を恐れるほど危険な賭けに出る。


 いつもの鍵束を取り出したのを見て、アーティは表情を強ばらせた。彼が握っていたのは、運命の歯車が回り出したあの夜に、酒場の裏口へ挿し込んだ一本。巨大な蓮の花が咲く東の水没都市へ繋がる鍵だ。


「マコト先生、待って……」


 思わず声が震える。彼が何をしようとしているのか、わかってしまったから。


 具現化を終えた仮面が二人の足元へ落ちた。カラン、と乾いた音を立てたそれをアーティが恐る恐る見下ろす。引き止める言葉を探しあぐねている間に、細く美しい指先が白い仮面を拾った。


「アーティ」


 愛しいその声に名前を呼ばれると、つい聞き分けの良い女になりたくなる。でも今は駄目だ。どうしたってこの人を諦めきれない。不安を抱えてただ待つことしかできなかった夜が明けて、ようやく想いが通じ合ったのに。


 だが無情にも、二階の非常用通路の扉に回路の鍵穴が浮かんだ。間髪入れず、崩壊寸前の講堂に解錠の金属音が響く。


 開け放たれた扉から潮の香りがした。倒壊したビルから流れ落ちる水飛沫の音だけが聞こえる。堪らずアーティはマコトの背中に縋りついた。


「マコト先生、行かないで、お願い……」

「……ごめんね」

「全部終わったら、また愛してくれるんじゃないんですか……?」


 そのために起こした奇跡なのに。こんな別れは望んでいない。


 大好きな人に愛されて、すっかり我儘になってしまった。

「行ってらっしゃい」なんて言えない。言いたくない。面倒な女と思われてもいい。聞き分けが悪いと呆れられたって構わない。ただ傍にいてくれるだけでいいのに、たったそれだけのことがなぜこんなにも叶わないのだろう。


「ずっとアーティの傍にいたいから、終わらせに行くんだよ」

「ッ……!」


 HITO型巨像が引き起こした首都直下の大地震によってかつての繁栄を奪われた東の都、トーキョー。

 この一連の出来事のきっかけとなった写真が撮られた場所で、全てを終わらせる。今度こそ、共に生きるために。


「行ってきます、アーティ」

「待っ――」


 伸ばした手は虚しく宙を掴んだ。

 水溜まりを跳ねて駆ける後ろ姿を、扉の前で呆然と見つめる。



 ――マコトは、HITO型巨像にフランチェスカを喰わせるつもりだ。



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