第81話 生誕の歌




「マコト、できる限り伏せろ!!」


 よく通るユリウスの声が外で響く。指示通り身体をずらして姿勢を低くしてすぐ、頭上で激しい爆発が起きた。フィリップの追尾弾頭爆弾である。

 再び花開いた隙を狙って、カタリナがすかさず発砲。マコトを食らっていた頭部から首にかけて三発の破裂弾が撃ち込まれ、派手に飛び散る。さらには手足の蜘蛛の巣をシルバーガトリングが一掃。拘束が緩んだところで、駆け寄ったフィリップによって引きずり出された。


「センセー、生きてる!?」

「っ、うん……」

「よかったぁ……ああ、目玉押さえてな、落っこちちゃう」


 退く二人を無数の弾道が横切る。奴は絶え間ない銃弾の圧に身動きが取れないでいた。その光景をぎこちなく振り返り、背中を冷や汗でぐっしょりと濡らす。初めて感じる恐怖に足をもたれさせながら、どうにか講堂の出入り口付近まで辿り着いた。


「悔しいけどタイムオーバーだよ。撤退しよう」

「でもあいつが……」

「わかってる。けどこっちも酷い痛手だ。このまま相手をしても勝算はない」


 珍しく真剣な声色で言うフィリップからぐったりとしたタマキを預かり、改めて周囲を見渡す。

 片腕を失ったユリウス、壊れかけのカタリナ、尻尾を食われたタマキ。フィリップはケロッとしているが、ジャベリンで吹っ飛ばされた傷口から赤黒い染みが広がっていた。マコトの右眼もこの状態では使い物にならない。まともに動けるのはクロエだけだが、彼女一人では荷が重いだろう。


「下半身が胎内と同化しているのを見るに、恐らく奴は人間で言うところの早産児だ。あの腹から出ることはできなし、出たところで長くは生きられない。……まぁ、現状でわかることから推察した希望的観測だけどねぇ」

「……いや、十分だ」


 この状況でよくそこまで理論立てて考えを巡らせられたものだと感心する。

 腰のベルトから取り出した鍵束を漁り、最も使い込まれた一本を取り出した。


「よっし。センセーはユーリをお願い。カタリナ、降りておいで! クロエちゃん、殿しんがりは任せるよぉ!」


 フィリップの素早い指示が飛び交う中、両開きの大きな扉に鍵をかざした。浮かび上がった光る回路の鍵穴に差し込み、解錠する。


「行こう、ユリウス」


 一番の重傷者を抱えて扉を押した、その時。




『――Joyeux anniversaireジョワイユー ザーニヴェーセールJoyeux anniversaireジョワイユー ザーニヴェーセール




 何の前触れもなく、支部内に設置されたスピーカーから歌声が流れた。


 フランス語で誕生日の歌を口ずさむ、機械的で感情の起伏がない冷たい声色。サイバー攻撃まで仕掛けてきたのだから、ドイツ支部の監視カメラや音響をハッキングするのは容易いだろう。

 銃声を掻き分けて耳を呪うその声に、シルバーガトリングの咆哮が止んだ。


「ッ! センセー、早く行って! カタリナも急いで!」


 焦るフィリップがマコトとユリウスを扉の奥へ押し込んだ。次いで壊れた電動関節を引きずって階段から降りてきたカタリナの手を引き、戸惑う少女を安全地へと送り出す。



Joyeux anniversaireジョワイユー ザーニヴェーセールJoyeux anniversaireジョワイユー ザーニヴェーセール……』

「ぁっ……あぁ……!」


 愛銃を床に落とし、その場にへたり込むクロエ。彼女の一番脆く柔らかい部分を支配し利用した諸悪の根源が、命の誕生を祝う歌を無感動に紡ぐ。

 腰を抜かして震えるクロエとガトリング銃を肩に抱え、フィリップは出口へ向かって駆け出した。


 だだっ広い講堂に扉の閉まる音が響き渡る。

 残されたのは穴だらけの身体から煙を上げて修復に努める異端児と、スピーカーの無機質な声のみ。



Joyeux anniversaireジョワイユー ザーニヴェーセール――……地獄へようこそ、化け物め』




 * * * * *




 死地を脱した安堵からか、出血多量で意識を飛ばしてしまったユリウスが玄関ポーチの柱にもたれる。満身創痍のマコトも弱々しく膝を着いた。敷石の上に虫の息のタマキを横たえ、膨れた腹を押して黒い粘液を吐き出させる。


「ゴポッ、ゲフゥッ、う゛……にゃぁ゛……」


 激しく咳き込んだ後に呼吸が正常化したのを確認して、ようやくほっと息を吐く。

 そこへ突然の転移に混乱するカタリナがやってきた。


「ここは……?」

「ほいほいっ、考えるのはあと! 後ろが詰まってるよぉ!」


 脱力したクロエを抱えたフィリップも約9,000キロの距離を一足で潜った。塞がっている両手の代わりに、無駄に長い足が思いきり扉を蹴る。


 扉が閉まる直前、マコトはこちらを真っ直ぐ見据える眼光に貫かた。

 肉花の中で生まれた得体の知れない命。憎悪なのか愉悦なのか、正体の掴めない不気味なその視線に息が詰まる。扉が固く閉ざされてからも動悸が治まる気配はない。


 すると、こちらへ向かって真っ直ぐに足音が駆ける。


「マコト先生!」


 振り返った先に広がるのは見慣れた敷石、よく手入れされた夜の庭、藤が揺れるパーゴラ。そして――赤が衰退した色弱の世界に咲いた、たった一人の色鮮やかな人。


 帰るべき場所に置いてきた大切なものが、ボロボロになったマコトを出迎える。たった数時間離れていただけでこんなにも郷愁を覚えたのは初めてかもしれない。


「アーティ……」


 その名を呼ぶと、さっきまでの恐怖がするりと抜け落ちる。


 ちゃんと帰って来れた。約束を守ることができた。


 器いっぱいに水が張ったように潤む瞳を見れば、彼女が抱えていた不安が手に取るようにわかる。早く「ただいま」を伝えて安心させてあげたいのに。それなのにひどく、まぶたが重い。


 弱々しく伸ばした指先がアーティに届く直前。不意に糸が切れたように、マコトは意識を手放した。




『ミッシュ・マッシュ』―完―



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