第80話 イタダキマス




「やった、のか……?」


 隅々までボロボロになったユリウスが、動きを止めた巨体を見据えて呟く。

 ミッシュ・マッシュに取り込まれていた偏食種グルメ六体は、マコトとタマキによってほふられた。ドイツ支部が引導を渡すことができず長年持て余していた怪物たちを、六体も。


「うぉぉおおおッッッ! やったねセンセェー!」


 諸手を上げて喜ぶフィリップだったが、マコトは背を向けたまま振り返らない。


(何だ……?)


 能力の使いすぎで霞む視界を彷徨さまよわせ、胸に渦巻く違和感の正体を探る。

 最後にペルヒタの目を吹き飛ばしてからも、何かにじっと見られているような緊張感が続いていた。本当にこれで終わりなのだろうか。所詮は命の寄せ集めに過ぎないと?


 異能の反動で出血が止まらない右眼を庇い、左目で周囲を見渡していた、その時。



 ――シュルッ。



 それは、一瞬の殺気だった。


 マコトが振り返るより早く、白く長い何かがタマキの後ろ脚を捕らえる。逆さ吊りの状態で引きずり込まれたのは、上下に別たれた融合体の下半身だった。

 歩くたびに床を引きずっていた下腹部から異常なほど伸びた真白の腕が、タマキを捕らえている。腕だ。肘と手首と五本の指がある、だ。


 臨月の妊婦のように膨らんだ腹がぱっくりと裂けた奥の暗がり。その中に、何かがいる。


 言葉にできない悪寒がマコトの全身を駆け抜けた。全てがスローモーションに見える世界で咄嗟に手を伸ばすが、指は宙を掴むだけ。タマキは不気味な深淵の裂け目に飲み込まれた。


「ニャ、――……ァァァアアア゛ア゛ア゛ッ!?」


 痛ましい絶叫と共に、腹の内側がうごめく。ブチ、と何かが引き千切られる生々しい音が聞こえ、マコトは鉛のように重たく感じる足を動かしてタマキの元へ走った。

 腹の裂け目にびっしり生えた歯のような突起物をこじ開け、片腕を突っ込む。


「ッ、返せ……!」


 肉壺と評して相違ない腹の中を手の感覚だけで探り、いつも抱き上げているたぷたぷな首の皮を掴んだ。粘液のぬるつきで滑り抜けそうになるのを必死に手繰り寄せる。無我夢中で引き摺り出したタマキを惜しむように、ぐっちょりと糸が引く。


「タマキ!!」


 黒いスライム状の粘液を纏ったタマキの尻尾が、無惨にも食い千切られていた。根本から2センチほど残された切断面から血が滴り落ちる。しかも中で粘液を飲み込んだのか、呼吸をしていない。


「どきなさい!」


 そう叫んだクロエのガトリング銃が回転し、無数の弾丸が放たれる。

 タマキを抱えてその場に伏せた。背後では全弾命中した腹が内側からボコボコと膨れ上がり、盛大に破裂する。まるで花開くように。


 マコトは霞む視界を細め、飛び散る肉片の隙間に小柄な人影を見た。途端に身体の芯からゾクリと駆け上がる冷気。今まで感じたことのない感情。これは、恐怖……?


「何なのよ、あれ……!」


 クロエが喉を引き攣らせ、震える声で囁く。


 べろりと四方に口を開けた腹の中にいたのは、猫の尻尾を咥えた子ども。いや、姿

 髪や眉毛などの体毛はなく、死人よりも白い体躯は見ているだけで肌寒くなるほど。男女の判別もつかない。腰より下は肉の花に埋まり、身動きが取れないようだ。その代わり背中から生えた無数の腕や脚がまるで後光のように組み合わさり、蠢いている。おそらく食われた人間たちの身体の一部だ。


「まさか……受胎してたってことぉ……!?」


 底なしの好奇心を上塗りするほどの衝撃に、フィリップは目眩めまいを感じた。


 デイドリーマーズに生殖機能はない。彼らを生み出すことができるのは巨像が持つ底なしのエネルギーだけ――その定義がこの瞬間、脆く崩れ去った。魂と肉の両方を食べても癒されない飢餓から生き残るために偏食種グルメたちが下した決断が、進化だとでも言うのか。


 言葉を失う面々の前で、タマキの黒い尻尾がちゅるりと飲み込まれる。喉が上下し、肋骨が浮き出るほど痩せこけた胸部を通って腹に収まった。


 この生き物は生まれたばかりだ。きっと、とても腹を空かせている。


 血色のない白い腕がこちらに伸ばされたのを見て、マコトは抱えていたタマキをフィリップへ放り投げた。


「ッ、センセー!?」

「離れろ、早く!!」


 声を荒上げる肩が背後から掴まれた。抵抗する猶予はない。伸びたゴムが元に戻るしなやかさに似た力で一気に引き摺り込まれる。同時に破裂してだらんと開いていた腹部が収縮し、肉の花弁が閉じた。これでは外から銃撃することもできない。


 異端の新生児へ捧げられた極上の贄。今のマコトは、それ以外に形容し難い。


「このっ、はな……せ!」


 蝋人形の方が表情豊かだろうに。真一文に結ばれた口元の近くを裏手で殴打する。だが、触れた瞬間にその違和感に気がついた。


(触れるのに、触れない……?)


 手の甲は確かに横っ面を捉えたのに、まるでダメージがスポンジに吸われたように手応えがない。最初にミッシュ・マッシュの尻尾の付け根を狙った時もそうだった。


 気持ち悪い。この世の全てに触ることができるマコトが実態を掴めずにいるアンノウン。この生き物をマコトは知らない。知らないものは、触れない。


 宙ぶらりんになった彼の手に、氷のように冷たい真白の指が触れた。そして指の付け根を埋めるようにしっかりと握り込まれる。関節は三本。爪らしきものまである。どう見たって人間の手だ。だからこそ――明確な意思を持って触れてくるこの得体の知れない生き物が、マコトは恐ろしい。


 瞬きすら忘れて見上げる右眼は無意識に異能を発動していた。だが、この生き物には意味を成さないらしい。


 刹那、異端児がくわっと大きく口を開く。

 夜目が効く色弱のオッドアイには、不揃いな尖った歯や喉奥の肉感まで見通せた。だが背中から生える四肢に身体中を抑え込まれて逃げることは叶わない。


 やがて暗闇の中で光を放つ右眼に吸い寄せられるように、鋭い牙が立てられた。


「――ぁ……ッ、〜〜〜! う゛、ぁぁああアア゛ア゛!!!」


 まぶたや頬の肉を一方的に貪られ、喉を裂くような絶叫が木霊こだまする。ブチブチと皮膚や肉を噛み千切る音に半狂乱になりながら激しく抵抗した。抵抗の激しさと拘束の強さは比例する。暴れれば暴れるほど身動きが取れなくなり、ただ捕食されるだけの無力な存在に成り下がった。


 露わなった頬骨に歯が当たる。筋膜を剥がされ眼球がぐらついた。このまま右眼を食べられたら――想像してひゅ、と息を呑んだマコトの耳に、肉壷の外から一発の銃声が届いた。



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