第66話 望まぬ遭逢




 ドイツ支部は国定製薬会社の工場を隠れみのにしている。

 大型車がすれ違えるほど広大な三階建ての建物内部では、檻を出た6匹の偏食種グルメが徘徊していた。


 南部で村一つを滅ぼした吸血鬼。

 楽器を演奏する獣を率いて破壊の限りを尽くした音楽家。

 ライ麦畑に出現した6本足の人食い狼。

 クリスマスに子どもを連れ去る聖ニコラウスの使い。

 いまわの際に立つ黒婦人。

 嵐の夜に魔群を引き連れて現れる魔女。


 これらは20世紀以降にドイツ全土で発生した偏食種グルメに関係する怪異である。

 視える者には怪物、視えない者には心霊現象として、人々の口から語り継がれた凶悪な偏食種グルメたち。

 数多のウォッチャーが命を賭して捕らえた奴らの檻が、悪意によって開かれてしまった。


『接敵まで3、2、1――』


 設置した爆弾が起爆するのを確認していた仲間の通信を聞きながら、カタリナは非戦闘30名ほどを率いて非常用通路を走っていた。


 既に地下の隔壁5枚は突破された。

 幸いだったのは、飢餓状態にある怪物たちが街へ繋がる下水ではなく、カタリナたちのいる支部内へ侵攻してきたこと。より近くにいる人の気配に釣られたのだろう。街へ出られたら被害がどこまで拡大していたか想像がつかない。


 だがその杞憂も、彼女たちが食い尽くされた後には現実となる。


『――だめだ、情報転写式具現装置リアライズの完成度が悪くて致命傷にならん! これじゃあいくらやってもジリ貧だ!』

「今はとにかくデータを集めるしかありません。隔壁閉めます、急いで後退してください!」

『クソッ……!』


 真に相手を理解するということは、一朝一夕では成し得ない。

 迫り来る偏食種グルメを引き付けて爆撃し、隔壁を閉めて撤退。これ繰り返してどうにか生き延びる時間を稼いでいた。

 だが追いかけっこが長引くほど、前線の人員が一人、また一人と犠牲になっていく。


『――ギャァア! 離せ、離してくれぇッ! あ、ガッッ――!』

「ッ……!」


 鼓膜に爪を立てる断末魔と、耳を塞ぎたくなるような咀嚼音そしゃくおん

 実体化した怪物たちは魂だけでなく肉体も喰らう。それはパリで暴れた麦畑の怪物によって立証済みだ。

 無線のレシーバーから届いた絶命に奥歯を噛み締めて、カタリナは管制システムにアクセスし、隔壁を降ろす。


 悪食たちは建物の中心部に位置する講堂へ閉じ込められた。地下に研究施設を置くにあたり、有事を想定して特に頑丈に作られた場所だ。怪物たちを閉じ込めておくには都合が良い。


 カタリナは蒼白な表情を浮かべる職員たちを見渡した。すすり泣く声や聖書を唱える声が聞こえる。極限状態の緊張感に晒されて必要以上に声を荒げる者も。だからなるべく柔らかい声色を心がけた。


「無事に偏食種グルメを講堂に閉じ込められました。これでしばらく時間が稼げます。さぁ、避難口へ急ぎましょう」


 非戦闘員を前線に出すわけにはいかない。彼らには彼らの仕事がある。

 だがその時、一人の女性が口を開いた。


「……さっき送られてきたデータの情報更新アップデート、急ぐわよ」


 そう言いだしたのは、ドイツ支部の金庫番でもある経理担当だ。一円の誤差も許さない鉄の女は、好き放題に経費を計上しまくるフィリップが大嫌いだった。

 神経質そうな赤いメガネフレームを指で上げ、ノートPCを開く。普段は帳簿データと睨めっこしている彼女が、今は情報転写式具現装置リアライズの画面を開いてキーボードを叩いている。


「あなたたちも、ぼさっとしてないで手を動かしなさい。偏食種グルメ6匹分の情報更新アップデートなんて、人手がいくらあっても足りないんだから」

「でも、皆さんは逃げないと……」

「私たちが職業案内所の求人票を見てヴィジブル・コンダクターに入ったとでも思ってるの? 誰にだって大なり小なり戦う理由くらいあるわよ。私は逃げない。死んだって、逃げてやるもんですか」


 彼女はカタリナへ力強い視線を返すと、すぐにまたキーボードを叩いた。

 その姿に促されるように、職員たちは総出で情報更新アップデートを始める。

 鋼の胸の内から込み上げるものを感じたカタリナの傍へ、しわくちゃになった白衣を着た小柄な老人が寄り添った。


「どれ、この老いぼれももうひと働きしようか」

「ドクター……」

「カタリナや。ウォッチャーは組織の目であり銃だ。だがお前さんたちばかりが死に物狂いで戦う必要はない。ワシはな、あのクソガキが生まれる前からここにおるんだ。尻拭いくらいいくらでも付き合ってやる」


 クソガキとは当然フィリップのことである。半世紀以上に渡りドイツ支部を見守り続けた老医師は、既にここを墓場と決めていた。


 希望はない。恐らく命運は尽きる。それでも共に戦うことを選んでくれた仲間たちに、カタリナは深く頭を下げた。


「……ありがとうございます、皆さん」


 すると、胸ポケットに入れていた無線機が通信を受信した。偏食種グルメが這い出した地下施設へ偵察に向かった別動隊からだ。表情を引き締めて素早く応答する。


『カタリナ、檻を開けた実行犯らしき人物を地下の非常口で捕らえたぞ』

「やっぱり潜伏してましたか。サイバー攻撃で解錠された痕跡がなかったから、別に実行犯がいると思ってたんです。偏食種グルメは講堂に隔離しました。西通路から上がって第三資料室で合流しましょう。そいつも連行して――」

『――離しなさい、このっ……離して!』


 レシーバー越しに声を聞いて、カタリナのシステムが一瞬だけフリーズしてしまった。

 頬を叩く風のように凛冷な声に、彼女は聞き覚えがあったのだ。


 無線のノイズを除去した波状の声紋データがアイデバイスに表示される。脳に当たるHDDに蓄積された記憶データが、無情な現実を突きつけた。


「……クロエ先輩、どうしてあなたが……」


 フランス支部の、クロエ・デュ・ノエル。ユリウスと肩を並べる、欧州監視哨おうしゅうかんししょうの精鋭。


 一度目にした者は忘れられなくなるほど作り物めいた美貌と、神話に登場しそうな高潔な銀髪。誰もが魅了される清廉な美しさに反して、性格は苛烈な癇癪かんしゃく持ち。不用意に近づけば愛用のシルバーガトリングで蜂の巣にされる。


 てっきり統括部の捨て駒かと思っていたのに。予想だにしなかった人物の関与に、カタリナは言葉を失った。


 抑え込む隊員たちに必死に抵抗しているのだろう。服が擦れる音と、どちらのものかはわからないが激しい打撃音が聞こえる。


『嫌よ、行かせて、お願いっ……! あの子が……――ミシェルが殺される!!』



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