第44話 迫る飢渇




 山頂で二人を出迎えたのは、小さな社殿の跡だった。


 長年の風雨で腐り落ちた屋根。

 潰れた床を突き破るように芽吹いた木の幹。

 もはや何をまつっていたのかもわからない。


 喪失感漂う悠久を携えた社殿跡を通り過ぎ、登山者は太陽が昇った下界を見下ろす。


「なるほどぉ。どうりで動物がいないわけだ」


 感慨深げにそう呟くフィリップの隣で、ユリウスが息を呑む。


 二人の目下に拡がるのは、山の麓から広がる自然と人の街並みのグラデーション。

 起伏の少ないなだらかな地盤に栄えた街のさらに遠くに、静かな脅威が咲き誇る。


「あれが、HITO型巨像……」


 おおよそ100キロは距離があるだろうか。それでも親指ほどの大きさに視える、圧倒的な存在感。

 HITO型を初めて肉眼で確認した若いウォッチャーは、その異様な神々しさに気圧けおされた。


「太陽の位置からしてここはトーキョーの北、旧北関東ってところかな? 今は東日特区とうにちとっく、だっけ?」


 西暦2045年現在、ジャパニックの震源地トーキョーから半径150キロ圏内は、日本政府が制定した東日本復興特化区、通称『東日特区とうにちとっく』と一律で呼ばれている。

 片田舎だった街は都会からの避難者で溢れ、酸素が薄く感じるほど窮屈になったことだろう。


 HITO型がトーキョーに居座って3年。

 本能に忠実な動物たちは怪物の食事となる未来を恐れて山を離れたか、それとも既に魂を食い尽くされたか。

 奴の領域に今ものうのうと生きるのは何も知らない人間と、それから――……。


「……急いで戻りましょう。長居は危険すぎる」

「さんせー! ……って言いたいけど、ちょーっと遅かったかもぉ」


 先にきびすを返したフィリップが珍しく声を引き攣らせて、足を止める。


 二人の背後には、空腹に飢えた怪物たちが音もなく集結していた。


 半透明なはねで宙に浮く人の頭ほどのムカデ。

 鈍色にびいろうろこに覆われたいのしし

 三つの頭が生えたはと

 鼻の長い赤天狗までも。


 多種多様なデイドリーマーズたちは通常の同種の群れではなく、寄せ集めと言っていい。皆一様に、危険な飢餓状態におちいっている。


 人や動物が消えた山で久しぶりに見つけた活きの良い魂をどう食すか――飢渇きかつの中で耐え忍んできた怪物たちの口から、大量のよだれしたたり落ちる。


 見渡しの良い切り立った崖を背後に、極上の獲物である二人の爪先がじりりと地面を擦った。


「ドローン1機と残弾9のハンドガン……はぁ、最悪だ」


 手札と敵の数を照合して導き出された希薄な勝機。ユリウスは溜息を堪えきれない。

 そんな彼の隣で、フィリップが軽く屈伸運動をする。


「ユーリって持久走は得意だけど、短距離はクロエちゃんに負けてたよね~」

「何ですかこんな時に」

「死ぬ気で走れってこと☆」


 バチコン! と音がするくらいのウィンクをかましたフィリップが、正面の怪物たちへ向かって一目散に走り出した。

 風切るような俊足に一拍遅れ、訳も分からぬままユリウスも地面を蹴る。


 向こうから飛び込んでくる食材に、思わず大きな口を開ける巨大蜘蛛。

 だが、不可視インヴィジブル状態では肉体に触れることは叶わない。

 涎塗れの咥内をすり抜け、二人は振り返らずに野山を駆ける。


「屋敷の敷地内まで逃げ切ればボクらの勝ちだ!」

「根拠は!?」

「野生生物ってのはね、自分より強い存在に敏感なのさ! あそこには彼らが絶対に勝てない奴がいる! その証拠に、屋敷の周りでは一切デイドリーマーズを見かけなかったでしょ?」


 鋭い主張に脳裏を過るのは、底知れぬ美貌の館主やかたあるじ


「なるほど……あの男がここの生態系の頂点ってことですか」


 逃がしても怪物の餌になるだけ。それがわかっていたから拘束しなかった。


 ますますいけ好かない男だ――ユリウスは憤慨を隠すことなく大きな舌打ちする。


 喋りながらも足を止めない二人は、時間をかけて歩いてきた斜面を滑るように駆け下りた。


 山頂近くから見下ろす屋敷はミニチュアのように小さい。五体満足でたどり着ける確率は五分五分か。

 そんなことを考えていると、二人の足元が何かにもつれ、派手に転ぶ。


 足首をがっしりと捕えていたのは、木の根だった。

 まるで地中から蘇った不死者が手を這い出すように、意思を持った根が次々と地面を掘り返す。


「何だって言うんだ、クソッ!」

「うぉおおッ!! ユーリ、見て!」


 この窮地きゅうち不相応ふそうおうなほど喜色満面なフィリップが指差す方へ苛立ちながら顔を向けると。


 背後に迫る怪物たちの左手側。

 手つかずの自然で悠々と育った針葉樹の森が、走っていた。

 比喩ではなく、根を足のように動かした巨木の群れが、全速力で迫っていたのだ。


「KAMI型派生のトレントタイプだ! 最後の目撃情報は300年前、雪に閉ざされたシベリアの僻地へきち! まさか生きてるうちに会えるなんて~♡ ちょっとサンプル採取してきていい? 先っちょだけ! 枝の先っちょだけでも欲しい!」

「後にしろ、このサイコ野郎!」


 二人の足首に絡まる根は力強く太ましい。ユリウスが携帯用のナイフで切りつけるが、刃こぼれして終わった。

 その間にも這い出した根は、ご馳走に被せるフードカバーのような檻を作り出す。


「ふぉ~~~ッ! あのトレントタイプって喫食種テイストかな!? 固有能力は隣接植物への成長干渉だね! さすがKAMI型派生、個体値たっけぇ~!」


 希少種を前に、フィリップの興奮は増すばかり。死んだらその鋭い考察の全てが無に帰すと言うのに。

 そんな二人の頭上では、幾何学的に編み込まれたドーム状のケージが閉じられようとしていた。


「おおおぅ……! なんて美しい円周……数学的美学を感じるねぇ!」

「デイドリーマーズに美学なんてあるわけないだろ!」

「そんなのわっかんないじゃん! 文学をたしなむペンギンデイドリーマーズも確認されたでしょ!」

「今はそんなことどうでもいい! このまま木の栄養になるなんてご免だ!」

「もお~。全くユーリは、せっかちさんなんだからぁ。地面に耳でもつけて落ち着きたまえよ」

「ハァ……!?」


 何やらしたり顔でたしなめてくるフィリップを睨みつけながらも、素直に耳を地肌につける。

 よく吠える従順な忠犬に、飼い主は頬を緩めた。


 ユリウスの耳に届いたのは、爆速で近づいて来る地鳴り……いや、足音だ。

 音の感覚からして二足歩行。人間には奏でられない大型重機のような重低音で迫って来る。その隣に小走りで並走しているのは四足歩行生物か。


 これは――。




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デイドリーマーズをお読みいただきありがとうございます!


作中に出てきた『文学を嗜むペンギンデイドリーマーズ』が登場するスピンオフはこちらです。


デイドリーマーズ ~ロマンス・インパクト~

https://kakuyomu.jp/works/16817330649043371222


ヴィジブル・コンダクターフランス支部のクロエ&ミシェル姉弟を主人公に、小説家の魂を好んで食らうペンギンデイドリーマーズの事件を追います。

サイボーグなどの設定も出てくるので、近未来SFファンタジーの要素をより楽しめる内容かと思います。

マコト先生やタマキも少しだけ登場したり……。


既読の読者様が言うには、「本編よりも重厚で容赦なくえげつない」とのこと。

そ、そんなことないヨ! 美人銀髪姉弟の美しい家族愛の物語だヨ!


欧州監視哨トップのフランチェスカの思想やウォッチャーたちの肉体的神秘など、今後の物語の布石になっている部分もあるので、よろしければお時間がある時にでもご一読ください!


書き手の方は、進捗に余裕がある時に……(読めばわかる🐧)

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