第19話 ピント合わせ




 ――三日前、トーキョーにて。




 大型ドーム球場跡を見下ろす高台の公園に、二人の姿はあった。


 誰も使わなくなって久しいジャングルジムの頂上で、アーティはカメラのリプレイ画面をぼんやりと眺める。


 震える指で押したシャッターボタン。

 光情報を焼き写すためのレンズが捉えたものは、荒廃した街並みに一際美しく咲く蓮と、その中で笑う白い巨像。


 彼女は遊具のふもとに軽く腰を掛ける濡れ羽色の旋毛つむじへ、自分でも意外なほど落ち着いた声色で問いかけた。


「やっぱりマコト先生がアレセイアだったんですね」


 ガジェットで改めて『アレセイア』と検索しても、元の投稿は削除されて出てこない。代わりに『クリーチャー画像まとめ』などという広告料目的のサイトに転載されていた。


 検索結果を何個かたどると、『ギリシャ語で【真理】』という意訳が出てくる。

 SNSを通して拡散された画像の考察はちょっとしたムーブメントになっているが、誰も現実とは思っていない。


「……アーティって、たまにすごく鋭いよね」

「ふふっ。だって先生の写真のファンですから、すぐ思い浮かびましたよ」

「そんなこと言うの、アーティだけだよ」


 投稿を面白おかしく揶揄やゆしはじめたネットユーザーの興味は、画像の真意からアカウントの正体へ移行しつつある。

 それを皮肉っているのかはわからないが、世間の反応はマコトの期待に届かなかったのだろう。彼の言葉尻は、少しだけ寂しそうだった。


 アーティはガジェットの通信を切ると、マコトの隣へ身軽に降り立つ。そして両手の人差し指と親指で四角いレンズを作り、視えない花が咲く球場跡へフォーカスした。

 小さな画角の中に映るのは、時が止まったままの街を飲み込む密林と海の水溜まりだけ。


 この静かな世界の中で、確かに不可視の者たちが生きている。


「……怖い?」


 そう問いかけられて、隣の男へ視線を移す。


 相変わらず整った顔立ちは、どことなく覇気がない。

 何かを恐れているのはむしろマコトの方ではないだろうかと、アーティは思う。

 マイペースで図太く突飛な彼の、いちばん繊細で脆い部分に招かれていると感じた。


「実際に見るまでは怖かったですけど……今は、少し違います」


 見たものに対して何を感じるのかは、受け取り手の自由だ。感動、興奮、畏怖――……その感情を強制することは、誰にもできない。時には言葉のナイフを向けられることもある。多様性が尊重される社会は、悪意ある者すらも守るのだ。


 だからこそ。全ての人に優しくは在れないけれど、せめて自分の大切な人の心には寄り添っていたい。

 少数派に敷かれた茨道を素足で歩いてきた少女は、そう願っている。


「怖いと思うのは、知らないままでいるからだと思います。だからこの世界のことをもっと知りたいです。マコト先生のことも……」



 ――自分たちが生きてる世界のことを知らないまま死ぬのは、悲しいことだよ。



 昔、大切な人から言われた言葉がマコトの脳裏に甦る。


『怖い』と『悲しい』は、きっと同じことだ。


 だからマコトはデイドリーマーズにカメラを向ける。誰かにとって都合の悪いことだとしても。それで命を狙われようとも。白昼夢などという言葉でカモフラージュされた存在に人々が気づくまで、彼はシャッターを切り続ける。それだけが存在証明になると信じて。


 そんな自己顕示欲の塊のような写真を通して、二人は出会った。

 アウトフォーカスな世界にピントを合わせるように、稀有けうな色覚の力ではなく彼女自身の心根で、透明人間になっていたマコトを見つけたのだ。

 数えるのも億劫になるくらいの時を過ごしてきた承認欲求の化け物は、それが堪らなく嬉しい。


 込み上げる情動に任せ、マコトはアーティの腕を引いた。


「あっ? え……? ……びゃあああああああああ゛あ゛っ!?」


 一回り小さい身体を腕の中に収めた瞬間、理性を超越した悲鳴が鼓膜を震わせる。はふはふと興奮気味に溢れる吐息が首元に当たってくすぐったい。

「い゛やぁあ゛あ゛あ゛イイ匂い! し、死ぬ、しぬぅウウ゛!」なんて愉快な本音がダダ漏れだ。そのくせ振り払おうとはしないのだから、ちゃっかりしていると言うか。


 そんな感受性豊かな少女を抱きしめる細腕に力がこもる。


「……俺も、もっとアーティに知ってほしい。世界のことも自分のことも、ちゃんと伝えたい」


 耳元でなければ聞き取れないような声量で告げられた言葉を受け、行き場を失っていたアーティの手が穴の空いたコートの背中を恐る恐る摘まむ。

 自分の気持ちが相手に届いたのだとわかって、自然と涙が溢れた。


「せ、先生……ふぐぅっ……!」

「何で泣いてるの?」

「やっと先生に受け入れてもらえた気がして、嬉しくて……」

「そっか。なら、俺も嬉しい」

「ふぁ……この度は尊いオブザイヤー2045ぶっちぎりで受賞おめでとうございます。マコト先生は世界一です」

「また変なこと言う」


 多幸感で壊れ始めた弟子の頭を撫でる口元は、隠しようもないほどほころんでいた。

 こんな生温い感情、マコトにはしばらく覚えがない。それを表現する言葉すら忘れてしまったが、この手が届く間は傍にいてほしい。そう願わずにはいられなかった。


 そんな二人の空間を裂くように、機械的な電子音が鳴り響く。



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