第12話 長い夜のおわり




「銃を突きつけて対話すらしようとしないくせに、先生を化け物呼ばわりしないで!」

「君は何も知らないから、そんな悠長なことが言えるんだ」


 明らかに声色を苛立たせたユリウスが、金属の銃口を赤茶色の前髪にグリッと押しつけた。

 しかし深い海の色をした双眸そうぼうは怯むことなく、彼を真っ直ぐ見据える。


 無力なはずの彼女は血にまみれた身体を背後から抱きしめ、表皮で感じる死の圧力に毅然きぜんと立ち向かった。


「知らないから、私は先生をと思うの」

「アーティ……」

「……魔性に見初められて気でも狂ったのか。死なないと目が覚めないらしいな。いいだろう、今ここで――」

『ユリウス先輩! ネコちゃんがいません!』


 通信機越しの焦った声に、トリガーを引こうとした指が止まる。

 急いで視線を移動させるが、尾びれだけになったデメキンの残骸の傍らに、黒猫の姿が見当たらない。


 大きな舌打ちをして「索敵を急げ!」と指示を飛ばしたユリウスの背後で、俊敏な影が動いた。銃口はアーティの額からそちらへ向くが、もう遅い。


「ン゛ミャァア゛ア゛ア゛……」


 夢に出てきそうなほどおぞましい唸り声が空気を震わす。

『デブ猫』はタマキの禁句ワードだ。見事に地雷を踏み抜いた無礼な若造に、慈悲など無用だ。


 積み重なった鉄筋の残骸の頂点から、月光を背に黒影が飛び上がった。

 車輪のように回転した尻尾の金棒を、瓦礫の山めがけて振り落とす。


 ――ドンッッッ!


 それは砲弾と見紛うほどの威力だった。

 周囲には衝撃波が飛び、突風が路地から大通りへ突き抜ける。

 凄まじい風圧で雪崩となった瓦礫は避けられる規模ではない。ユリウスは堪らず建物の屋上へ飛び退いた。


 タマキが吹っ飛ばした瓦礫の山は津波のようにうなりを上げ、路地に残された二人へ迫る。


 目の前の脅威に呆然とするアーティ。

 マコトの胸元に置かれた震える手に、血で汚れた指先が伸びる。



「アーティ、一緒に来る?」



 この局面を乗り越えたら、姿をくらますつもりだった。

 アーティをこれ以上巻き込む理由がないし、彼女の日常を非日常が侵食することは、マコトの望むところではない。


 彼はただ、証明したかっただけだ。

 が、このちぐはぐな世界を見てみたいと言ってくれたから。


 死の恐怖すら吹き飛ばして「理解したい」と宣言したアーティの姿が、かつての記憶と重なる。

 もしこの手を取ってくれたら、マコトは自分が見続けた世界の全てをアーティに伝えてみたいと思った。

 彼女なら本当に理解して、認めてくれるかもしれない。いや、認めてほしい。

 そんな祈りが込められた指を、震えの収まった手が力強く握り返す。


「ふふっ。なんか、駆け落ちみたいですね」

「……やっぱり変わった子だよ、アーティは」

「お互い様じゃないですか」

「そっか……うん、そうだね。似てるんだ、俺たち」


 何か腑に落ちた様子のマコトが立ち上がり、アーティの手を引いて駆け出した。

 ついさっき凶弾に倒れたことが嘘のような身のこなしで、力強く地面を蹴って走る。


 マコトが一目散に向かったのは路地の最端、大通りに面した酒場の勝手口だ。

 明かりが点いていないので定休日だろう。つまり施錠されている。

 だがマコトは足を止めなかった。そして血が滴るコートのポケットから、大量の鍵束を取り出す。


「アーティに見せたいものがあるんだ」


 血だらけの手に握られたのは、赤い石が嵌められた銀の鍵。

 勝手口の鍵穴に差す仕草をすると、まばゆい光が視界を焼いた。


 強すぎる光は見えすぎるアーティの目にとって毒だ。

 身体が硬直して、咄嗟にきつく目を瞑る。

 何も見えなくなった世界で、木製の扉が開く乾いた音が聞こえた。


 マコトは彼女を横抱きに抱え、光の中へ迷いなく転がり込む。

 そこへ素早く身体を滑り込ませるタマキ。

 鉄塊の津波を遮るように、内開きの扉を尻尾で叩いて勢いよく閉めた。



 ――バタンッ!



 扉が閉まると、謎の光は収縮して跡形もなく消えた。

 残されたのは何の変哲もない勝手口と、それを塞ぐ瓦礫がれきだけ。


 大通りにまで溢れ出しようやく沈黙した雪崩れを屋上で見届け、ユリウスは慎重に酒場に近づく。


 足の踏み場もない路地から店の正面に回り、施錠されたドアノブに発砲して扉を蹴り破る。が、銃口を向けた定休日のバーに人の気配はない。

 やられた――! 銃を握った手が、忌々し気に店の壁を叩く。


『あーあ、完全に逃げられちゃいましたねぇ』

「あのデブ猫、次に会ったら必ず毛皮にしてやる……」

『念のため追加でドローン飛ばしましたけど、半径五キロ圏内にそれっぽい生体反応はナシ。まるで魔法みたい』


 人が一瞬で消えるような芸当があってたまるものか。

 ユリウスは続けざまの失態に苛立ち、カウンターに並べられたビール瓶を一本煽って外に出た。ドアの修理代を上乗せした紙幣を置くのも忘れずに。


 大通りには青いパトランプが光る。市民たちもこの惨状に気づきはじめたらしい。これ以上の長居は不要だ。


 パリの夜空に、再び音もなく黒衣が舞う。


『先輩、あたしのお酒はぁ?』

「自分で買ってこい」

『ハァ? 引きこもりナメてるんですかぁ? もう二度と援護射撃しませんよ、いいんですね?』

「……スーパーに寄ってから戻る」


 バディの拗ねた声に責められ、経由地点に大型スーパーを追加した。


 それに、これから待ち受ける大量の始末書とフランス支部からの嫌味な苦情を思い浮かべると、ビール一本では酔えそうにない。

 デリカシーがない上司による火に油を注ぐようなフォローも、きっと地獄だ。ひたすら気が重い。


『やっぱりフランスと言えばワインですよねぇ。あ、割材わりざいもお願いしまぁす』


 表舞台に滅多に出ないカタリナは、そういう人間の煩わしいしがらみとは無縁である。こういう時ばかりは羨ましい。


 ユリウスはスーパーの屋上に降り立ち、ターゲットが消えたパリの夜景を見下ろした。

 フードを脱いで首を振り、汗で張り付いたブロンドの前髪をはらう。

 その容姿は名家の跡取りと言っても遜色ない。しかし、月が照らす端正な顔立ちを両断する傷跡が、彼を俗世から隔離しているように見えた。

 

(どこへ逃げおおせようと、必ず見つけ出す。対話は不要だ。奴らは人類に有益な情報を秘匿し続けるなのだから)



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