記録侵入

和泉茉樹

第1話

     ◆


 我々を導く、偉大なる指導者は古今、決して支配できないとされたものを、ついにその手に収められた。

 この世に存在する情報は、記録されたものに限らず、記憶されたものでさえ、我らが指導者の前ではその隠蔽は許されない。

 我らは無制限に増殖し、無制限に拡散していく、悪なる情報を指導者のその導きにより、ついに制圧したのである。

 我々が生きる世界は、完全に律せられた。もはや野放図で、傲慢なものではなくなった。

 隣にいる人間が何を知っており、何を思っているか、たちどころにわかるのだ。その内に秘められた善性はもちろん、唾棄すべき悪も当然、暴かれる。つまり我々は社会の内部、人間の内部に存在する悪を滅ぼすことが可能になった。

 この世界の実に汚れていたことか! 情報は社会を汚染していたのだ。その汚染は家庭に、街に、都市に、国家に、その端々に至るまで、広がっていた。その根は深く、もはやこれを根絶することは不可能だと誰もが思っていた。

 そう、思っており、諦めていただろう、諸君。我々はこの争いを放棄していた。個々人に思いもあっただろうが、我々が諦めていたのは事実だ。氾濫する情報のその汚濁を、我々はただ受け入れ、時にその汚濁を生み出しさえした。

 偉大なる指導者は我々の汚れを知っている。

 そうだ、指導者は我々の記録と記憶を、全てご存知なのだ。

 我々の誤り、罪を指導者はご存知だ。

 我々はその誤りと罪を悔い改めるしかない。これからの世界に、汚れは必要ないのだ。人間は新しい人間にならないといけない。生まれ変わるように。

 この懺悔は、神に告白することではない。裁判官が裁くものですらない。

 我々、全てが、偉大なる指導者が作り上げたこの世界における、汚濁なのだから。

 情報というものはもはや、不可侵の存在ではない。暴走するものですらない。完全に管理され、制御されるものになった。それが意味するのが、我々が所有する全ての情報は、管理可能であり、制御可能であるということだ。

 我々は生きながらにして、全くの新しい人間になれる。なるしかない。

 記憶している悪の全てを切り取られることによって、我々は本当に善なる人間になることができる。

 偉大なる指導者が作り上げた、この新世界にふさわしい人間になれるのだ。

 この世界では人間同士が争うことはない。

 我々の隣人は今、本当の意味での隣人となった。完全なる信頼と、善が保証されたものがあなたの隣人なのだ。そしてあなたも隣人にとって完全な信頼の対象であり、何も疑われることのない、善なる存在である。

 この調和が行き届いた世界には、安らかな日々がある。

 もうあなたは他人の目に不審を抱く必要はない。

 周囲の人間たちを疑う必要もない。

 自分の中にある悪に怯えることもない。

 あなたは正しいのだ。何故なら間違ったことはあなたの中から消すことができる。

 この世界の情報には、間違った情報はない。

 人間は偉大なる指導者の導きの下、真に偉大なる、善なる存在として生まれ変わった。

 悪は駆逐されたのだ。

 それに付随するものと同時に、この世界から、永遠に追放されたのである。


(進歩党大会における演説より抜粋)



(続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る