PART4

 吐き気は引っ込んだ。

 なんなら恐怖もよく分からなくなった。


 蜘蛛山は村の物見櫓やぐらを大黒柱にして出来てるようだ。


 出入り口の一つから乗り込んだ先には物見櫓を包んで出来た支柱から、蜘蛛糸で出来た幾つもの吊り橋が四方八方に架かっていた。虫っていうのは本当に大した建築家だ。


「コイツはりっぱだねェ……」


 腕の中でぐったりしてる僕なんか知らないみたいに、ディーナは暗い巣の中を見渡してのんきなことを言っている。


 僕の耳にも聞こえるくらいだし、きっと彼女の耳にも聞こえているだろうに。このぎちぎちって蜘蛛たちがその立派な牙を擦り合わせて出してる威嚇の音。


 そして四方八方から僕らを見つめてる蜘蛛たち。


「ケケケッ……もう一暴れってとこか」


 僕とは打って変わってディーナはまだまだ元気いっぱい。

 少しでも分けてもらいたい気分だ。


 でもなんだろう。

 蜘蛛たちは僕らを威嚇こそすれど襲ってこない。


 ここまではあれだけ襲ってきたって言うのに、一番大事な巣の中にまで入り込んだ僕たちをどうして見てるだけなんだろう。


「竜人よ、朕の城に何用あって参った?」


 その疑問に、どうやら答えてくれる存在が現れたみたいだ。

 聞いたことはあったけど、見たのは初めて。


 支柱と繋がった天井部分の瘤から糸を垂らして降りてきたのは、巨大な蜘蛛たちの中でも一際巨大な蜘蛛だった。


 体毛の無い艶やかな乳白色の体色。

 大きく膨れた腹部は七色の鱗に覆われ色鮮やかに煌びやか。

 幾つもの節持つ八本の脚は人の腕となり、指は爪。

 蜘蛛の頭胸部が人の胴体となり、艶めかしい裸の女体を晒す。


 アラーニエだ。

 蜘蛛たちの女王。


 正面を向く二つの人の目に似た複眼がディーナを見詰め、青い唇が薄ら笑いを形作る。


 普通下半身が蜘蛛の腹をしていて、すごく長くて肘が幾つもある腕が八本も生えた人間なんていたら気味悪いと思うんだけど、いや実際夢に出そうなほどかなり気味悪い見た目なんだけど中々どうして目が離せない。胸のせいかな?


「用なんてアタシが暴れるタメに決まってんだろ。それとコイツのヒツジのタメだ」


 アラーニエの問い掛けにディーナが強気に答えた。

 というか挑発してる。きっとやる気なんだろうな。なんせ自分より大きくて強そうな相手だもん。アラーニエは。


 昔、都で兵隊をしていたお爺さんが聞かせてくれた。

 アラーニエは遍歴の騎士の剣を弾き、鎧を爪で引き裂いたと。


 つまり強いって事だろう。お爺さんはアラーニエと子作りしたって自慢してはお婆さんに張り倒されてたな。


「暴れるとな? ここは朕の城ぞよ。朕以外の勝手が、まさか罷り通るとでも思っておるのかえ?」

「はんっ、おしゃべりなんかしに来たつもりはないんだよ。こっちはもうあったまってんだ。ソッチがこないなら……」


 ディーナが僕を地面に落とした。

 びっくりしたけど蜘蛛糸のおかげで痛くはない。


「コッチからいくぞおっ!!」


 僕が顔を上げたとき、ディーナは自らの尻尾を地面へと叩き付け、おそらくはその反動を利用して勢い良くアラーニエへと向かって文字通り飛んでいった。


 あんまりにも音と勢いがすごいから僕は咄嗟に頭を抱えてしまったけれど、彼女の行く末から目は離さなかった。


 右手の爪で襲い掛かるディーナだったが、アラーニエは腹部から天井に繋げていた糸を一番下の手で巻き取り上昇して器用に避けてしまう。


 攻撃をすかされたディーナはと言うと支柱にへばり付いて再び襲い掛からんとしていた。また尻尾で支柱を強かに打ち据え、その勢いで素早く跳躍。


 けどアラーニエも糸を使って宙を自在に動き回るから、ディーナの攻撃はかすりもしなかった。まるで鳥だ。……蜘蛛だけど。


「おい、逃げんな! 戦えよっ」

「ほほほっ、これは異な事を。竜人よ、なれは何を取り違えておる? これは舞。汝を虜にする舞ぞよ」

「なーに、ワケわかんねェコト――」


 あ……分かった。

 アラーニエが言ってることの意味。


 宙ぶらりんのアラーニエをディーナの爪が捉えたと思ったときだ。きらりとディーナの周りの空間に光るものが見えたから。


 そして次の瞬間、ディーナは空宙で右手を突き出した姿勢のまま停止する。僕も驚いたけど、一番驚いてるのは他ならぬディーナ自身のようだ。当然だけど。


「なっ……ぐ……っ!? ンだっ、こりゃ……!」

「ほほっ、美しいであろう。朕の糸は風のようにとらえどころなく、しかして鉄よりも丈夫。視えず、悟られず、切れぬのじゃ」

「こンのっ、クモ……っ!!」

「竜人、汝の血肉は格別。朕があとで堪能してやろう。だがまずは……」


 目を凝らして、上手く光が反射するように見ないとわからないほど細い蜘蛛の糸がディーナの全身に巻き付いてる。その糸が彼女の身動きを封じているんだ!


 きっとアラーニエは逃げ回りながら糸を張り巡らせていたんだろう。蜘蛛が巣を張るように。ならディーナはさながら囚われた蝶ってところかな?


 ――って、え? あれ、女王さまが僕の方を見てるよ?

 なんでだろう……?


「朕の子らを殺め、この城に要らぬ災禍を呼び込みおった不届き者の人間を懲らしめねばならぬ。愚かな人間風情をのぉ」


 こっち来てる!

 アラーニエだけじゃない。兵隊蜘蛛たちも続々と僕のとこに向かって来てるよっ。うそだ。まずい……!


 ディーナは本当に身動きできないみたいだ。言った通り、彼女の体を縛る蜘蛛糸は特別頑丈らしい。力んでいるけどまるで切れる気配は無い。


 兵隊蜘蛛達がディーナに群がり糸でぐるぐる巻きにしてゆく。


 僕は起き上がり、身を翻して走り抜けようとしたけど、すでに兵隊蜘蛛が行く手を塞いでいた。


 踵を返して逆方向に――も蜘蛛。

 右を見ても左を見ても、上にも蜘蛛。蜘蛛蜘蛛蜘蛛っ。

 ああっ、そんなぁ……


「まるで白兎の如き髪。猫のように円らな瞳。愛らしい童じゃのぉ。喰らうには実入りが足りぬか? であれば生きたまま臓腑を蕩けさせ、その様を愉しむとしようか。それとも子らの遊び相手になってもらおうか……」


 蜘蛛に囲まれた僕の前にアラーニエが降り立つ。

 眼前にするといろいろ大きくてすごい迫力だ。綺麗だとかのんきしてた僕を殴ってやりたいよ。


 八本ある手の内の一つが僕の顔に触れる。

 硬くて冷たい爪になっている指が顎に掛かり、恐くてうつむいていた僕の顔を無理矢理に上げさせた。目の前で白い美貌が妖しく微笑みを浮かべていた。


 どっちにしたってヤな結末。

 くそぅ……ディーナの仇討ちのはずだったのに。

 羊のディーナの仇討ちのはず……


「震えておるのかえ? 愛いのぉ……。その愛くるしい貌を見ていたくなったぞよ。よし、では臓腑を溶かして悶え苦しむ様を眺むるとしよう」


 一番嫌な殺され方で決まったみたい。

 体を内側から溶かされるってどういう気分なんだろ。


 僕の目の前でアラーニエがゆっくりと口を開く。

 真っ黒な口腔の奥で何かが蠢いていた。恐すぎる。


 そこでふと、僕はあるものに気付いた。

 そしてアラーニエの目を見据えて言ってやったんだ。


 よくも僕のディーナを殺したな――って。

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