PART3
ああ、ディーナ。
愛しのディーナ。
羊の方のディーナ。
蜘蛛たちは獲物を糸でぐるぐる巻きにして置いておくんだ。
僕たち家族の家は蜘蛛の巣にされていて、周りには羊たちが糸に絡め取られていた。羊のディーナもそこにいた。
目を見開いて舌を伸ばして冷たくなってる。
ああ、なんてひどい……。
可哀想に……怖かったろう?
僕の羊飼いとしての平穏な人生はディーナと始まるはずだったのに……。ディーナとなら立派な羊飼いになれると思ってた。
「糸が髪についたぞ〜っ。ほんっとウザいな! クモ!!」
家の……今は蜘蛛の家の外からディーナの悪態が聞こえる。
僕は涙を拭って、様子を見に外へと出た。
途中、糸が髪について絡まった。
確かに鬱陶しいや。
外に出ると、そこでは大の男ほどもある蜘蛛を掲げて真っ二つに引き千切るディーナの姿があった。うわぁ……。
見渡せば何匹もの蜘蛛の残骸が転がっていて、溢れ出た体液から変なすっぱい臭いが漂っている。
たまに脚が動いたりしていて気持ち悪い。
「ロックス、おまえの用事は終わったのか?」
吐き気を我慢しながら、蜘蛛の死骸に触らないようにディーナへと歩み寄ってゆく僕は彼女に頷いた。
「なに口ふさいでんだ?」
訊かないで。
しゃべったらたぶん、言葉以外のものも出てくるから。
「クモの親玉ならきっとあそこだろうな。まわりは食いもんを置いとくとこ。あとで子どもに食べさせんだ」
じゃあうろついてた蜘蛛は見回りの兵隊さんたちってわけか。
案外きっちりしてるんだ。
蜘蛛の毛むくじゃらの足をかじって中身をすすっているディーナから目を逸らして、村の真ん中に出来上がった蜘蛛の巣で出来た山を僕は見上げた。
いくつもの出入り口らしき穴が見えて、そこから蜘蛛が出入りしてる。大きさからして大人の兵隊蜘蛛だろう。
「よっしゃ、いくぞ」
……え?
いや、僕はここにいたいんだけど。
ディーナといたいんだけど。羊の方のディーナとね。
そんな僕の訴えも聞かないで、蜘蛛の脚を吐き捨てたディーナは僕を掴まえて蜘蛛山の方へと歩み出してしまった。
ああっ、止めて! 怖いよーっ。
僕とディーナが蜘蛛山に近付くと、それに気付いた蜘蛛たちが溢れ出してくる。
いくつものカサカサした足音と、関節が擦れるぎゅうぎゅういう音が僕の耳を攻め立て、おびただしい数の眼で視界が埋まる。
駄目だ。
漏らしそう。
夢に見ちゃうよっ。
助けを求めてディーナを見上げると、そこには素敵な素敵な彼女の笑顔があった。
あの夜と同じく、瞳孔の広がった琥珀の双眸が赫灼と燃えている。おそろしい。おそろしいほど綺麗だ。
だが本当におそろしいのは、そんな彼女に見惚れる暇も件のディーナ自身がくれないことだ。
なんたって彼女は僕を抱えたまま迫ってきた蜘蛛を蹴飛ばし、引き裂き、噛み千切るんだ。
まるで嵐に飲み込まれたような光景だ。
蜘蛛たちの嵐の中、ディーナは愉快そうな笑い声を上げてそれと戦い圧倒している。
僕は気味の悪い蜘蛛の粘液をこれでもかと浴びながら、この地獄の光景を眺めていることしかできない。
ああ、僕はなんて無力なんだろう。
人間はこの世界ではちっぽけなものなんだ。
今日ようやく、誰かが言ったその言葉が身に沁みたよ。
「コイツらみんなザコばっかだけど、踏めばつぶれてこれはこれでたのしーなあっ、ロックス! どんどんいっくぞーっ」
予想以上だ。
予想以上の恐怖体験。
僕は今日一つ、たぶん人間として成長したと思う。
あるいは道を――間違えた?
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