影、インサイダー

和泉茉樹

第1話

     ◆


 僕と、友人である内藤俊範は担任教師の顔を思わずじっと見ていた。

 三十代だろうその女性教師は、申し訳なさそうな顔で、丁寧な口調で、それこそへりくだっていると言ってもいいほど低姿勢で、それを口にした。

「森川さんは欠席なのだけど、二人だけでグループ行動はちょっとどうか、という意見があってね……」

 教師の言葉にしかし僕と俊範はどうとも反応できず、ただゆっくりとお互いを顔を見て、俊範は苦り切った顔に変わっていった。きっと、僕も似たような表情に変化していただろう。

 そんな僕たちに教師はゆっくりと説明を続け、結局、この高校一年生の修学旅行のグループ行動は、僕と俊範が本来の予定を中止し、別のグループに無理やりに組み込まれることになった。僕と俊範の参加に相手にそのグループは困惑していたけど、やっぱり教師が交渉をしてくれた。

 でも、僕も俊範も、グループ行動などではなく、別のことを気にしていた。

 移動の大型バスの車内、並んで腰かけている俊範が、顎に手を当てながら言葉にする。

「森川はなんで休んだんだろう」

 僕はその静かな声に、できるだけ冷静に答えた。

「さっき、先生が言っていたじゃないか、急な体調不良だって」

「ありえなくはない理由だ。しかし、不自然かもしれない」

 疑り深い友人の言葉に、しかし僕は簡単に笑い飛ばすことができなかったのだった。

 ここに至るまでの経緯が、僕にストンと納得させなかった。させなかったが、僕は俊範とは違い、納得しようとした。

「ありえるんじゃないの? 現にこうして、現実になった」

 僕がかろうじて指摘するのに、まだ俊範は指先で顎に触っていた。

 沈黙。いや、バスの中では各所で会話が交わされ、笑い声が起こったりして賑やかだ。ただ僕と俊範の二人だけが、どこかぎこちなく沈黙していた。

「別に珍しくないさ」

 僕が口にしているのは一般論の筈なのに、常識人ぶっているようで違和感があった。それでも言わなくてはいけない気がするのは、何故だろう。

 平凡でいたい、普通でいたい、そういうことだろうか。

「うちの学校の生徒には、現実世界っていう奴にうまく馴染めない奴もいるし。それに森川さん以外にも修学旅行に来ない人もいる。いきなり欠席した人もいると思うよ」

「広い範囲で見れば、そりゃ全国に何十人、何百人と、修学旅行当日に風邪を引く奴はいるだろうけど」

 疑っている俊範に、僕はもう言葉を続けることはなかった。

 実は僕自身、違和感がある。

 僕たちのクラスメイトにして友人の一人、森川雛子を、俊範はいつからかある種、異常な視線で見ており、僕はその話を聞かされていた。当然、当人である森川雛子には何の話もせず、僕と俊範の間での、一種の悪ふざけであり、別の表現を探せば、怖いもの見たさ、という奴だったのだろう。

 その悪ふざけも、深淵を覗き込むような不自然な高揚も、この修学旅行で本当の冗談になり、僕も俊範も大間抜けだった、そう分かるはずだったのだ。

 森川雛子に会えれば。

 しかし彼女は、姿を見せなかった。

 僕は森川雛子を知っている。俊範だって森川雛子を知っている。クラスメイトも知っている。

 しかし僕たちが知っているのは、森川雛子のほんの一部だ。

 実際の彼女の姿を見たものは、きっといない。

 僕たちが通う私立奈津高校という特殊な教育現場では、僕たちは簡単なアバターを介して、限れれた手段でのみ、人間関係を構築しているのだ。

 私立奈津高校とは、全国でも珍しいVR空間を利用した学校、VR学校だった。

 僕たちはクラスメイトの存在を認識しながら、実在を認識できない、歪な間隙の中で日々を過ごしているのだと、少なくとも僕はこの、修学旅行のバスの中で気付いた。

 気付いた時、背筋が震えた。

 森川雛子は、いったい、どこにいるんだろう?



(続く)

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