【第87話】火焔剛士と万屋皐月⑤


 外は雪が降っていた。

 しんしんと振り積もってゆく雪を踏み付けながら、皐月は全速力で街を駆ける。

 雪道だ……当然滑る。

 滑って転んで、膝を擦りむく。

 しかし皐月は立ち上がり、再び走り出す。

 全速力で――剛士の家に向かう。


 その最中、偶然にも、とすれ違った。


 皐月はその事に気付いていない。

 だが、その知り合いである彼女は気付いていた。

 そしてすれ違う僅かな隙を着き――彼女は、皐月の心を読んだのだった。


 全てを理解した。


 皐月が走っている理由を……。

 そして、何故――皐月が心変わりをしたのか、その理由を。


 彼女は、皐月が雪を踏み潰して行った足跡を見つめる。


「そっか……あなたは乗り越える事が出来たんですね……皐月さん……」


 遠くへ続いていく、その足跡。

 彼女も、そう在りたいと思ったが……その瞬間、向かい風が吹いた。

 冷たい――向かい風が。


 まだ……私は駄目なのか……。


 そんな事を思い、それでも彼女は、激を飛ばすかのように……小さく、こう呟いた。


「頑張ってくださいね……きっと……あなたのその想いは――届く筈ですから……」




 一方――皐月はいよいよ、剛士の住むアパートまで辿り着いていた。

 悠長に階段なんて上っていられない、皐月は大ジャンプをし、一瞬で剛士の部屋がある階へと着地を決めた。

 そして、インターホンを押す事もなく、剛士の部屋へ突入。


 玄関を開けて絶句した。


 それと同時に――納得した。


「はぁ…………こりゃ、太陽が怒るのも無理ないわね……酷い有り様だこと……」


 皐月は頭を抱えた。

 突然現れた彼女を前に、剛士は驚愕する。


「さ……皐月!? お前、何でここに!? 会わないって、約束じゃ……」

「ごめんなさい。でも、ちょっとタレコミがあってね。流石に放っておく訳にはいかなくなったの。まだ冷蔵庫の中には、使える食材残っていそうね……今から元気の出る料理を有り合わせで作るから、それまでペンを置いて、テレビでも見てて。脳を休めるのも勉強の内よ」

「だ……駄目だ!」


 剛士が反論する。


「前にも言っただろ!? これは……オレの試験なんだ! これ以上お前の力を借りてしまったら……」

「確かに……そう言ってたわね……」

「だから――」

「でも、私、帰らないから」

「えぇっ!?」


 驚く剛士の姿に目もくれず、冷蔵庫から使えそうな食材を取り出す皐月。

 皐月は言う。


「太陽に怒られたわ……剛士くんが死ぬ気で頑張ってるのに、お前は何してんだって……まったく……その通りよね」

「太陽……!? やっぱあいつか……余計な事を……!」

「余計な事……? 違うでしょ?」

「え……?」

「好きな人が……に頑張ってくれているのよ? それを支える義務も、当然……私にある筈よ? 違う?」

「い、いや……それは、そうかもだが……! だからこの試験は……オレ一人で乗り越えなきゃ、駄目なんだよ……! そうでなきゃ、オレはお前の、隣に……」

「それは自分を低く見積もり過ぎだし、私を過剰に評価し過ぎよ」

「……身も蓋もねぇな……」

「改めて考えてみると、私に並ぶって何?」


 トントントンっ……と、皐月は手際良く食材をカットしながら話を続ける。


「私とあなたって……そこまで……さも、今のあなたみたいに廃人レベルまで追い込まないと乗り越えられない試練を突破しなきゃ並べない程……どこに差があるのかな?」

「……それは…………お前みたいに凄い奴には……分からねぇだろうよ……」

「そうね……分からないわ。私から見たら……剛士くんだって、相当凄いもの」

「へ?」

「好きな女の為に、そこまで自分を犠牲に出来る人って……なかなかいないわよ? 世界中探しても、百人いれば良い方なんじゃないかしら?」

「……え? 今のオレって、そんな希少種なの?」

「ええ……とても希少よ。珍獣とも呼べるかもしれないわ」

「珍獣!? ……酷いな」

「酷いわよ。このままだと――百%二次試験に落ちる、それくらいには、酷い状況よ……今」

「そんな事ねぇよ! 絶対に、受かってみせる!!」

「無理よ」

「何でそう言いきれるんだよ!!」

「そうね……今はあなたの傍に――――私がいないからよ」

「はぁ!?」


 皐月は、手際良く調理を進めながら、更に続ける。


「お陰で今、部屋の中はゴミ屋敷、身体はボロボロで入院患者予備軍状態……本当に……何で私は、あんなあなたの無茶な約束を飲んじゃったのかしら……? タイムマシーンがあったら即座に乗り込んで、過去の私の頬を思いっ切り引っぱたきたい程だわ」

「……な、何か……今日のお前……毒舌だな……」

「当然よ……私今、怒ってるから」

「怒ってるの!?」

「激怒よ。こんな状態になっているあなたにも……そして、それをここまで放っておいた――私自身にも……心の底から、腹が立つ」

「……わ……悪かったよ……」


 皐月は出来上がった野菜スープを、手際良くお皿に盛り付け、運ぶ。


「けど……! 皐月、やっぱりコレはオレ一人で乗り越えるべきで……」

「食べて」

「へ……?」

「食べて……そして、シャワー浴びて寝て。明日一日勉強禁止。ゆっくりと休む一日にしなさい」

「はぁ!? そんな訳に行くか! 野菜スープコレはいただくが、寝はしない! 休まない! オレにそんな余裕はないんだ!」

「…………」

「共通テスト……突破は出来たが、予想よりも点が低かったんだよ……! だから……」

「馬鹿っ!!」

「ふぇっ!?」

「あなたの事だから、どうせ共通テスト前に何徹かしたんでしょう!? そんなボロボロの脳みそと身体で! 実力発揮なんて出来る筈がないでしょう!? 良い? 人間の脳みそは、寝てる時に物事を記憶するのよ!? 睡眠って……物凄く大切なんだから!!」

「へ……? そ、そうなの……!?」

「むしろそれで良く、共通テスト通ったわね!! 言っておくけど! あなたのその根性百%全振りの勉強法! 完全なる自殺行為だったんだから!!」

「す……すみません……!」

「とにかく! ほら! さっさと食べなさい!!」

「えぇっ!?」

「早く! たーべーなーさーいっ!!」

「いっ、いただきまーす……」


 まるで脅迫されるかのように、剛士は出された野菜スープに口を付ける。

 彼にとっては、十数日ぶりのまともなご飯だった。

 温かさが、全身に染み渡っていく……。


「美味しい……」


 その言葉が……自然に出てきた。

 皐月が言う。


「とにかく、あなたは理解出来てなかったかもしれないけれど……今のこの状況下で、共通テスト通ったんだから、あなたは充分に合格圏内にいるから」

「え? マジ?」

「マジもマジの大マジよ……このままだと、間違いなく二次試験前に栄養失調でぶっ倒れていたでしょうけれどね……」

「……あー……」

「本当に……太陽様々ね……。気付かなかったら、大変な事になってたわ……」

「す……すまん……」


 野菜スープを飲みながら、申し訳なさそうに頭を下げる剛士。


「……ねぇ、剛士くん……。あなたは何か、勘違いしているのかもしれないけれど……この受験の為に、私が一年間も待っていたのは、あなたに試練を与えたかったから……じゃないのよ?」

「まぁ……それは、オレが勝手に言い出した事だし……? それはそうかもしれねぇけど……」

「私はただ――あなたに、私と一緒の大学に来て欲しかった……ただ、それだけの理由」

「そ……そうなのか……」

「だって好きな人と一緒のキャンパスライフって、憧れるじゃない?」

「ま、まぁな……」

「だからこの受験は……私の為でもある訳よ」

「…………」

「剛士くん一人のものじゃなくて……なのよ……」

「……オレ達二人の……為の……?」

「うん……だからね? この試練は――私達二人で力を合わせて乗り越えるべき、だと思うの」

「力を……合わせて……?」

「そう……力を合わせて」


 皐月は、剛士の手を握る。

 強く強く……握り締める。


「私が絶対に……あなたを合格させてみせる! だからあなたは絶対に! 合格して! これが新しい約束! 良い? 分かった?」

「……お、おう……分かったよ……」

「うん! 分かればよろしい」


 約束の上書き。

 半ば無理やり押し付けた約束ではあるが、それは前回の剛士も同様なので文句の言われる筋合いはない事だろう。


 そんな訳で、方針変更。


 晴れて二人は――力を合わせて、受験戦争に挑む事になったのだった。

 この高難易度の受験戦争を……確実に、勝ち抜く為に。






 そして――


 二人が力を合わせ、時は進む。

 皐月が立てた『合格スケジュール』に沿って勉強する事で、剛士の学力は確実に向上していた。

 合格に向けて磐石の体制を作り上げる。


 いよいよ――受験当日。


「はい、コレ」

「ん? 御守りか……サンキュ」

「緊張してる?」

「んにゃ? 不思議と緊張してねぇよ。百%の力が発揮出来そうだ」

「なら良かった。……頑張ってね」

「おう! 幸せへの切符――――勝ち取ってくる!」

「うん……。いってらっしゃい」

「行ってきます!」


 剛士が御守りを片手に、歩き始めた。

 遠ざかって行く背中を、皐月は見送った。


 後は――信じるのみ。


 自分が好きな人を……信じ抜くだけだ。


 間もなく――――


 二人の、長きに渡る闘いが……終わりを迎えようとしていた。

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