【第86話】火焔剛士と万屋皐月④
家の中も凄まじい有り様だった。
大量のゴミ袋、洗われていない食器、溜まっている洗濯物、あちこちに散らばる参考書、机の周りの床には空になったエナジードリンクが多量に転がっていた。
そんな部屋の有り様を見て、太陽は言う。
「火焔先輩……こ、これは駄目っすよ……。皐月姉に来て貰って、せめて掃除や洗濯だけでもしてもらいましょうよ」
「……却下だ」
しかし剛士は即答でその申し出を断る。
「決めた事……だから……オレは、皐月に頼ら、ず……最後まで……頑張る、んだ……」
「で、でも! このままじゃ――――」
「大丈夫……何とか、なる……! 何とか……共通テストだって、乗り越えた、んだ……このまま……」
「…………っ!」
太陽は、一月頭に交わした愛梨の意見を聞き。剛士の意向を尊重するという考えに変わっていた。
共通テストの結果を聞いた時点では、その考えに間違いはないと思っていた、のだが……。
しかし――
その考えが、大間違い出会った事に……今、気付いた。
「…………火焔先輩……最後に寝たの……いつですか?」
「今年に入ってから……三、四時間しか寝てねぇな……ほぼ、徹夜してるよ……寝る時間、が、勿体ねぇ……から、な……」
「……今年に入ってから、風呂……何回入りました……?」
「元旦の夜、入って……流石に、共通テストの……前日、には、シャワーは、浴びて、いったよ……」
「……ちゃんとご飯……食べれてますか?」
「昨今……冷凍食品も、美味いのがあってな……それに最近、は……ドリンクばっかり、飲んでる……」
「ドリンクばっかり……? って事は…………最近は、冷凍食品も食べてないって事ですか……?」
「……ああ……冷凍食品、チンする時間が、勿体ねぇ……から」
こうして話をしている間も、剛士はペンを置かない。
参考書を捲る手を止めないし、視線は常に文字を追っている。
太陽は知っている……剛士が頑固者である事を。
一度決めた事は曲げない――――そんな心情を持つ、熱い心の持ち主である事を知っている。
その身を持って、知っている。
何故なら――そんな熱い心を持つ剛士の姿を見たからこそ――太陽は変わろうと思えたのだから。
(この人みたいになりたい……!)と――変わるきっかけをくれた人なのだから……。
故に、太陽は理解している。
この危機的状況下であろうと、剛士は絶対に、太陽の言葉を聞き入れないという事実を……。
ヨロヨロの……ボロボロな姿で、まるで壊れかけのロボットのように勉強している剛士の姿を見てると……太陽は、胸が締め付けられる思いになった。
(どうする!? このままじゃ絶対に駄目だ! 二次試験は二月後半――この様子だと確実にもたない! 絶対に身体を壊す!! 確実に!! どうする!? どうする!? 無理やり気絶させて眠らすか!? けど、そんな手荒な真似は……くそっ……どうすれば……)
ここで太陽はふと、壁に目を向けた……するとそこに、半紙が一枚貼り付けられていた。
元気だった時に貼られた物なのだろう。
ヨロヨロな今書いたものとは思えない、力強い字でこう書かれている。
『皐月と幸せになる為!!
全身全霊をかけろ!!』
この言葉を糧に、剛士はここまで頑張ってきたのだろう。
がむしゃらに……全身全霊をかけて――闘って来たのだろう。
全ては――――
皐月と幸せになる為に。
皐月と……釣り合いの取れる男に、なる為に。
「…………」
太陽は何も言わず、スっと立ち上がった。
そんな彼を一瞥する事もなく、取り憑かれたように勉強を励む剛士に、深々と頭を下げた後、太陽は静かに玄関のドアを開け、部屋から出た。
そしてゆっくりと歩き出す。
自宅へと帰る為だ。
道中……雪が降ってきた。
パラパラと……雪が……。
その雪に対して、苛立ちを隠せない太陽。
(正月にあれだけ降っておいて……まだ降るってのかよ……。どれだけ心配事を増やしてくれるんだよ……クソったれ!!)
「クソがぁっ!!」
積もっている雪を、怒りをぶつけるかのように蹴り飛ばす。
分かっている。
これは八つ当たりだ。
あんな風になる程、頑張っている剛士に対して何も出来ない――――無力な自分自身に対する怒り。
その……八つ当たりだ。
瞼を閉じ、深呼吸し、落ち着こうとしても……剛士のあの姿が浮かぶ。
その度に、怒りが込み上がってくる。
「剛士先輩は……あんなになるまで頑張ってんだぞ!? なのにオレは……オレには……何にも出来ねぇ!! くそっ…………くっそぉぉおおぉおおおおおぉおおぉぉぉおおおーーーーっ!!」
太陽は【自己再生】で『限界突破百%』を発動し、そのストレスを……そして怒りをぶつけるが如く、全速力で走り出した。
凄まじい速度とジャンプ力で、瞬く間に自宅へと到着する。
自宅前へと辿り着くや否や、通常モードへと戻り。
自宅の中へ。
「ただいま」も言わない。
出迎えた月夜の「ただいまくらい言いなさいよ」という言葉にも、何も返答しない。
月夜は察した。
太陽が怒っている――と。
それも――本気の怒り、である事を。
部屋で寝て落ち着こう。そう思い立ち、自分の部屋に戻ろうと階段に足を掛けた時だった……。
「あら? 太陽、帰って来てたの? 丁度良かった! 今ケーキを焼いた所なのよ! 一緒に食べない?」
と――声が掛けられた。
皐月から。
月夜に反応しなかった太陽が、低い声で反応する。
「……ケーキ……?」
「うん! 剛士くんの共通テスト突破が嬉しくて嬉しくて! 作っちゃったの! さ、太陽も食べ――」
「剛士先輩が、死に物狂いで勉強してるって時に!! なに楽しそうにケーキなんて作ってんだよ!!」
太陽は吠えた。
その際の、彼の睨み付けるような眼光を見て――皐月と月夜は背筋が凍る。
皐月はようやく、太陽が激怒している事に気付いた。
「ど……どうしたの? 太陽……そんなに怒って……何があったの……?」
「どうしてもこうしたもねぇよ!! そのケーキを今すぐ、火焔先輩に持って行ってやれ!! 今すぐに――だ!!」
「剛士……くんに……?」
「そうだ! 火焔先輩にだ!!」
「そ……それは出来ない」
皐月もまた、真剣な表情で反論する。
「約束したから……『受験が終わるまで会わない』って……彼は……『自分一人の力でやり遂げたい』と、そう思ってるのよ……だから私はその気持ちを……」
「その、気持ちの尊重とやらで!! 全てを棒に振っても良いのか!? って、言ってんだよ!!」
「……っ!! 太陽……あなた、ひょっとして――――」
ここで皐月は気付いた。
太陽が今日、剛士と会った事に。
そして現在、皐月に放たれている彼の怒りの感情は、それによってもたらされた感情であると。
となれば当然、皐月は理解する。
聡い彼女は理解してしまう。
剛士の現状が――想像以上に悪い、という事を。
それはもう……太陽の形相を見て一目瞭然であった。
シスコンである太陽が、誰よりも
この状況を――――異常と言わず何と言う?
これは即ち、それ程までに剛士が追い込まれている状況である事を指している。
「皐月姉の想像通りだよ! オレは今日、火焔先輩に会って来た!!」
「あ……あなた! 何で勝手に……!!」
「うるせぇよ!! 会う会わないを勝手に約束してのは皐月姉だけだろうが!! それとも何か!? 皐月姉に一言言わなきゃ、オレは剛士先輩に会っちゃいけねぇのか!? そんな勝手があってたまるか!! 会う会わねぇはオレが決める!! 皐月姉に指図される覚えはねぇ!! オレにとってあの人は――兄貴みてぇな人なんだよ!! 心配して何が悪い!!」
「そ……それはそうだけど……!」
「それともアレか!? 自分は会えないのに、オレだけ火焔先輩に会って狡い――とか思ってんのか!? 勝手に約束して、勝手に羨ましがってちゃ世話ねぇなぁ!!」
温厚な皐月も、太陽のこの煽りに対し、感情を剥き出しにせざるを得なかった。
「分かった風な口を聞かないでよ!!」
「っ!!」
「そうよ! 今私は、あなたが言った風な事を思ったわよ!! 私は会えないのに……何であなただけ会いに行くのよ! って、思ったわよ!! 悪い!? 私だって心配で心配でたまらないのよ!!」
「じゃあ何で会いに行かないんだよ!!」
「『約束』したからに決まってるでしょ!! そんなおいそれと会いに行けるのなら、私だって会いに行ってるに決まっているでしょう!!」
「約束が……何だってんだよ!!」
「大切な約束よ!! 剛士くんにとって大切な約束!!」
「それは――火焔先輩が勝手に言ってる事だろうが!! 皐月姉に守る理由はねぇだろう!!」
「あるわよ!! 大切な人との約束だもの! 守るに決まってるじゃない!!」
「その変なこだわりのせいで、火焔先輩が受験落ちても良いのか!? 体調崩しちまっても良いのか!? 今のままじゃ絶対に――あの人は二次試験までに身体を壊すぞ!? それで良いのか!? それでカッコいいと思ってんのか!? ロマンチックとか、ドラマティックとか思ってんのか!?」
「…………っ!!」
「何の為に、あの人は受験合格を目指してんだよ!? 皐月姉と同じ大学に行く為――皐月と付き合う資格を得る為だろうが!! 立派だよ! けどなぁ、形に拘り過ぎるあまり――目標が達成出来なきゃ、本末転倒だろうが!!」
「…………っ!!」
太陽の熱い言葉が……徐々に、皐月の心を揺さぶっていく。
「それでも本望だ、とでも思ってんのか!? ふざけんな!! それに万が一、今の状況のまま火焔先輩が合格したとしても――今後、今みたいな無茶な約束事を突き付けられたら! 大人しく従うような……従わざるを得ないような……そんな関係になっちまっても良いのかよ!? そんな関係を――皐月姉は望んでんのか!? そんなの――――皐月姉らしさが無くなっちまうだろう!?」
「……っ! ……太陽……あなた……」
ここで……太陽の目から、涙が零れ落ちる。
「火焔先輩はなぁ! 本当に、皐月姉の事が好きなんだよ! 大好きなんだよ!! だからこんな無茶やってんだよ!! 馬鹿なんだよ!! だけど――火焔先輩が好きなのは……相手を尊重し過ぎる万屋皐月じゃねぇんだよ!! ありのままの万屋皐月なんだよ!!」
「ありのままの……私……?」
「そうだよ!! いつもの皐月姉だよ!! 透士郎や……あの白金愛梨すら舌を巻く――ワガママで、押し付けがましくて、思った事をそのまま口にするような――――そんな自由奔放な万屋皐月は!! 今のこの危機的状況下で、どこへ行っちまったんだよ!!」
「……っ!!」
「悔しいけど、オレじゃ何も出来ねぇんだよ!! 今の火焔先輩を救う事が出来るのは…………皐月姉しかいないんだ!! だからさぁ――――」
太陽の声が……震える。
そして……縋るように皐月の両肩に手を置いた。
「目を覚まして……動いてくれよ……ワガママに、押し付けがましく……いつものように……。オレだって……皐月姉や、火焔先輩に……幸せになって欲しいんだよぉ……。頼むよ……皐月姉ぇ……」
「…………」
皐月の両肩に置かれた太陽の両手が、震えているのが伝わってくる。
それ程までに彼は……。
すると……「ねぇ……皐月姉……」ここまで静観していた月夜が、口を開いた。
「私もそう思う……兄貴の言う通りだと思う……この一件に関しての皐月姉は……らしくない」
「月夜……」
皐月は、大きな溜め息を吐いた。
「まったく……弟や妹に、ここまで心配させちゃうだなんて……長女お姉ちゃん失格ね……」
そう言って……優しく太陽の涙を拭う皐月。
「あーあ……可愛い弟や妹に、そこまで言われちゃったら……動かざるを得ないじゃないの……」
「……え……?」
「皐月姉?」
「申し訳ないけれど……あのケーキ、二人で食べちゃってくれる? 太陽には悪いけど、アレは剛士くんにはまだ持って行けないから」
「……まだ?」
「そう……まだ」
皐月は外出用のコートに手を掛けながら、言う――――
「祝うのは――――合格を決めてから、でしょ?」
コートを着て、マフラーを首に巻く。
走り易いように運動靴を履いて、玄関の扉を開けた。
そして一言。
「行ってきます」
皐月は走り出した。
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