【第36話】だからぁ……かっこよかったんだってば……
全国中学校野球大会県予選一回戦。
その当日――
静の中学は最終回の七回裏を迎えた段階で、二点のリードを奪われていた。
何せ相手は、全国大会を十連覇している強豪校だ。
この点差の試合が、奇跡みたいなものである。
しかし、あっという間にツーアウト。
静の中学はあと一人と追い込まれてしまう。
この試合、静の打席は全て四球。
一度もまともに勝負をさせて貰っていない。
彼女が一打席でもバットを振れていたら、また展開は大きく変わっていた事だろう……。
今、打席に立っているバッターは三番。
このバッターが出塁すれば、一塁が埋まった状態で四番の静に回る。
キンッ!!
結果は――――
「アウトっ! ゲームセット!!」
キャッチャーフライ……。
静の中学野球は、こうして幕を閉じた。
整列し、涙を流す仲間達。
そんな仲間達を、覇気のある声で静は励ます。
「皆泣くな! 全国優勝候補相手に二点差だぞ!? 胸を張ろう! ちゃんとやれる事はやり切ったじゃないか!!」
「でも……静……もうお前とは、一緒に野球出来ないじゃないか」
「っ!!」
エースナンバーを付けているチームメイト――
そう……いくら静がこのチームの主軸だったとは言え、静は女だ。
高校野球には女性は参加出来ない。
従って、今のチームメイトと野球が出来るのは、これが最後となる。
「な、何を言ってるんだ冬夜。野球なんて、やろうと思えば草野球でも出来る! 胸を張れ! 帰ろう!!」
「ああ……そうだな……」
冬夜は渋々納得した。
一方……そんな様子をスタンドから眺めていた、万屋一家と姫と大地。
「女の静さんが泣かずにチームメイトを慰めてますよ?」と、大地が言う。
「静ちゃんは……強がりだからね」姫が言う。
「皆の前では絶対に泣かないよ……もちろん、私達の前でもね」
「そうそう」月夜が続いて言う。
「そんで一人の時に、泣くんだよ……。こんな時くらい、強がらなくても良いのにね……」
そんな言葉を聞き、皐月が悲しそうな表情を浮かべる。
「こんな時まで……強がらなくても良いのに……」
「大丈夫だろ」
大丈夫――そう、太陽が言った。
「え?」と、大地達が反応する。
太陽がスタンドの一点を見つめながら、続ける。
「オレ達やチームメイトの前では泣けなくても……――――
好きな人の前では――嫌でも正直になるもんだろ?」
その後。
中学野球最後の別れの挨拶を交わした後、静は一人……河川敷で佇んでいた。
彼女は結局、チームメイト達や太陽達の前では涙を見せなかった。
強がりな姿を……貼り付けた笑みを浮かべていた。
最後まで。
流れる川を、静はぼーっと見つめていた。
脳裏に過ぎるのは、今日の敗北。
悔しい――
ただただ、悔しかった。
叫びたい程に。
発狂してしまいたい程に。
そんな彼女に忍び寄る影が一つ――
「おつかれさま……」
「ひゃっ!」
突然頬に冷たい物を当てられ、驚く静。
冷たい物の正体は、スポーツ飲料である『カポリ』。
そして、静の頬にカポリを当てたのは――――千草だった。
静が想いを寄せる――木鋸先輩だった。
「木鋸先輩……」
「残念だったな。でも、よく頑張ったんじゃない?」
そう労いながら、千草は静にそのカポリを渡し、自分の分の蓋をカシュッと解放させた。
「……ありがとう……」
「ん、カポリの一本くらい、安いもんだし」
「いや……そうではなくてですね……『よく頑張ったんじゃない?』って方です……」
「それくらい、何度でも言ってやるよ」
「……相変わらず……優しいなぁ……木鋸先輩は」
「うるせぇ……」
照れ臭そうな千草。そして、ほのかに微笑む静。
「そっかぁ……木鋸先輩見に来てくれてたんだぁ、そっかそっかぁ…………なら尚更――――勝ちたかった……なぁ……」
ここでようやく……静の目から涙がこぼれ落ちた。
「皆と……もっともっと……野球していたかったなぁ……」
静の涙はもう、止まらない。
「木鋸先輩に……カッコ悪いところ……見せ、ちゃったなぁ……」
ここで。
千草の目が、鋭く変わった。
「カッコ悪くなんて、ないっ!!」
千草が吠えた。
「え?」と、目を剥く静。
「オイラは知ってるぞ! 負けて一番悔しがっているお前が、チームメイトを励ましていた姿を!! あの優勝候補相手に本気で勝とうとチームメイトを引っ張っていた姿を!! 一球一球を、全力で追い掛けていた姿を!! そして…………誰よりも――努力していた姿を!!」
「木鋸……先輩……?」
「そんなお前が――海波静が!! カッコ悪い訳ないだろう!!」
静の目が、更に涙でいっぱいになる。
(ねぇねぇ! 木鋸先輩! 私昨日ホームラン打ったんだぞ! チームも解消したんだ! 褒めて褒めて!!)
(ホームラン? 何それー? オイラ野球知らないもーん)
(おっと、ランニングの続きをしなければ)
(えー、ランニングとかしてんのぉー? 何の為ー? ダイエットー?)
千草は叫ぶ。
「その掌の豆を見てみろ!! 足の裏の血豆を見てみろ!! その鍛えられた身体を見てみろ!! カッコ悪いだと!? いくら本人でも――――静の悪口は、オイラが許さないぞ!!」
「………………」
「オイラが! 絶対に許さないぞ!! 大事な事なので二回――」
トンッ、と……千草の胸元に、静の小さなおでこがあたった。
突然の出来事に、顔が赤くなる千草。
「へ? あ、ちょ……静……?」
「ちょっと汗臭いかも……だけど……許して、ね……」
静が、震える声で、そう言った。すると、とうとう歯止めが聞かなくなる
脳裏に過ぎるのは、今日の敗北。
悔しい――
ただただ、悔しかった。
叫びたい程に。
発狂してしまいたい程に。
「う……うわぁぁんっ! 悔しいよぉ! 勝ちたかったよぉ! 皆と全国へいきだがっだよぉ!! 先輩に……カッコイイ所、見せたかったよぉ!! うわぁぁぁぁあんっ!!」
号泣――だった。
決して人前で泣かない静が、はじめて――
誰かに持たれて流した涙だった。
千草は小さく呟く。
小さく、小さく呟いた。
「だからぁ……かっこよかったんだってば……」
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