5-8

「僕は……僕には自分の生きる意味が分からなかった。スザンナがどうして僕を地上に遣わしたのか、その意味が……僕に与えられたペインキラーは誰も救えない。何の役にも立たない。それは……僕の人生は、アケルダマで死ぬことで初めて意味があるものだから。それが、僕の使命……スザンナによって与えられた命の意味だったのか」


 イアンの覚悟にオズボーンは笑みを浮かべる。


 反対に入口の方からは悲痛な叫びが聞こえる。


「おい、イアン!」


「イアン……やめろっ!」


「イアンくんっ!」


 三つの叫び声。その中の一つがイアンの脳に突き刺さる。


 アケルダマに身を投げようとした足をふいに止め、入口へと向き直る。


「スージー……」


 目に留まった一人の名前をつぶやく。それに応えるかのようにスージーはイアンの側へと駆け寄る。


 自分のローブを肩に掛けたスージーの姿は、いつもとどこか違って見える。銀色のワンレングスの髪の美しさも、自分を見つめる大きな瞳の輝きもいつもと同じ。異なるのはイアンが置かれた状況。待ち受ける運命。それを前にして覚悟を決めたイアンを気遣うスージーの表情。


 うっすらと微笑むスージーの口元には、いつもの無邪気さが浮かんでいない。


「イアンくん……」


 イアンの名前をそっと呼ぶスージーの声からも、いつもの明るさは感じられない。


「スージー……」


 スージーの名前を呼び返すイアンの声もまた切ない。いつでもイアンの心を慰め支えてくれていたスージー。その彼女とこんな風に呼び合うことなど今までに無かった。


 ヘレムの魂を宿すリディーマーの真の使命。それを果たすことはイアンの死を意味する。そうしなければ血の聖水は失われたままとなり、世界を覆うレトリビューションの脅威を払うことは出来ない。


 自らの運命を突き付けられたイアンの心は、どれだけ不安と恐怖にさいなまれていることか。


 だからこそスージーは微笑みかけた。イアンの心を救おうとして、少しでも負担が軽くなるよう願って。それでも、その微笑みには隠すことの出来ないスージーの本心がにじみ出ていた。


 ――スーは、イアンくんに死んでほしくない。イアンくんに、いなくなってほしくない。ずっと、ずっとスーと一緒にいてほしい――そんな気持ちがイアンの胸の奥を揺らす。


 イアンの使命とスージーの想い。その二つがイアンの心の中でせめぎ合う。


 イアンは悲しげに揺れるスージーの瞳を見つめながら、心の中で自分自身に問いかける。自分が本当に願うことは何なのかと。


(僕の願いは、スージーが生き続けること。僕の側で僕を支え続けてくれたスージーが、いつまでも笑顔でいてくれること。そのために、僕は――)


 先刻、スージーはレトリビューションに見舞われた。川で溺れたダメージが完治していない証拠だ。そんな状態でイアンを追いかけてきたスージーの身を気遣えば、またすぐにレトリビューションに襲われたとしてもおかしくはない。


 全身を黒い渦に飲み込まれれば、その激痛だけで命を失う危険をイアンも身をもって体感した。ならばスージーを助けるために、一刻も早く自分が犠牲になるべきだ。


 そう考えると同時に思い出す。夢の中で与えられた啓示を。


(そうだ、スザンナは言った……僕の願いが何なのか考えろと。僕が守りたいのは誰なのかと。他でもないスージーだ。スージーをレトリビューションから救うためには、僕が犠牲にならなければいけない。けど、それが本当にスージーの願いなのか? 僕が死んで自分が生き続けること……スージーがそう願っているのか?)


 スージーの気持ちは痛いほどにイアンの胸に届いている。イアンの心が揺れ動いているのが、その証拠だ。スージーの想いを無視してまで自分が犠牲になることにイアンは躊躇いを覚えた。


 そして想像を働かせる。自分がリディーマーとしての務めを果たした後のスージーの境遇を。


(僕はスージーの優しさに支えられ、何度も助けられてきた。それはスージーにとっても僕が大切な存在だからじゃないのか。僕が誰の生まれ変わりだろうが関係なく、スージーは僕の支えになろうと僕の側にい続けてくれた。そんなスージーが僕の死を願うのか? 僕がいなくなった後の世界で、スージーは一人で生きていけるのか? スージーにそんな寂しい想いをさせたいのか?)


 再びスザンナの啓示がイアンの頭脳を貫いた気がした。


 もう迷いは無い。イアンは新たなる覚悟を胸に、オズボーンの方へと身体を向ける。

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