5-6

 聖堂の中から杖を持った一人の男が現れた。生え際が後退した白髪、わし鼻、銀縁眼鏡、イアンが初めて見る相手だ。


「オズボーン司教……」


 ジェフのつぶやきが聞こえる。そちらへ目を向けると、ジェフはスージーを無理矢理引きはがしてイアンの前へと出た。


「司教様、どうかこの場は……」


 オズボーンと呼ばれた司教は眼鏡の奥からジロリとジェフをにらむ。


 その迫力にジェフが言葉を詰まらせると、今度はイアンに視線を注いできた。


「リディーマー、イアン・ダウニングよ、よくアケルダマの聖堂までやってきた。さぁ、その身に背負った最後の役目を果たす時だ」


「最後の……?」


 オズボーンの言葉の意味が分からず、イアンは立ち尽くす。そのイアンをかばうようにしてジェフはオズボーンの前に立つ。


「お待ちください、司教様。イアンは何も知らないのです。どうか考える時間を与えてやってください」


「……差し出がましいな、ジェフェリー・スティアー」


 ジェフの言葉に聞く耳を貸さず、オズボーンは冷酷に言い放つ。


 そしてジェフに一歩近づく。その威圧感からジェフは思わず後ずさり、背後にいたイアンも横にどいてしまう。


 オズボーンの迫力にけおされてジェフは階段の間際まで後退する。そこでオズボーンが手にした杖の先端でジェフの胸を突いた。


「ジェフ!」


「うわっ!」


 ジェフはバランスを崩して階段の上に倒れる。落下こそ免れたが受け身を取ろうと付いた手からは血が流れている。


 オズボーンは自分がした仕打ちに顔色を変えることなく、再びイアンに向き直った。


「リディーマーの務めを阻むなど『ヨシュアの木』の僧侶として、あってはならぬことだ。イアン・ダウニング……聖堂の中に入り、最後の務めをまっとうするがよい。最早時間は残されておらぬのだ」


 オズボーンはジェフを突いた杖の先端を南の空へと向ける。


 イアンがつられてその方角を見ると、地平線の向こうから何やら黒い塊のようなものがうごめいているのが見えた。


「あれは……まさか!」


「そうだ。バーリンダムを覆いつくすレトリビューションの渦だ。あれを食い止めたいと願うのであれば聖堂の中へ入るしかない。それが出来るのはリディーマーとして生まれた者のみだ」


「ダメだ……止めろ、イアン」


 倒れながらもジェフはイアンを止めようと手を伸ばす。オズボーンは非情にも、ジェフのケガした手を更に杖で打つ。


「やめてください! 司教様、僕はあなたの言う通りにします。そのために僕はここまで来たのです」


「ならば……扉の向こうへ行くがいい」


 促されてイアンは聖堂の中へと足を踏み入れる。


 目的地への到達。緊張感が身体を包み込む。背後にオズボーンに立たれ、更に奥へと進んでいく。


 聖堂の内部はがらんとしていた。床の中央には大穴があけられている。まるで丘のふもとまで続いていそうなほど深い穴が。


「ここが罪深きヘレムが死した場所。その身から湧き出た血の聖水によって作られたアケルダマの泉。見よ……今や泉は涸れて血の聖水は一滴も残されてはおらぬ」


「血の聖水が……涸れた?」


 一週間前、バーリンダム支部に保管してある血の聖水が切れたとジェフから聞かされた。


 だからこそ、その補充のためにジェフはリザブールまで赴いたのだ。


 そのリザブールからも血の聖水が無くなっていたとは。リザブールにある血の聖水の源泉、アケルダマが涸れてしまっていたとは。


「そんな……僕がここに来たのは血の聖水を手に入れるためだったのに……僕は何のために、ここまで……」


 イアンはここに来るまで多くの人の協力を得て、多くの人の悲しみを背負ってきた。その困難や苦しみが、ようやく報われる時が訪れたと思っていたのに。


 イアンはヒザから崩れ落ちそうになるのを何とかこらえるのに必死だった。


「案ずることは無い。アケルダマは二千年の間、何度となく涸れては満ちてを繰り返してきた。ヘレムが生み出して以来、その魂を受け継ぐ人間が血の聖水を注ぎ足してきたのだ」


「ヘレムの魂を受け継ぐ人間が……血の聖水を注ぎ足してきた?」


 突然の内容に理解が追い付かず、イアンはオズボーンの言葉を繰り返す。


 そっと大穴を覗き込めば、真っ暗な口を開いて底は見えない。これほどの空間を満たす血液となると相当の量だろう。それこそ「ヨシュアの木」の各支部に貯え、バプティストたちに持たせるには十分なほど。


 そのアケルダマが涸れた時、ヘレムの魂を持った人間が現れる。ヨシュアの魂をイアンが宿したように。そして二千年前のヘレムと同じように、その身を散らしてアケルダマを血の聖水で満たすのだろう。


「それで……そのヘレムの魂を受け継ぐ人間とは?」


 アケルダマが実際に涸れた今日、血の聖水を得るためにはヘレムの魂を宿した者が必要になる。その見知らぬ人物の犠牲に胸を痛めながら、恐る恐るイアンが尋ねる。


 尋ねられたオズボーンは、手にした杖の先端をイアンへと向けた。


「そこにいる。そう、イアン・ダウニング……お前がヘレムの魂をスザンナによって与えられた現代のリディーマーだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る