4-2

「ア……アモット先生!?」


「おぅ、イアン。驚いたか? いや、アリッサから話を聞いた時はワシも驚いたぞ」


 指先で赤ヒゲをなぞっているのは、正しくバーリンダムで別れたアモット医師だった。


 思わずアリッサの方に目を向けると、彼女は更に奥へと続く扉を開けていた。


「その子、ダニーが診てくれるってさ。入りな」


 アリッサに続いて扉を通るとベッドの用意が出来ていた。


 そこにスージーを寝かせる。その時、ふと壁に貼られた旗に気が付いた。旗に記された文字を心の中で読み上げる。


(『レベル・ジーザス』……『ヨシュアの木』の打倒を掲げるアーチエネミーの合言葉だ)


 レベル・ジーザス――レベルは反逆者の意。ジーザスは人類最初のリディーマーであるヨシュアを指す。イアンの名前が最初のバプティストであるヨハネに由来するのと同じだ。


 神が人類に与えると約束した永遠の都。二千年前、その永遠の都へと人々を導いたとされるのがヨシュアだ。


 しかしヨシュアが人々を導いた先の土地には、既にシャト人の王国が築かれていた。


 このままではヨシュアの一行に王国を乗っ取られると考えたシャト人は、ヨシュアの死を計画する。ヨシュアに付き従っていたヘレムをそそのかし、偽の救世主としてバラバを立てた。


 結果として人々はヘレムの言葉を信じた。ヨシュアのことを人々を惑わす偽の救世主と呼んで処刑したのだ。そして神罰が下った。


 神が人間に与えると約束した永遠の都。その約束に背いた罰としてバラバは雷に打たれて死に、その死体から発生したレトリビューションによってシャト人の王国は黒い渦に飲み込まれた。


 永遠の都――シャト人の王国――が失われた後に発足した組織が二つある。


 その内の一つである「ヨシュアの木」は血の対価が支払われない限り人が犯した罪はつぐなわれず、永遠の都は人類の手に届かない。罪深き人々に代わって血の対価を支払うヨシュアの生まれ変わり、リディーマーの到来を説いた。


 もう一つの組織アーチエネミーは、シャト人が支持したバラバこそが真の救世主でありヨシュアは王国に対する反逆者だと非難。以来、レベル・ジーザスの旗印を掲げて「ヨシュアの木」と対立してきた。


(アリッサはアーチエネミーを追放されたと言っていた。いや、『ヨシュアの木』が復讐の対象だとも言っていた……組織を抜けようとも、その主張は変わっていないということか)


 イアンが壁の旗に見入っている間にアモット医師も入ってきた。


 部屋の中に四人もいると狭さを感じる。スージーのことはアモット医師に任せて、イアンは元の部屋へと戻った。


 こちらの部屋は少しは広めで大きなテーブルが置かれている。テーブルの上は散らかっており、食べ掛けのパンなどが転がっている。


 アリッサもこちらの部屋へと移り、テーブルの上から取ったパンをかじった。


「私のベッドは、あの子に使わせてやる。悪いが、あんたはその辺で寝っ転がりな」


 言われてイアンは部屋の中を見渡す。ベッドの類は無く、床も空きビンなどで散らかっている。身体を折り曲げれば何とか寝れそうだ。


 ここは恐らくアリッサが住んでいる部屋なのだろう。唯一のベッドをスージーに明け渡すとなると、本来の住人であるアリッサも今夜は床で寝ることになる。それを考えると文句を言うのも筋違いだ。


「ありがとうございます。あの……アモット先生は?」


「ダニーかい? あの子の診察が終われば自分の寝床に帰るだろうさ」


 そう言ってアリッサは床を指差す。どうやら階下の部屋がアモット医師のものらしい。


「私もアーチエネミーを追い出されて以来、行く当てが無くてね。ダニーにかくまってもらっているのさ」


「そうでしたか。あの、ダニーと言うのは……?」


「ダニエル・アモット。あの赤ヒゲの名前だよ」


 半ば予想通りの返答にイアンもうなずく。


 思えばイアンはアモット医師のフルネームなど知らなかった。知り合ってから、まだ一年の間柄。それも仕事上の付き合いだけなのだから当然と言えば当然か。


 それだけでなくイアンと知り合うまで、どこで何をしていたのかさえ知らない。アーチエネミーに所属していた女をかくまうなど、そこにどういった経緯があるのだろうと考えてしまう。


 アモット医師は四十代前半、対するアリッサはタトゥーのせいで分かりにくいが二十代半ばから後半と思われる。


 恋人にしては年齢が離れている。親子にしては年齢が近い気もするが、あり得なくはないか。


「私とダニーのことより……イアンだっけ? あんた、これからどうするんだい?」


「あっ、そうだった……一つ確認したいんですが、ここはリザブールでいいんですよね?」


「そうだよ。街はずれだけどね。あんたが言うように、ここにはレトリビューションを消す力を持った血の聖水の泉――アケルダマがある。だからこそレトリビューションに怯える人々は救いを求めて、この街へと集まってくる。そういった人間の住む家をどんどん拡張していった結果、迷路みたいな住宅地が出来上がったのさ」


 暗闇のためはっきりとは分からなかったが、やはりイアンが歩いた通りは迷路のように入り組んだ造りになっていたようだ。


 こんな状況では誰がどこに住んでいるのか。いつから住み始め、いつ出て行ったのか把握するのは困難だ。「ヨシュアの木」の目から逃れるには最適の場所だろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る