3-4
「ペイン、キラー……」
頭を抱えて、うなだれるヘリオン。その姿に胸を痛めたイアンが発した言葉は震えていた。
例え一時であってもヘリオンが抱える苦悩を取り除きたい。そんな祈りを込めてイアンはリディーマーにのみ与えられた力を行使する。
人の痛みを拭い去る奇跡の水、ペインキラー。イアンの両手を満たしたその水を、ゆっくりとヘリオンの頭へと注いでいく。
ペインキラーが効果を発揮するのは、肉体に負ったケガの痛みだけではない。人の心をむしばむ痛みに対しても同じく作用する。
ヘリオンの頭から染み込んでいったペインキラーは、彼の心を癒してくれたようだ。顔を上げて見せた表情は、どこかスッキリしていた。
「そうだな……俺がいつまでも悲しんでいたって息子も報われねぇか。あいつの舟がまた水面を走る姿を見てぇって、あいつも思ってるかも知れないしな」
自分に言い聞かせるかのように語るヘリオン。もしかしたら、それが彼の本音だったのかもしれない。彼自身、ずっと望んでいたことだったのかもしれない。
それが息子を失ったショックが大き過ぎて、舟で出掛けた息子が帰ってこなかった事実が悲し過ぎて、息子の舟を桟橋に繋いだままにしてきたのだろう。
「……あんた、リザブールまで行きたいとか言ってたか? 分かった。息子の舟を使ってくれ」
「……ありがとうございます……」
アモット医師から預かった硬貨を取り出してヘリオンに手渡す。
それから桟橋へと移動し、待たせていたスージーを連れて舟へと乗り込む。
舟は二人も乗れば、もう満員となる小型のもの。オールを手でこぐ仕組みになっている。
舟に乗るのは初めてのイアンであったが、どうすれば前へと進むのかの知識はあった。
それでも最初は苦戦した。想像以上に重いオールを動かすのに難儀し、舟は進みたい方向とは全く別の向きを行ったり来たり。
五分ほど格闘を続けた後、どうにか対岸へ向けて舟を動かせるようになった。
その間、イアンの心はずっと黒く塗りつぶされていた。
(今、僕の胸に重くのし掛かっている陰鬱な気持ち……これが我が子を失って以来、ヘリオンさんの胸にずっと巣食っていた感情……)
それは、とても人が耐えられそうにない重さだった。
この重苦しさを何日も何日も、何年も何年も引きずっていたら、やがて押し潰されて二度と立ちあがることが出来なくなるだろう。
ヘリオンが苦しみを紛らわせようと酒に手を出したとしても、誰にも責めることは出来ない。少なくとも実際に同じ気持ちを味わったイアンには。
「イアンくん……」
舟をこぎ出してから、いや舟に乗る前からイアンはずっと暗い表情で黙りこくっていた。
そんなイアンを案じて、スージーが心配そうに顔を覗き込んでくる。
イアンもハッとなり、慌てて笑顔を作ろうとする。
「大丈夫だよ、僕は……あの人がスネークバイトを飲んでいたおかげで、少しは気分も紛れてるから」
その言葉はウソだと、笑顔になりきれていないイアンの表情が物語っている。
それでもスージーは満面の笑みをイアンへと返す。まるで自分の微笑みが鏡に映したイアンの表情そのままだと言うように。
イアンの言葉をそのまま受け取った訳ではない。純粋なスージーだが、イアンの気持ちを察することに関しては敏感だ。
イアンがスージーに心配かけまいと無理して笑おうとするのであれば、自分はそれ以上の笑顔を見せて応えるまで。自分は何も心配していないとイアンに伝え、安心させるために。
そういったスージーの優しさも含め、イアンには目の前の少女の気持ちが伝わっていた。
今は、それさえも悲しい。
(僕には、スージーがいてくれる。僕が悩んだり落ち込んだりした時、いつもスージーがなぐさめてくれる。ヘリオンさんには、もう誰もいない……ペインキラーで一時的に悲しみを忘れたとしても、これから先ずっと暗い気持ちが胸を埋め尽くしていく)
そんな風に考えている内に、次第にイアンの心に巣食った重苦しさは失せていった。
ペインキラーの効力が切れ、イアンが一時的に肩代わりした心の痛みがヘリオンへと帰っていったのだろう。
そのヘリオンの気持ちと今後を考えると、重苦しさの消えた今もイアンの胸は痛んでいた。
涙をこらえて空を見上げる。どんよりとした雲は、かえって気持ちを沈ませる。
(ヘリオンさんの息子が舟で出て行った日も嵐が近づいてるという話だった。どうか降らないでくれ)
久しぶりに川を渡る息子の舟がまた嵐にあって難破でもしたら、今度こそヘリオンは立ち直れなくなるだろう。
イアンは自分たちのためだけでなく、ヘリオンのためにも無事に向こう岸へ着くことを祈った。
晴れないイアンの心と表情。それを思いやってか、スージーはワンピースのポケットから輪っかになったヒモを取り出した。
両手を使ってヒモを何かの形にすると、その形を崩さないよう指から外して舟の上へと置く。そこからヒモを指で摘まみ上げて別の形を作っていく。
そんなことを何度か繰り返した果てに、スージーの十本の指の間でヒモは立体的な舟の形に変わった。
「見て見て、イアンくん♪ お舟だよ~。ザブーン、ザブーン♪」
両手をゆらゆらと揺らして、ヒモで出来た舟を航行させる。その愛らしい仕草に、イアンも自然と表情を和らげる。
やっと微笑みを取り戻したイアン。そのことが嬉しかったのだろう、スージーも心からの笑みを浮かべる。
(ありがとう……スージー)
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