2-8

「アモット先生! スージーは……」


「おぉ、イアンか。大丈夫、ハルフォードの中で大人しくしとるよ」


 ハルフォードの前まで戻ってきたところで、イアンはアモット医師と出くわした。


 アモット医師も既に騒ぎは聞いている様子で、診療所の患者たちを外へと連れ出していた。


「すまんが、ワシは一足先に患者を連れて逃げさせてもらうぞ。スージーにも逃げるよう言ったんだが、お前さんを待つと言って聞かなくてなぁ」


「そうですか……ありがとうございます。スージーのことは僕に任せて、アモット先生も早くバーリンダムから離れてください」


「分かった、分かった。お前さんも気を付けてな……あぁ、ちょっと待った!」


 立ち去る寸前、アモット医師がイアンを呼び止めた。


 今は少しの時間も惜しいというのに、何の用事だろうか。焦るイアンに、アモット医師はポケットから取り出した何枚かの硬貨を差し出した。


「街を離れるんなら、金がいるだろう? 少ないが持ってけ」


「そんな……受け取れません」


「いいから、持ってけ。金も持たずに、どうやってスージーを守るつもりなんだ?」


 それを言われると反論できなくなる。


 イアンもスージーも、これまでの生活は教団に支えられていた。そのため、個人で自由に出来る貨幣を持ってはいなかった。


 少なくともリザブール行きの列車に乗る運賃は必要になる。イアンは考えを改めてアモット医師から硬貨を受け取った。


「すみません……必ずお返しします」


「おぅ、それまで死ぬなよ。それじゃあな」


 去って行くアモット医師の背中にもう一度、心の中で礼を述べる。


 それから、スージーをすぐに連れ出そうとハルフォードの入口に目を向ける。小さな足音が聞こえたかと思うと、そこからスージーが飛び出してきた。


「イアンくーーん!」


「わっ、スージー!? だ、大丈夫……?」


「うんっ! イアンくんが帰ってくるの、ちゃんと待ってたよ」


 イアンの姿を認めると同時にスージーが抱きついてきた。イアンとアモット医師の話し声を耳にして駆け出してきたみたいだ。


 イアンがハルフォードを離れている間にまた大変な目にあっていないかと心配したが、この様子であれば大丈夫だろう。


「待たせて、ごめん。さぁ、すぐにバーリンダムを出よう」


「バーリンダムを……? どこに行くの?」


 小首を傾げて尋ねるスージー。


 イアンはスージーの両肩にそっと手を置き、安心させるように語り掛ける。


「ちょっと遠いけど……でも、スージーが悲しまなくて済む所だよ」


「イアンくんも、スーと一緒?」


「うん、僕も一緒に行く。スージーを一人にはしないから」


「うんっ、わかった! じゃあ、出発の準備しなくっちゃ!」


 そう言うとスージーはハルフォードの中へと戻っていった。


 本心ではすぐに街を離れたいと思いながら、イアンも強く言うことは出来ずに心配そうに覗き込む。


 スージーはハルフォードの中を目まぐるしく回りながら、目についたものをワンピースのポケットへとしまっていた。


「スージー……荷物は少なくていいから、なるべく早くね」


「はーい♪」


 ハルフォードの中と外の様子を交互に見ながら、やんわりと催促する。


 しばらくすると、スージーが「おまたせー♪」と戻ってきた。


 スージーの手を引いて外へと出る。避難する人の姿は既にまばらで、工場の煙突の向こうから黒い渦が伸びているのが見える。


 やがて空を覆いつくすのが工場の黒煙ではなくレトリビューションの渦へと変わっていくのだろう。そうなる前に何としてもスージーを連れ出し、そしてリザブールから血の聖水を持ち帰らなくては。


「行こう、スージー。絶対に僕から離れないでね」


「うんっ! ぜーったいにイアンくんから離れないよっ」


 この緊急時に似つかわしくない楽しそうな声を上げて、スージーがイアンの腕にしがみつく。


 そこまで密着されると、かえって走りにくい。いったん引きはがしたスージーの手を取って、イアンは迫りくるレトリビューションから逃げ出した。

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