2-6

 イアンはバーリンダムの街を駆けた。


 教団が運営する病院までは、ハルフォードから歩いて二十分ほどかかる。


 そこへスージーを連れて行って診察が可能なのか確認しなくてはならない。わずかな可能性に託して血の聖水が残っていないかも確かめておきたい。


 病院での対応が無理な場合は、他に余裕のある(もちろん腕のいい医者のいる)診療所を紹介してもらう。


 スージーをたらい回しにする訳にもいかないから、まずはイアンが自分の足で調べる必要があった。


(病院は、この先の角……もう少しだ)


 息が弾む。そんなことは気に留めず、かえって足を速める。


 そこへ一人の女性が角を曲がってきた。イアンはとっさによけることが出来ず、相手とぶつかってしまった。


「きゃあっ!」


「うわっ! あ、あ……す、すみませんっ。大丈夫ですか?」


「大丈夫じゃないわ! レトリビューションが!」


「えっ……?」


 必死の形相で訴えてくる女性の言葉にイアンは息がつまる。


 反射的に脳裏に浮かぶ最悪の状況。それを裏付けるかのように、角からは次から次へと逃げ惑う人々が現れた。


「きゃーー! 助けてぇ!」


「うわーーっ! 逃げろー! レトリビューションだぁっ!」


「あの病院はもうダメだ! 早く逃げるんだー!」


 口々に発する絶望の言葉。


 イアンはぶつかった女性にもう一度謝罪すると、角を曲がって病院の方角へと向かった。


「……っ!?」


 そこでイアンは見た。バーリンダムでも最も大きな医療機関である病院の建物が、いたる所から黒い渦を発生させて飲み込まれつつある姿を。


 先日見た、人間ひとりを包み込むほどの大きさの渦でさえ初めてのことだったのだ。それを遥かに凌ぐ規模のレトリビューションを前にして、イアンはその場にヒザから崩れ落ちた。


「うわぁぁぁ……あっ! あっ、リディーマー様!?」


 自分を呼ぶ声にイアンは顔を上げる。見れば、それは病院に勤める見知った医者だ。


「い、一体……何があったんです?」


「患者の一人からレトリビューションが……そ、それが他の患者の傷口にまで移って、気が付いたら病院中が……」


 レトリビューションは人の傷口に巣食う。スージーの右腕から無傷のイアンの身体に移したレトリビューションは時と共に消滅した。


 だが、負傷者を大勢収容している病院ではそうはいかない。


 一人の患者から発生したレトリビューションの渦に他の患者が触れてしまい、その患者の患部にもレトリビューションが移ってしまったのだろう。元の患者からも渦が消えることなく。


 そうして連鎖的にレトリビューションの渦はどんどん広まっていき、とうとう病院中に蔓延してしまったと思われる。患者を預かる医者が病院を放棄するほどだ。病院内はもう手の施しようがない状況だろう。


「この数日、他の街の病院からやたらと患者がやってきたんです。それなのにバプティスト様は全員、病院からいなくなるし、血の聖水の補充は来ないし……あぁ、一体『ヨシュアの木』で何が起こったんです?」


 イアンにも「ヨシュアの木」の意図は分からない。何も聞かされてはいない。


 分かるのは、バーリンダムから血の聖水が失われているということ。今、目の前で広がりつつあるレトリビューションを止める術が無いということだけだ。


 イアンは立ち上がると、周囲にいる者たちに呼び掛けた。


「みなさん、逃げて……病院から……いや、バーリンダムから離れてください!」


 そして速やかに、きびすを返す。向かう先は「ヨシュアの木」の支部アビーだ。

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