2-5
「スージー!? ダメだっ! ぐああぁっ! 早く、僕から離れてっ!!」
「ヤダヤダー! イアンくんだけ痛いのはヤなのーー!!」
スージーはイアンの胸に飛び込むと力いっぱい抱きしめて離れようとしない。
まるでイアンと苦しみを分かち合おうとするかのように。あるいは自分が抱きしめることで、何とかイアンを救えないかと考えているのかもしれない。
リディーマーでもない小さな少女に何が出来るのか。それでもイアンが苦しむ姿を目にしてジッとしていられない様子だ。
イアンは自身の右手を後ろに大きくそらして、スージーの身体に触れないようにする。レトリビューションの渦は触れた者、全てに苦痛を与えるからだ。
残された左手で何とかスージーを引き離そうとするが、その度にスージーは力を込めてしがみ付いてくる。
「スージーー! お願いだっ! 離れて……アアアァッ!!」
イアンは痛みに耐えながら、スージーに離れるよう懇願を続ける。その目には、痛みのせいばかりでない涙がにじんでいた。
スージーもまた両目から涙をこぼしていた。イアンの説得に対して首を横に振り続けながら、絶対に離すまいとしていた。
このままでは二人ともレトリビューションの餌食となってしまう。どうにか回避できないものかと思案していると、イアンは次第に右腕の痛みが引いていくのを感じた。
(……僕の右腕……もう、痛覚もマヒして……違う!)
あまりの激痛だったため一瞬、忘れてしまった。イアンの右腕の痛みはスージーのレトリビューションをペインキラーで移したものだということ。
そしてペインキラーの効果は一時的なもの。イアンの痛みが無くなれば、元の持ち主へと帰っていく。
イアンは痛みの消えた自分の右腕を確かめる。そこに黒い渦は見られない。
「スージー!!」
抱きついていたスージーの肩を両手で押して引き離す。
突然のことにスージーも目をパチクリとさせる。
「あ、れ……イアン、くん?」
「スージー、右腕は……大丈夫なの?」
スージーに痛がる様子は見られない。ワンピースの袖をめくって細い右腕をあらわにするが、そこには渦の片鱗も無かった。
「レトリビューションが……消えた?」
それでもイアンはまだ生きた心地がしなかった。
これまでにイアンはペインキラーを使って自分の身にレトリビューションを移した経験は無かった。
レトリビューションは人の傷口に巣食うもの。レトリビューションを移したイアンの身体が傷を負っていなければ、時間と共に消えていくものなのかもしれない。
だが、スージーはどうだろうか。
実際にレトリビューションはスージーの右腕から発生した。つまりスージーの右腕は完全には治りきっていないということ。
そしてケガが完治しない限り、スージーの腕から再びレトリビューションが現れないとも限らない。
それが明日なのか一時間後なのかは罰を下す神のみが知ること。
いつでも明るく可愛らしい笑顔を振りまいているスージーが、またあんな風に悲痛な叫びを上げるのを見ることになるのか。それを思うとゾッとする。
頭に浮かんだ不吉な考えを振り払おうとイアンが頭を横に振ると、聞き慣れた声が自分を呼んだ。
「おーい、イアン! 大丈夫か?」
「あ……アモット先生」
イアンの絶叫が裏の診療所にまで届いたのだろう。アモット医師が様子を見に来てくれたようだ。
「すごい叫び声が聞こえたぞ。何があった?」
「あ、いえ……もう大丈夫です。いや、大丈夫じゃないかもしれないけど……」
「んん~?」
言いよどむイアンにアモット医師は不思議そうな目を向ける。
確かにレトリビューションは治まった。他に外傷も無い。けれどもイアンの懸念は晴れない。
(今はレトリビューションが消えたとしても、また発生しないとも限らない。血の聖水が無い今、スージーをレトリビューションから救うには右腕を完治させる以外に方法は無い)
そのためにはアモット医師に、もう一度診察してもらった方が良いとも考える。
しかし実際に二人ともレトリビューションの苦痛を味わった後となると、もっと万全の対策を取りたかった。
アモット医師を信用していない訳ではない。むしろアモット医師は、バーリンダムでも指折りの名医だ。
レトリビューションが人の傷から発生するものである以上、多くの患者を抱える病院は常にレトリビューションの脅威にさらされることとなる。
そのため「ヨシュアの木」が運営する病院には血の聖水が貯えられ、それを行使するバプティストが常駐している。「ヨシュアの木」が医療機関の母体になっているのは、そういう理由もあった。
しかしアモット医師のように個人で経営している診療所は、そういう訳にはいかない。
アモット医師自身、イアンやジェフを通して何度も「ヨシュアの木」に血の聖水を分けてもらえないか相談していた。
その度に断られ、ジェフから教団が運営する病院に勤めることを勧められてきたのだった。
診療所に血の聖水を置くことが出来ない以上、個人経営の医師たちは自分の患者からレトリビューションを発生させないよう万全の治療に努めてきた。
それが彼らの医術を高めてきたのだ。その中でもアモット医師は優れた医者であった。
(ここ数日、バーリンダムの患者が増えてきている。アモット先生も一人一人の患者に時間をかけられないと言っていた。ここは、やはり……教団が運営する大きな病院でスージーを診てもらった方がいい)
アモット医師の診療所は個人経営であるだけに収容できる患者の数に限りがある。一日の内に診察できる数も同様だ。
だからこそスージーの右腕に残るわずかなケガを見落としてしまった可能性もある。
「すみません、アモット先生……僕は少し出かけてきます。もし……もしスージーの身に何かあった場合は……」
言いかけてイアンは口を閉ざした。
仮にスージーが再びレトリビューションに襲われたとして、その時にバプティストでもない医師に何が出来るというのか。
表情を暗くさせるイアンに、アモット先生は大きくうなずいてみせた。
「分かった、分かった。急いでるんだろう? 後のことは任せて行ってきな」
「……すみません。スージーのこと、よろしくお願いします」
レトリビューションが発生した現場を見ていないアモット医師には、イアンが何を恐れ何を考えているのかは分からない。
普段は見せないイアンの表情から、ただ事ではないと察して何も聞かずに引き入れてくれたのだ。
イアンはアモット医師に礼を述べるとハルフォードから外へ出ようとした。
その背中にスージーが飛びつく。
「イアンくん! イアンくんが行くなら、スーも行く……」
「スージー……大丈夫、すぐに戻るよ。その時には、もうスージーに嫌な思いはさせない」
「イヤな思い……?」
「そうだよ。スージーに痛い思いはさせないし、僕が痛い思いをしてスージーを悲しませることもしない。そのために僕は行ってくるから」
スージーに向き直り、目線を合わせて言い聞かせる。
スージーはしばらく迷っていたが、コクリとうなずくと笑顔を見せた。
「う、ん……うんっ、わかった。スー、おうちで待ってるね」
「ありがとう……いい子だ」
スージーの頭を優しく撫で、それに応えるように「えへへ」と笑うのを見届けると、イアンは今度こそハルフォードを後にする。
昼なお暗いバーリンダムの空の下に出たところで、後ろからスージーの声が届いた。
「スー、待ってるから……イアンくんといっしょに笑えるの、待ってるからねー」
イアンは首だけで振り返り、入口のところにいるスージーに向かってうなずく。
スージーだけでなく、自分自身の心に誓うようにして。
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