2-2
明くる日も、朝から
朝食の後、さっそく遠出の準備をしているジェフを見つけた。
「ジェフ、その荷物は?」
「あぁ、司教様の命令でな……俺はちょっとリザブールまで行ってくる」
「リザブール……それじゃ、血の聖水を……?」
リザブールはバーリンダムの北にある街の名前だ。そこには「ヨシュアの木」が管理する特別な聖堂が設けられている。
聖堂の中には血の聖水の泉があり、バプティストが持つ聖水はその泉から汲んだものだ。
「そうだ。これもバプティストの仕事さ」
血の聖水を扱えるのは、あくまでバプティストのみ。ジェフの言葉がイアンの両肩にのしかかる。
「……お前は人類を救うリディーマーなんだ。分かってるだろう? 血の聖水が、元は何なのか」
「うん……リザブールにある血の聖水の泉、アケルダマ……それはヨシュアを裏切ったヘレムの血」
二千年前に現れた最初のリディーマー、ヨシュア。彼の使命は、神が用意した永遠の都へと人類を導くこと。
神が人間たちのために永遠の繁栄をもたらす都を与えるという約束を果たすため、童貞大天使スザンナによって地上に遣わされたのだ。
永遠の都を探すヨシュアの旅は長く続き、その途上で多くの人々と出会い連れ立った。
その旅に最初から付き従っていたヨシュアの弟子がいる。それがヘレムだ。
旅の果てにヘレムは、ヨシュアを快く思わない者たちに惑わされてヨシュアを裏切った。
『ヨシュアは我々を騙す偽の救世主だ!』
ヘレムの言葉を信じた当時の人々はヨシュアを処刑する選択をしてしまった。
ヨシュアの死後、人類に神罰が下った。
永遠の都は黒い渦に覆われて人間の手が届かなくなってしまった。
ヘレムは自らの過ちを後悔した。自らが犯した罪をつぐなうため、自分の身を神へと捧げた。
ヘレムは肉体を破裂させて死に、そこから血の泉が広がった。
血の泉はアケルダマと呼ばれ、そこから汲んだ赤い水がレトリビューションを消す効果があることが分かった。
しかしアケルダマの正体は罪深きヘレムの血。それに触れることは再び神の怒りを買う恐れがある。
当時、既に発足していた「ヨシュアの木」はアケルダマに触れる許しを神から得た人間を選び出した。
選ばれたのが人類最初のバプティストであるヨハネだった。ヨハネはアケルダマに身を浸して自身の衣を真紅に染め上げ、レトリビューションの渦の中へと飛び込んで奇跡を見せつけた。
それ以来、アケルダマは「ヨシュアの木」が管理をし、アケルダマから汲んだ血の聖水を扱えるのはバプティストのみに許された行為と決められた。
「ヨシュアの生まれ変わりであるお前は、罪深きヘレムの血に触れちゃダメだ。例えお前の名前がヨハネに通じるイアンだとしてもな」
「うん……何度も聞いたよ、その話」
最初のバプティストであるヨハネの名前は、時代や場所によってショーンやオーエンと形を変えていった。イアンもその内の一つだ。
だからこそ、バプティストとして生きるジェフは初めからイアンのことを気に掛けていた。
人類の希望であるリディーマーがバプティストの祖であるヨハネと同じ名前だと聞いて、ジェフは出会う前からイアンに良い印象を持っていた。
「リザブールまでは鉄道を使えば三時間で着く。ただ、今回は大掛かりになりそうなんだよなぁ」
「うん、その荷物を見れば分かるよ」
ジェフの荷物は、どう見ても日帰りで済ませるものではない。
「いや……実は、向こうに何日か滞在する用意をしろって言われたんだ。そのための荷物だよ」
「リザブールに滞在? どうして?」
「俺も詳しくは聞かされてない。俺以外にも何人かのバプティストが同じように命じられてるしな。それだけじゃない……」
ジェフがイアンに顔を近づけて声をひそめた。目の端で辺りを見渡しながら不審げに話す。
「見てみろ……支部を管理する司教様まで落ち着かない様子じゃないか?」
「それは……血の聖水が切れたから、その対応で忙しいとか?」
「それだけだったら本部の連絡を待てばいい話だろ。俺には何だか、司教様が支部を……いや、バーリンダムを離れようとしているように見えるんだ」
「司教様がバーリンダムを……?」
ジェフにつられてイアンも辺りに目を向ける。
司教本人の姿は見えないが、彼がいる部屋には頻繁に僧侶が出入りしているように見える。
その意図は何なのだろうか――ジェフの考えを聞こうと視線を戻すと、納得がいかないといった表情のジェフと目が合った。
「リディーマーのお前が何も聞かされてないってのも気になるな」
「うん……あっ、昨日はアモット先生から受け取った治療費の請求書を渡しただけだったから……今日、何か話があるのかも」
言ってからイアンは余計な話をしたかもしれないと思った。
昨日、イアンの帰りが遅かったことについてジェフに尋ねられた時、イアンは言葉を濁した。
アモット医師の名前を出したのは、ヤブをつついて蛇を出すことに思われた。
「そうか……そうだよな、リディーマーは人類の希望。教団にとっても重要な存在なんだ。何か重大なことが起きれば、お前に話が行かないはずないよな」
予想に反して、ジェフからの追及は無かった。
イアンの身を気遣うことの多いジェフのことだから、イアンが診療所に寄ったと聞けば目の色を変えると思ったが。
それ以上に今、支部の中を騒がしている事態の方が気になるといったところか。
「とにかく俺はリザブールに行ってくる。俺が血の聖水を持って帰るまで、無茶だけはするんじゃないぞ」
「うん、大丈夫……分かってるよ」
去り際にまでジェフはイアンに念を押す。
イアンは傷つき苦しんでいる人を放っておくことが出来ない。それがイアン自身の性格であり、また逃れられない使命でもある。
その使命感が、レトリビューションまで自分で対処しようとイアンを突き動かしたりしないだろうか。まるで、その身をレトリビューションの渦へと投げ打ったヨハネのように。それだけがジェフの悩みの種だった。
自分のことを気に掛けてくれる親友に無用な心配はかけたくない。イアンはスージーに向けたように、微笑みを浮かべてジェフを見送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます