1-9

 時間にしてみれば十分、あるいは十五分くらいであっただろうか。


 イアンは永遠とも思える苦しみから解放されていた。


 今はもう痛みの去った右手で自分の胸を押さえて、静かに泣いていた。


(さっきの痛みは、もうスージーのところに……)


 スージーが感じた痛みはイアン自身が体験した。それと同じ痛みが再びスージーを苦しめているかと思うと、悲しみが胸の奥を切り裂いた。


 ゆっくりと部屋の中を見渡す。棚の上の容器が転がっているが、割れている物は無さそうだ。


 立ち上がってローブの袖で涙を拭うと、部屋の片づけをする。踏み台を起こし、散らばった容器の中身を元に戻す。


 それから不安を胸に、裏手にある診療所へと向かった。


「アモット先生……スージーは?」


 診療所は、それほど大きな建物ではない。中に入って声を掛けると、赤ヒゲをたくわえた大柄の医師が現れた。


「イアンか。さっき包帯を巻き終えたところだ。今は診察室で泣いとるよ」


 スージーの性格をよく知るイアンは、彼女がケガの痛みから泣いている訳ではないと悟った。


「ありがとうございます。ケガの具合は?」


「だいぶ強く打ったみたいだなぁ。幸い、骨は折れてなかった。右腕以外に打ったところも無いし、もう帰らせて構わんよ」


 スージーの容体を聞いて、ひとまずイアンもホッとする。痛みは酷かったが、想像したほどの重症ではなかったようだ。


「ありがとうございます。治療費は『ヨシュアの木』が支払いますので」


「そうかい? 請求書を出すから待ってな」


 バーリンダムには「ヨシュアの木」が運営する病院もあり、そこであれば患者は無料で診察や治療を受けられる。


 それだけでは手が足りないため、アモット医師のように個人で開いている診療所もある。


 教団が母体でない医療機関といえどもイアンやジェフは仕事柄、アモット医師と連携を取る機会も多かった。


 アモット医師が奥へ引っ込むと、イアンは診察室へと入っていった。


 イスに腰掛けたスージーの姿が目に入る。包帯を巻いた右腕を吊っているのが痛ましい。


 苦しんでいる様子は無いが、ひどく落ち込んでいるのが見て取れる。


「スージー……帰ろうか?」


「イアン、くん……」


 イアンに声を掛けられて振り返ったスージーが、また瞳から涙をこぼす。


 イスから立ち上がると、右腕のケガなど構わずイアンに抱きついてきた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……イアンくん、痛かったよね。スーのせいで……」


「いいんだよ。スージーこそ痛かっただろうに」


 スージーの柔らかな髪を何度も撫でて気持ちを落ち着かせようとする。


 イアンの胸から頭を離したスージーは、顔を上げて後から後からこぼれる涙を見せてくる。


 イアンはスージーのワンレングスの前髪をかき分けて涙を丁寧にぬぐうが、なかなか泣き止みそうにない。


「僕は大丈夫だから。スージーのせいだなんて思ってない」


「うぅ……イアンくぅん……」


「笑って、スージー。スージーが泣いていることの方が、僕には悲しい」


 スージーに言い聞かせながら微笑んでみせる。


 スージーもまだ涙が止まらないながら、何度もうなずいてイアンに応える。頑張って涙を引っ込めて笑おうとしている。


「うん……うんっ……スー、泣いてないよ。ほらっ」


 ぎこちないながらも白い歯を見せて笑い、それからワンピースのポケットに手を入れる。


 例の輪っかになったヒモを取り出すと、左手と口を使って何かの形を作り出す。


「ふぁほーのほーひー」


 口にくわえた部分を柄に見立てた「魔法のホウキ」が出来上がった。


 いつも通りの自分だとイアンに伝えようとしているのだろう。その気持ちを受けて、イアンも素直に微笑む。


「うん。いつものスージーだ」


「えへへ……いつものイアンくんだぁ」


 互いに相手の笑顔を確認し合うと、涙もいつの間にか引いていた。


 アモット医師からスージーの右腕を治療した際の請求書を受け取ると、礼を述べて診療所を後にする。


 スージーは左手でイアンと手を繋ぎながら、小さくつぶやいた。


「イアンくんの力は優しい力……でも、そのせいでイアンくんが傷つく……悲しい力」


 イアンはスージーのつぶやきが聞こえなかった風に装いながら、スージーの左手を握る力を強めた。


 自分の力で自分が傷つく。傷の痛み以上に胸の奥が痛む。その力が、何よりも悲しませているものがスージーの心だと知っているために。


 ◇


 人々に救世主の到来を説き、医療を提供する「ヨシュアの木」はいたるところに支部アビーを置いている。


 一日の活動を終えたイアンは、バーリンダムの支部へと戻ってきた。


 建物の中に入ると何やら騒がしい。昼間に起こったレトリビューションが原因だろうかと考えているとジェフの姿を見つけた。


「ジェフ、支部がずいぶんと騒がしいけど……」


「あっ、イアンか。帰りが遅いから心配したぞ。何かあったのか?」


「うん……僕の方は大丈夫。それより、この騒ぎは?」


「あぁ、実はな……」


 言葉を区切るジェフ。いつにない神妙な面持ちにイアンも緊張する。


「レトリビューションを消す血の聖水の貯えが切れちまったんだ」



◆◆◆◆◆

第一話はここまでです。読んでいただき、ありがとうございます。

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