1-8

 ――――!!


 雷を落としたような大きな音が隣の部屋から響いてきた。


 とっさにイアンは、イスがひっくり返るほどの勢いで立ち上がる。


 しかし、その目の前は真っ暗になっていた。


 今、ハルフォードには自分とスージーの二人しかいない。隣の部屋にはスージーがさっき、踏み台を手にして引っ込んでいった。


 ということは、今の音はスージーが起こしたものに違いない。棚の上に手を伸ばして、バランスを崩して踏み台から落下でもしたのか。


 最悪の状況を頭に浮かべるイアンの耳に、か細い悲鳴が届く。


「うっ、うぅっ~~~……」


「スージー!!」


 その声にイアンも我に返る。


 急いで隣の部屋へ駆け込むと、そこには予想通りスージーの倒れる姿があった。


 スージーの側には横倒しになった踏み台、棚の上にあったと思われる容器が中身を床にぶちまけている。


「っ……スージー!!」


 駆け寄ってスージーの細い身体を抱き起す。


 顔は青ざめ、苦痛で表情を歪めている。見たところ頭部に負傷は無さそうだ。


「うっ、うぅっ、うっ……」


 結んだ口の向こうから聞こえる嗚咽。声を上げることも出来ないほどの痛みということか。


 負傷した箇所を確かめようとすると、スージーが左手を自分の右腕に向かって伸ばしていた。


 右腕を押さえつけたくて、痛みのせいで出来なくて、そんな感じだ。


「スージー、打ったのは右腕だね? 他は打ってない?」


「う、ん……うぅ……」


 首をわずかに動かしてイアンの質問に答えようとするが、肯定に答えたのか否定に答えたのかまでは分からなかった。


 両目をギュッとつぶって身体をぶるぶると震えさせている様子から、返事をする余裕さえ無いと思われる。


 それでも右腕を打ったのは確実だ。スージーの痛がりようからして骨が折れている可能性もある。


 そこから先のイアンの行動に迷いは無かった。


「――ペインキラー」


 イアンが持つリディーマーとしての力を発揮する。


 辺りの空気は冷やされ、空気中に含まれる水蒸気が液体へと変わる。リディーマーの手を介したその水は、ひとつの奇跡を起こす。


 痛がるスージーの右腕に水を注ぐと、その痛みはたちまちスージーの身体から離れていく。


 代わりにイアンの右腕に同じ痛みが発生した。


「ぐぁっ! うっ……」


「イアンくん!」


 スージーは自分の身が軽くなると同時に、苦しむイアンの身体に飛びついた。


「ごめんなさいっ、ごめんなさいぃ」


 イアンとスージーとが出逢って一年。スージーもイアンが持つ能力や背負った使命については知っている。


 自分の不注意のせいでケガを負い、その痛みをイアンが肩代わりしたことを瞬時に理解した。


 イアンは激痛に耐えながら、涙をこぼして抱きついてくるスージーに声を掛ける。


「だい、じょうぶ……僕は。それより、スージー……はやく、アモット先生の……ところへ」


 イアンが肩代わりしたのはスージーが感じる痛みだけ。ケガそのものは未だスージーの右腕に残っている。


 痛みが消えている今の内に、スージーをハルフォードの裏手にある診療所へと向かわせる。


「う……うんっ」


 スージーもイアンの意図を察して身体を離す。その表情は申し訳なさでいっぱいになっていた。


 これ以上イアンを困らせてはいけないと、スージーも急いでハルフォードを出て行く。


 スージーのケガの具合がどれほどかは定かではないが、すぐに治療してもらえば大事にはいたらないだろう。


 スージーが出て行くのを見届けると、イアンは床に額を押しつけてノドを震わせた。


「うぁぁぁぁっ……!!」


 痛みを少しでも紛らわせようと声を張るが、全く効果は無い。


 これだけの激痛となると、やはり骨が折れたのかもしれない。


 思わずローブの袖をめくって自分の右腕を確認するが、そこには傷ひとつ付いてはいない。


「ぐぅぅぁぁぁっ……うぐぁぁぁ……!!」


 声を張って叫ぶごとに理解していく。スージーの悲鳴が、あまりに小さかったことの理由を。


 イアン自身、スージーを心配させまいと彼女が側にいる間は叫ぶのをこらえていた。


 スージーも同じだ。本当はどれだけ泣き叫びたかったことか。あのヒザをすりむいた女の子のように。


 イアンに自分の痛みを気付かれまいと振舞うスージーの気持ちに、イアンは胸の奥まで痛む想いだった。

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