1-3
(僕の能力ペインキラーは、生きている人の痛みを肩代わりすることしか出来ない。レトリビューションを消す力も無い)
倒れる人物を救うことも、もはや出来ない。レトリビューションの脅威から街を守ることも出来ない。
イアンに出来ることは、せめて住民を避難させることくらいか。
今は倒れている人物の全身を覆うくらいの大きさの渦も、時とともに膨れ上がっていく。それは放っておけば、やがてバーリンダムの街すべてを飲み込んでしまうかもしれない。
そうなれば街に住む多くの人が激しい苦痛に見舞われ、倒れ伏せる人物の後を追うこととなる。
「みなさん、ここは危険です。早く避難してください。それから、バプティストを……」
イアンは人だかりを振り返って、この場を離れるよう促す。
居合わせた人々はレトリビューションに巻き込まれることを恐れるのと同時に、イアンに冷たい視線を投げつけた。
「何言ってんだ……危険なのは見りゃ分かる。俺たちには逃げることしか出来ない。だから『ヨシュアの木』がいるんだろ!」
イアンの胸がズキリと痛む。まとったローブの背中にあしらわれた蛇の刺繍が重い。
レトリビューションに悩まされる人類に救いの手を差し伸べてきた教団――それが「ヨシュアの木」だ。
蛇をシンボルとする「ヨシュアの木」は、人が犯した罪が全てつぐなわれる日の到来を説くことで信仰を集めてきた。
背中の蛇が示す通り、イアンもまた「ヨシュアの木」に所属する一員。その中でも
レトリビューションに怯える人々の訴えに耳を塞ぐことは許されなかった。
「けっ! いつもは恩を売っといて、肝心な時にこれかよ」
「何が救世主さ。レトリビューションひとつ消せやしないで」
「この偽善者め!」
やがて人々の口に上る罵声。鋭いほどの視線と言葉がイアンに突き刺さる。
イアンは顔をそらして短く呻く。目の前の人々に対して、申し訳ない気持ちで胸をいっぱいにして。
現にレトリビューションは発生し、これを放置していてはバーリンダム全体の脅威となる。
追い詰められた心境から人々は心のゆとりを失くし、イアンに向けて罵声を浴びせることしか出来ない。
そんな人々を前にして、イアンは彼らを安心させたいと思いながらも、どうすることも出来ない自分の無力さに焦れた。
(僕の力では……レトリビューションを消すことは出来ない。いや……試したことが無いだけで、本当は……)
迷いながらもイアンは再びレトリビューションの方へと向き直る。
黒い渦が先ほどよりも膨れ上がって見えるのは気のせいではない。
(僕が……やるしかない。今、この場にいて何かが出来るのは僕だけなんだ。僕のペインキラーでも、もしかしたらレトリビューションを消せるかもしれない)
ゆっくりと一歩一歩、イアンは倒れ伏せる人物へと近づいていく。
先ほどまでの罵声がウソのように、辺りは静まり返っていた。
果たしてイアンにレトリビューションを消すことは出来るのか。それともレトリビューションの渦に、その身を飲み込まれてしまうのか。
居合わせた人々はいつでも逃げ出せる準備をしながら、固唾を飲んでなりゆきを見守る。
(でも……僕のペインキラーは、死んだ人に対しても使ったことがない。もしも……もしも、命を落とすほどの苦痛がペインキラーを通して僕の身に降りかかったら……)
イアンの足がピタリと止まる。
仮にペインキラーでレトリビューションを消すことが出来たとしても、その時にイアンは無事でいられるのか。
死体にペインキラーが注がれた時、死者の肉体に残った痛みがイアンを襲うのではないか。
そうなれば、イアンもまた痛みのショックで命を落とすかもしれない。
(……それでも、いいか。どうせ僕の力は一時しのぎに過ぎない。だったら、命を落としてでも街を救える方に賭けてみるのも……)
意を決して、イアンは再び足を進ませる。
そのイアンの背中に、誰かが飛びついてきた。
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